利己と利他(ケイ)
子どもの頃から、優しさとは何かよく考えていた。
みんなが優しくなれば世界は良くなりそうだし、あらゆる問題が消え去るのではないかと思っていた。
しかし世界にはそんな事を考えていない人もいて、問題が起きながらもなくならない。
少なくとも自分は人にやさしくあろうと考えていたが、みんなのためなのか自分のためなのかよくわからない事もあった。
家族のためにしているはずの事が、実際には家族が喜ぶことではないこともあった。
そんな経験から、利他のつもりでも独りよがりなものになり得るという事に気づいた。
利他と利己を、社会の為と自分の為に置き換えてみる。
社会の為に生きるのであれば、
明日からすべてを投げ捨てて世界の飢餓を解決するべきだし、
紛争地域の解決に命を捧げるべき。
しかし自分はそうしない。
それでは社会の為に生きていないし、利他ではないという事か。
というようなことも考えた。
全てが利他になった場合、個々の欲求は失われ、生きている意味を喪失してしまいそうな気がする。
NPOの支援に関わったり、社会課題を解決するサービスを開発してみたり、
「世界をよくする仕事で稼ぐ」という本にも影響を受け、自分がどの立場から社会に関わるのかを考えたりした。
最近では、WaLaの哲学で学んだ観自在の考え方で捉えるのが良さそうだと感じている。
エゴとセルフという分け方で、狭い世界の利と広い世界の利を相互主観で移動する捉え方。
まず、自分のエゴとセルフが何かを確認する。これはWaLaで学んだフレームワークや仲間との対話が役に立った。
とある自分の判断や行動はその中のどこに位置するのか。
本当にその場所で良いのか。を自問自答する。
少しエゴっぽいからもう少しセルフに動かそう。だとか、
セルフ過ぎて続けられないかもしれないし、今は少しエゴ入れておこうとか。
限度を設けてバランスを取る。
行ったり来たり揺らぎながら世界が広がっていくようなそんな感覚で居られている。
もう少ししたら状態を見直して、考え方を更にアップデートしていきたい。
どこまで出来るかわからないけど、世界の優しさの総量を少しでも増やしたいと思う。