The Documentary of SUPER BEAVER 『東京』 Release Tour 2022 東京ラクダストーリー感想文
※9月28日に発売されたSUPER BEAVERのドキュメンタリー盤の感想です。内容にがっつり触れていますので、まだ見てない方、ネタバレしたくない方はご注意ください。
※すべてはあくまで個人の感想です。
私も参加した、2022年7月5日国際フォーラムホールAでの東京ツアーファイナル。この日のライブを思い出そうとする時、どうしても避けられない出来事があった。でも、ライブに来ていた友達に聞いても、配信を見ていた友達に聞いても、リアルタイムでは実は気付いてる人は少なかったし(あまりに楽器隊のリカバリーが見事すぎてそんな事が起こったなんて信じられないのも分かる)、それについて語ろうとするとどうしてもミスをしつこく指摘してしまう事になるからそれは本意ではないし、ライブ終わりのビーバームービーでもみんなサラっと笑いながら話していたから、私も封印する事にしていたのだった。
でも、どんなにか悔しくて悔やんでいるだろう……だってでも円盤になっちゃう……とずっと思っていたので、ドキュメンタリーがその場面で始まった途端“ほらー!もうー!やっぱりそうやんかー!!!”って泣きたくなってしまった。いや、ちょっと泣いた。
そもそも私はドキュメンタリー作品というものはそのままを自分で受け取れるライブ映像と違って《監督》の思考が介在した作品だと思っていて。
ドキュメンタリーの方が本人たちに近い感じがしてしまうけれど実は逆で、編集や劇伴によって素材をどんな風にも見せられてしまうので、監督がこのバンドをどう観てもらいたいか、という作品だというのを忘れちゃいけないと思う。
感動させようと思ったら感動的な出来事じゃなくてもその技術で感動させられるのがドキュメンタリー監督の手腕だと思ってる。
なので、掴み……と言ってしまったら下世話すぎるか?最初にそのシーンを持ってきたっていうのは、もう、そういう事なんだ、って覚悟した。
だから封印したのに、こんなに私の心も詳らかに白日の下に晒さざるを得なくなってしまった……。そして封印を解いてみたらこんなにも消化できてなかった事にびっくりした。(今この日のライブ感想noteを読んでみたら全然核心に触れてなくて笑ってしまった)
とりあえず、先行上映観た後の私のふせったーより。混乱してて可哀想。でも今回言いたい事はこれが全部。
先行配信を見た後でも、何が起きたのか分からなかったと仰ってた方もいたので(あまりに楽器隊のリカバリーが見事すぎて)、ちょっとだけ説明すると、本編の最後の曲『ロマン』で“報われろ報われろ報われろ報われろ報われろ うまくいけうまくいけ うまくいかない時も伏線にして”をぶーやんが丸々飛ばして“それぞれに頑張って”って歌ってしまったんです……。ああ……。
(追記※これ書いた後にやなぎがインタビューで分からなかったら分からないでいい、って言ってたから消そうか迷ったけど、消さないでおきます。てゆうかこのインタビューのライターさん、何が起きたか分からなかったですけど、って言ってて、マジか、ってなった……。そこはプロの仕事をお願いしたい……)
当時はこの事について封印する覚悟だったのでどこにも書いてないけど、やっぱりね、ロマンのこの部分って、すごく大事だと思う。ってそんなの歌ってるぶーやんが誰よりも分かってると思うんだけど。涙。
柳沢亮太の歌詞モンペなのでそれでも書いちゃうけど、それぞれに頑張ってまた会おう、と歌うこの曲において、でも頑張れない時もあるかもしれない、また会えないかもしれない、頑張れなくても会いに行っていいのかなって、その現実の壁とか綺麗事で終わらせないでいられるのがこの“報われろ、うまくいけ”のたたみかけであり“うまくいかない時も伏線にして”の掬い方だと思う。
それにこれは「努力は必ず報われるとは俺は言えない」と発言してきたぶーやんへのやなぎからのアンサーでもあって、そうだけど、でも俺たちはその頑張りを知ってるよ、報われろと祈ってるよ、って事だよね、って。
報われないから頑張らない、じゃない、それでも頑張るあなたへの、SUPER BEAVERからの祈り。
だからこの部分を聴くといつでも涙が溢れてしまうんだと思う。
すごくたまたまが重なってしまって(リーダー曰く“奇跡的に”涙)、だからこそ、なんでロマンの、なんでこの部分、なんでファイナルで、ここまで丁寧に丁寧に積み上げてきたファイナルで、なんでライブに来られなかった人にも観てもらえる配信と円盤になるこの日で、って。ううう。
もし時を戻せるチャンスを1回だけあげようって神様に言われたら、私は迷いなくあの日あの時のSUPER BEAVER に差し出す。人生やり直したい事だらけだけど笑。
あれだけ全身全霊で没入して滾ってたぶーやんも尊くはあるんだけど、でもあの落ち込みようを見たら、やり直しな、って言ってあげたくなっちゃう……。
当日はやり直すかな、って思ったんですよ。アイラヴユーツアーの岡山で『歓びの明日に』でぶーやんが2番に入れなくて(私の記憶が確かならば)曲がすごく早く終わっちゃった時も(しかしこの時も瞬時に曲をまとめたリーダーがめちゃくちゃかっこよかった、いやロマンの時もそれはそれとして演奏をまとめたリーダーかっこよかったよね、ううう、そんな時でもメンバーにかっこよさを見出してしまうファン心理って切ない)、アンコールでやり直してたし。
だから実際に袖でやなぎがぶーやんに「やり直さなくていいの?」って聞いてた時、そうだよー!やり直せばいいよー!って結末を知ってるのに拳を握りしめてしまった……。まあ私たちには計り知れないフロントマンの矜持や思想があるんだろうなあ。
ちょっと4人で話したいってぶーやんが言った時、なんでカメラを排除しなかったんだろうってずっと考えてるけど、やっぱり私たちにも見てもらいたいって気持ちがあったんだろうか。でもそれって、あの時リーダーややなぎが感情のままに言葉を発したり態度に出したりしていて(ひろぽんはあの場をどうしようかなって思ってるように見えた。ほんとに優しい)もちろんそれってそうしても大丈夫だとお互いへの信頼関係や甘えがあるからで、18年の絆は伊達じゃないって象徴だと思うけど、それを私たちにも見てもらいたいっていうのも私たちの信頼や甘えがあるからだと思う。
見せたい姿だったわけじゃないけど、でも受け止めてくれるよね、こんな事で嫌いにならないよね、っていう愛だと思う。
そうしないとこの日の『ロマン』は成立しないってどこかで思ってたのかもしれないな。私たちと同じ人間なんだって思ったって感想も分かるけど、私はすごくプロだとも思った。
(あそこで引かなかった監督もすごくプロのお仕事だったと思う)
あるインタビューで、これを見たらオンステージのバンドを見る視線が変わる人が多いのではないかってライターさんが言ってたけど(そしてこれもまたやなぎが“そうだったらいいなと思います“って答えてるから言いきっちゃって大丈夫かなとも思うけど)変わる事はないって私は断言できる。私たちをなめてもらっちゃ困る。ここまで赤裸々にさらけ出してくれたバンドを見て、愛が深まりこそすれ、見方が変わるなんて事はない。バンドへの愛も楽曲への愛もそんな浅いもんじゃないです。ますます好きになるだけ。
ドキュメンタリー作品を作ろうって密着し出した時はこんな着地になるとはだれも思ってなかったと思うけれど、でも、それこそドキュメンタリーの真骨頂だよな、って思う。観られて良かった。改めて初のドキュメンタリー作品発売おめでとうございます!
そしてやっぱり、早くライブに行きたい!!!