周りを見すぎたら「やりたい」が迷子になっちゃった
画面の中。キラキラした目で女の子が言った。
私は好きだからこれをやる。
私はそう言い切る彼女や他の出場者の「自分のやりたいこと」を一心に追求しステージ上で発表する、その姿に憧れたんだと思う。
私は自分でもよく覚えているけれど、やりたいと思ったことを諦めてきた。
中学生の時はもっと勉強するために塾に通いたかったし、大学受験の際一番勉強したかった、学んでみたかった英語や国際学を「それだけじゃ意味ない」と言われ諦めた。
塾はまあ金銭的な面で無理だと言われ続けたから諦めた。大学に関しては今になっては諦めなくてもよかったのにな、と思う。ただその時の私はその言葉を真正面から受け取って、納得してしまった部分もあったから、諦めてしまった。
自分の好きなことをやって人を笑顔にするから、人の求めていることをやって人を笑顔にするという風に自分の行動が変わってきて、自分のやりたいことを軸に動くという感覚が分からなくなってしまっていた。
だから、何かに夢中になっている人はかっこいいと思うし、そういう人に憧れて色々な場所に行ったりするけど、結局自分がそうなりたいのかといわれるとそうじゃないのかもと、いつも困っていた。
どうしてそんな風に考えるのか、これなんじゃないかという原因が思い浮かんだ。
それは私が今まで周りの人を見て生きてきたから。というもの。
私は家族の関係で転校が多く、その分周りになじまないと日々の生活が苦しくなることがあった。家の環境が一時期私にとっては大変な時期もあり、その時はもう顔色をうかがう日々だった。
自分の意見を聞いてもらえるよりも、その人がいいと思ったものをゴリ押しされる日々が続いた。自分のやりたいを言った瞬間に否定が飛んでくるのは珍しくなかった。
だからかな、無意識に諦めてしまったんだと思う。
他の人の言葉をまともに受け止めすぎていたから、なおさら。
今も、自分のやりたいなと思ったことをやることに躊躇したりする。本当にそれでいいんだろうかと心配になってしまうことがある。きっと今の環境がまだよくないんだろうな。ってことも自分で気づいてる。
そのための、準備はしてる。
変わりたい。
気にしすぎる自分を、やりたいことを思い切りやれない自分を、変えたい。
自分のことが分からないって人、他にもいるのかな。
自分のことが知りたいって人、他にもいるんじゃないかな。
私たちは今までやってきたことでできている。今までしてきた習慣をいきなり切り替えるのは大変なことだけど、必ずできること。
きちんと時間をとって私たちのことを考えてみること。そして変わりたいと思ったなら、「やっぱり…」と引いてしまうことなくその思いを大切に持っておくこと。
大丈夫、きっと晴れやかな笑顔で笑うのは、
諦めなかった私たちだから。