「9.11」あの時ニューヨークにいた私は今21歳〜「今を」「生きる」ということを考えた。
2001年 9月11日。
19年前の今日、
私はニューヨークのマンハッタンにいた。
当時2歳だった私。
当然あまり記憶していない。
だから今日改めて、
2歳の娘と1歳になったばかりの息子を抱え、
あの日、あの煙を見たという母に話を聞いた。
そして、「今を」「生きる」ということを考えた。
当時の様子を再現しながら、
私の考えたことも、簡単にまとめておきたいと思う。
▶いつも通りの朝。
よく聞く話だろうが、
9.11、あの事件が起こったのは、てんで普通の日。
ニューヨークに引っ越して1年。
それまでのアメリカ生活で得た知識はあったものの、
今回の渡米から新しい命も加わった。
そんな中やっと、
ニューヨークという世界の中心に住む生活にも慣れてきた。
いつもの通り、
大好きなセサミストリートを見ながら
朝ごはんを食べさせる。
その時突然切り替わったテレビ画面。
いつも見慣れたツインタワーに飛行機が追突。
何事?!
マンションの部屋から出て、
廊下の突き当たりの窓から外をみる。
そこには煙を上げるツインタワーの姿があった。
▶︎日本からの電話。
部屋に戻ると、
テレビは相変わらず、あのビルを映している。
墜落事故があったのだ。
すると日本に住む母から、
心配の電話がかかる。
「うん、大変なことになってるみたい。」
テレビから伝わる街の様子を伝えながらも、
無事だからねと、電話を切った。
だってただの、
墜落事故だと思っていた。
だからだった。
誰が想像できただろう。
まさかその後、
日本からの電話が全くかからなくなってしまうなんて。
▶︎誰もいない公園。
墜落事故が起きた。
でも、だから何?
楽しみにしていたセサミストリートを、
急に中断されてしまった子どもたち。
「おそとにあそびにいこうよ〜〜」
いつも以上に、
毎日のこうえんあそびに行きたがる。
そうだね、
事故が起きた場所から直ぐ近くというわけではないしね、
そう言って、
いつもの通り公園に出掛けた。
でもたどり着いてみると、
誰もいない。
いつも一緒に遊んでいる子どもたちも、
散歩をするおじいちゃんたちも、
誰一人いなかった。
あれ、なんかおかしい。
そう思っていた時、
近くのガーデンの親切なおばちゃんがやってきた。
「大変なことがあったのよ。早く家に帰りなさい。」
慌てて子どもたちを呼び、
帰る用意をしていたその時、
ツインタワーのある方向からたくさんの人が走ってくる。
真剣な面持ちで、
泣いている人もいる。
裸足になって必死で走る人もいる。
何事か。
何もわからないまま、
できる限りの速度で、
子どもたちを連れ家に向かった。
▷あとがきみたいなもの。
いかがだっただろうか。
恥ずかしながら私は、
本年22歳となるにして、
こうして詳細を耳にしたのは初めてであった。
このあと、
よく知られているように、マンハッタンは封鎖。
私も母も、1歳の弟も、
文字通り「閉じ込められた」のであった。
マンハッタンから出ることはもちろんできないし、
今年の春と同様、
家から出ることも当然、ままならなかった。
多少慣れていたとはいえ、
二人の小児を抱えて閉じ込められた母は、
どれだけ不安であったことだろう。
そして、
そんな娘と孫たちを心配し電話をかけるものの、
一向につながらなかった祖父母たち。
どれだけの人が、
この「先の見えない」状況に不安を抱かされたことか。
さて、2020年本年は、
この状況がさらに広範に、
それどころか世界中を襲った。
2020年、始まった当初、
私が描いていた2020年は、
どこへ消え去ってしまったのだろうか。
あの2020年はもう、
実現できないのだろうか。
今、それが不可能であるという方向性が、
次第に見え始め、
だったらむしろ、よりよくしよう、
そんな動きがあり、
私自身もその流れに乗ろうと努力している。
しかし、
それでは二進も三進も行かない、
そう困っている人、
そして、
9.11、その時もまさにそうであったように、
帰らぬ人となってしまった人、
そのような人々がたくさんいる。
それが現実であり、
受け入れなければならない事実である。
なぜなら私たちは、
「今」という「時」を「生きている」からである。
時は決して、
たとえ一瞬でも戻すことはできない。
あの時、
幸運にも事件に巻き込まれることなく、
無事に帰国し
小学校の時に起きた西方沖地震や東日本大震災、
数え切れないほどやってきた台風や、集中豪雨。
そして危険だらけと言われる海外諸国での一人旅など。
言い出せばキリがないほどのたくさんの危険から、
「偶然」「奇跡的に」逃れることができ、
だからこうして「今」生きているのだ。
「先の見えない不安」
「未知なるものへの恐怖」と言った言葉で表現される、
コロナウイルスの脅威。
この状況は、
すこしずつ明るい方向に向かうにせよ、
まだこの先数年は変わらないだろう。
そして実は、
そんな「先の見えない不安」が、
日常においても当たり前に存在することに
気がつくことになる、
そんな気がしている。
すでに多くの方がそのように考え、
発信をしているのではないかと思うが、
東日本大震災を間近に経験した方、
大病を患った方など、
あることをきっかけに、
その後の人生を深く考えさせられ、
それまで以上に「一瞬」を大切にするようになった、
そのようなエピソードがたくさんある。
このことからわかるのは、
彼らは本当に強く、
そして彼らにとっての日常は、
我々の日常の2倍も3倍も輝いているだろう、
ということである。
では、それを自身に活かすにはどうしたら良いか?
それが今日、
19年前の今日を振り返ってみてわかった。
自分の人生を振り返ってみてほしい。
自分が生きているという「キセキ」を感じて欲しい。
そうすればきっと、
明日からの毎日は、
これまで以上に輝いて見えるだろうし、
これまで以上に一生懸命に、
全力で楽しむことができるはずだ。