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劣等感と承認欲求と(Kazuaki Mizuchi)

僕は劣等感の塊だった。

僕は貧乏人が多く住む福岡の片田舎の団地に生まれ育ち、そして、例外なく僕の実家も貧乏だった。同級生はみんな貧乏人の子供だったし、世界には貧乏人しかいないと思っていた。というか金持ちが僕の生きていた世界にはいなかった。

そんな僕が間違って金持ちが集う私立の高校に入ってしまった。
そこで残酷なまでに現実を知った。「この世は不条理で、不合理で、不平等だ」ということを。

社会には階層があって、自分はその最下層にいると悟った。

それまでは社会に階層があるなんて知らなかったから、なんとも思わなかったが、知ってしまった以上、どうしても上に這がりたいと思った。

でも、どうやって這い上がればいいか全くわからないまま十代を過ごした。
水は低きに流れ、怠惰な生活を送った。

多分に漏れず大学も碌に行かず、就活の時期を迎えても働きたい会社など見当たらず50連敗ほどしたあと、レオパレスという会社が唯一こんな僕に内定をくれた。

今となっては、日本でも最も黒いブラック企業だと日本国民全員が知っているが、
怠惰な僕にはそんなこと知る由もなく、二つ返事で喜んで就職した。

出社3日目で気づいた。「ここも社会の最下層なんだ」と。

当時から本当にひどい会社だった。
恫喝、暴力の嵐。ヤクザ映画に出てくる事務所と大して変わらないレベルだった。当時の日本社会はまだ昭和の香りがぷんぷんしていたから、レオパレスだけが特別に酷かったというわけではないかもしれないが、それにしても酷かった。
恫喝はほぼ毎日。2年間で胸ぐらを掴まれたことは10回は超え、暴力を受けたことも2、3回はあったと思う。別に僕だけというわけではなく、みんなそんな仕打ちを受けていた。入社した日の午後に逃げ出した人もいたくらいだ。

「僕は社会の底辺を這いつくばるだけの人生なのか?」と本気で思った。
這い上がりたいと思ったが、這い上がる術を知らない。それに辞めると明日から食べていけない。

そんな僕に転機が訪れたのは24歳のとき。

公認会計士という人生を一変させてくれるかもしれないと思える最難関国家資格に出会った。

公認会計士という単語は知っていたが、まともに認識したのは初めてだった。

僕が社会の最下層をから這い上がるためにはこのチャンスを掴むしかないと思った。

どうやら簡単には受からないらしい。2年間は勉強に集中する必要があるとのこと。
両親に「2年間養ってくれ!」と頼み込んだ。大学を卒業して、一度就職したにもかかわらず。そんな僕を両親は優しく包み込んでくれた。

レオパレスを逃げるように辞めて、2年間血反吐を吐くほど勉強した。一日10時間勉強が必要とものの本には書かれているので、毎日10時間勉強した。そして、なんとか合格した。僕は「社会の底辺からようやく抜け出せる」と思った。


僕が合格したのは27歳、公認会計士の合格者の平均年齢はもっと若い。多分年齢は24歳くらい。
公認会計士の出身大学は(僕の合格した時代)上から順に慶應、早稲田、東大、一橋、、、、僕はそんな有名大学の出身ではない。

平たくいうと、公認会計士合格者の中では僕はバカな年寄りだった。

社会の底辺から抜け出せたが、公認会計士業界の底辺にいた。

東大卒や慶應卒の帰国子女が誰がどう見ても出世コースど真ん中の仕事を振られている中、僕はどさ回り系の仕事。どう考えても出世とは程遠い。

僕は思った。「ここでも底辺を這いつくばるのはいやだ!!どうしても這い上がりたい!」と。

誰よりも勉強した。会計も英語もビジネスも。
事業会社の経理部に出向して、一から経理実務を学んだ。米国公認会計士まで取った。死ぬほど勉強したから出世コースに戻ってきたと思った。
日経新聞の一面に載るようなMAも担当したし、カリフォルニアの老舗のテックカンパニーのグローバルの大再編も担当した。外国人だらけのチームの一員として。

さらに上を目指し、経済産業省にも出向した。
税制改正をやったし、法律の条文を書いて国会に提出したし、国会答弁も書いたし、大臣の外遊にもついて行った。しかもシリコンバレーに。当時は話題になった官民ファンドの再編なんかも担当した。弁護士会館で講演までさせてもらった。

20歳の頃の自分からは想像できないような超充実したサラリーマン生活だ。

社会の階層、公認会計士の階層、いずれのヒエラルキーの中でもどう考えても上の方にいると思った。

仕事の成果に満足はしていた。成功したと思った。


しかし、、、、


「それで?」「だからなに?」
なんか虚しくないか?

空虚だった。

僕は気づいた。僕には劣等感からくるドス黒い感情があった。そして、ただ周りを認めさせたかっただけだった。すごいと思われたいだけだった。
そう。マズローの欲求仮説にどっぷりハマっていた。

承認欲求の奴隷になっていた。

承認欲求はいくら満たしても満たされない欠乏欲求であるということは経営学で学んだから当然知っていた。

でも、僕は承認欲求に自分の人生の全てを絡め取られていた。

誰かが作ったシステムの中で、優れた歯車になるレースを勝ち抜くことが自分の幸せだと思っていた。そして、優れた歯車として見られたいと思っていた。

「お前は優れた歯車だな。だから高いボーナスあげるね」ということが何よりも嬉しかった。

自分は心底終わっていたと気づいた。

誰かの作った虚構の中で、いかがわしいルールのレースを先頭で走ることが最優先事項だったが、それは全て虚構であって、その虚構は早晩脆くも崩れ去るだろうと理解した時に、これまでの僕の人生は泡沫の夢であることに気づいた。

僕の体は劣等感でできていたが、その劣等感は虚構の中で芽生え、虚構の中で育まれて、虚構の中で解消されたが、

そもそも全てが虚構の中の出来事で、劣等感そのものが虚構だったことに気づいた。

全てが虚構であることを知ったが、でも、1つ違和感が残った。

劣等感が完全に消えないのである。承認欲求が完全に消えないのである。

確かに以前に比べれば確実に弱くはなっているが、でも、心のどこかにはしっかり残っている。

その理由にはすぐに気づいた。

キリスト教では7つの大罪が定義されていて、ここでいうところの大罪とは「殺人」や「窃盗」などの行為を定義しているのではなく、「嫉妬」、「強欲」など精神性を指しており、

そして、「人間みな生まれながらにして罪人」と言い切っちゃっているので、そもそも僕たち人間は悲しくも周りとの比較の中で嫉妬し、劣等感を覚え、時に強欲に相手を出し抜くことで、他者と差別化を図り、褒めてもらうことで承認欲求を満たされる。端的にいうと、承認欲求の奴隷と化したか弱い存在なのだ。

40年生きてきて、ようやく自分の劣等感の正体を掴み取れた気がした。

そして、どうやら劣等感やそれを克服するための承認欲求というものは僕に所与として植え付けられた精神性で、どう抗っても取り払うことはできず

僕にできることがあるとするならば、その奴隷となることなく上手にお付き合いをしながら生きていかなければならないのだと気づいた。


ではどうするか??

この問いに対する答えがどうやら簡単には出ないっぽい。行動まで含めると。

言葉で言うと、

他者との関係性の中で築かれる相対的な評価軸の中で生きず、自分の中の絶対価値観を信じて生きていくことだろう。

月並みな表現だが「自分の中に軸を持つ」、「自分を主語として生きる」ということだろう。

イメージは煉獄杏寿朗。彼のように弱きものを守るために死すらも恐れないような生き方だろう。そこには承認欲求のかけらもない。

でも、言うは易し。そんなことをこの現実世界でやり切ることなんて難しすぎる。

でも、社会の階層構造の中で承認欲求の奴隷として生きていくのはもうまっぴらだ。

人生100年時代。まだ折り返し地点にもついていない。与えられた残りの命を賭して、自分の中に軸を持って、絶対的な価値観の中で生きていく。劣等感と承認欲求とうまくお付き合いしながら。

Kazuaki Mizuchi


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