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ギフトと負債(ざびこ)

 先月51歳になった。

 私は東京に生まれ、小中高校は東京の公立学校、1浪1留して早稲田大学を卒業し、塾講師となった。日本で研修をした後、海外の帰国子女向けにシンガポールで日本の受験勉強を教える予定だった。

父からのギフト

 社会人となって2ヶ月目、初任給をまるっと両親に手渡した1週間後、父は脳出血で突然死し、母は軽い鬱病になった。

父の第一発見者は私で、「笑っていいとも!」が終わる時間になっても居間に降りてこない父を起こそうと階段を一段上がった瞬間に、父は死んでいると分かった。
襖を開ける時には直感は確信に変わり、父の傍らに座りそっと額に触れた掌は静かに私に冷たさを伝えてきた。

父は昨晩少し風邪気味だった。
「早く寝れば?」ぶっきらぼうに父の背中に投げた言葉が、私が父に向けてかけた最後の言葉で、父と最後に食べた食事はざるうどんだった。

父は人が苦手で友達もほとんどいなかった。
そのせいか分からないが、常に家族にフルコミットで、私は完全に愛された記憶しかない。

父の死とそのショックによる母の軽い鬱症状により、私は夜遅い塾講師を辞めた。母は父が自分の隣で死に至ったという事実に打ちのめされ、夜を一人で過ごせなくなっていた。
座敷童のように部屋の片隅にうずくまる母の代わりに、こなさなければならない家事と仕事に忙殺され、悲しみと後悔に蓋をしたまま2年が過ぎた頃、ようやく父の記憶の引き出しを開ける力が戻ってきた。

やっぱり愛された記憶しかない。
都合良く嫌な記憶を自動抹消しているだろう分を差し引いても、愛情たっぷりに育ててもらった記憶しか蘇ってこない。

「あれ?父からもらったこのギフトどうしたらいいの?」

働く・生きるということ

30代、私は3つの責任のためにリクルートという会社で働いていた。

1つめは母が天寿を全うするまで支える責任、2つめは社会保障のないアメリカ人の夫の老後を支える責任、3つめは日本国民として相互扶助のための納税をする責任。

「好きな仕事で生きていこう!」「本当の自分にあったお仕事探し☆」という言葉は当時の私には全く響かなかった。

リクルートは窓際でのんびり座っていることが許されない会社だった。全速力で走り続けるか退社するか。目標を達成し続けるかできないか。
常に数字に追われる毎日だったが、自由と責任がいい感じに共存している組織だった。

さて、そろそろ若者に席を空けないと。。と残りの人生について考え始めたのは30歳でマネージャになった時だったが、個人商店の集まりのような自由な組織は居心地がよく、うっかり22年間も居続けてしまった。
リクルートの当時の社訓は

「自ら機会を創造し、その機会によって自らを変えよ」

だったが、私はさしたる変化もなく、資本主義のお作法に従って、営業数字目標達成ゲームに勤しんでいた。

「あれ?父からもらったギフト返せてる気がしないな。。」

ギフトという負債

 私はプレゼントをするのは好きだが、もらうのは苦手だ。
自分がプレゼントを選ぶ時間はワクワクするし、プレゼントを見た相手が喜ぶ顔を見るのがとても嬉しい。
しかし、プレゼントをもらう側になると、嬉しい反面すぐに申し訳ない気持ちが襲ってくる。

「このギフトのお返しはどうしたらいいのだろう?」

父が亡くなり、ショックの後に襲ってきたのは悲しみとともに後ろめたさだった。
それは父からもらってしまった愛情という負債を返し切れていない後ろめたさだった。
父から23年間注がれ続けた愛情というギフトは

「誰かにそのギフトのバトンをちゃんと渡しなさいね」

というメッセージに変わっていった。

私は今までただ両親の元に生れてきたという偶然だけで、十分に愛されてしまった。しかし私が受け取ってしまったギフトを私は誰かにちゃんと受け渡せているだろうか。
ふつうに考えればそれは子供へと引き継がれていくものなのだろうが、私には子供がいない。
とするならば誰かに、社会に、ギフトのバトンを渡せているだろうか。。

なんだかモヤモヤし続けるこの負債という感情を言葉にしてくれたのが、西国分寺で「クルミドコーヒー」を営む影山知明さんだ。
「ゆっくり、いそげ」という著書の中に、このような1節がある。

『交換を「等価」にしてしまってはダメなのだ。「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側が、その負債感を解消すべく、次なる「贈る」好意への動機を抱く。」

そうだ。私は父から多くのギフトを与えられ過ぎてしまったのだ。

私は父から受け取ってしまった愛情というギフトを誰かに渡さなければいけないという使命感のようなものを感じている。

人は愛情という等価交換できないバトンを渡し合いながら生きている。
バトンが渡ったこと・渡されたことを生きている間に実感できる機会は少ないのかもしれない。
それでも確実にバトンは引き継がれていくことを私は知っている。
この著書で述べられている「健全な負債感」をどうやって返済していくかが私のこれからの課題だ。


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