和歌の最先端・嵯峨嵐山で歩いて探して自分だけの「歌」を見つける旅をしよう
自己紹介
初めまして!可知敬斗と申します。普段はフルリモートの通信制大学でITやビジネスについて学びつつ、熊本県天草市牛深町という港町で空き家を活用した場づくり、コミュニティ作り、イベント企画などをしています。その業務の中で活動を発信する記事を書いたり、チラシのライティングを行ったり、書くことの経験を重ねるうちにもっとライターとしての力をつけたいと思い、5月からライター修行中です!今後は旅する地域ライターとして活動していきます!
舞台・嵯峨嵐山とは
私は初めて嵯峨嵐山地域に来たのですが、天龍寺など多くの寺社仏閣、古い町並みの残る商店街をふもとに抱える小倉山など、重厚な歴史・文化の話題には事欠かず、今回の2泊3日では到底学びきれないほどの奥深さを知りました。
このような知見を得るきっかけとなったのは、渡月橋のすぐ横で屋形船を運行している「嵐山通船」の社長さんに出会ったことから始まります。お話しを聞くだけのつもりが「乗れ乗れ!」と屋形船に誘導され、社長自ら船頭をしていただきながら、嵐山の深いお話を色々お聞きしました。
手漕ぎの船を漕ぎながら背中でそう語る社長さんはとても生き生きとしていて、嵐山の歴史や文化の重みをしみじみと感じました。
このお話を聞き、これまで知らなかった和歌や古典文学を学ぶいい機会だなと思い、大堰川のほとりにある嵯峨嵐山文華館に伺うことにしました。
過去と変わらぬ風光明媚な嵐山。歌人が残した詩を見て、平安の美を体感する。
この日開催されていた展示は「絵で知る百人一首と伊勢物語」。
百人一首や伊勢物語の説明・文章と共にそれにまつわる絵や写真が並んでおり、古典初心者の私にとっては過去の情景を補完しやすくて、とても楽しめる展示でした。
また、文章も初心者にわかりやすいように配慮されていました。
例えば、伊勢物語であれば、
段ごとに【状況や情景の説明+それに対する和歌のアンサー+結び】の構成になっています。
それぞれに現代語訳や解説が付いており、
1、古文をなんとなく眺めて、現代語訳を読む。
2、次に和歌、そして現代語訳と解説。
3、結びは現代語訳を読んでから、古文を読む。
という風な流れで自然に理解することができて、初めて古典文学にしっかり触れ合えた気がしました。
和歌・古典の面白いところとして、その和歌が読まれた文脈がわかっていれば、古語の和歌でもなんとなく意味がわかることと、文章の結びは逆に現代語を読んでから古文を読む流れの方が味わい深く読み終わるなということに気が付きました。
結びの方はなぜかと言うと、現代語訳では少し客観的な視点の解説が入るので、それを理解した上で本文で締める方が、その当時の気持ちをよりそのまま感じられるなと思ったからです。
次に、私が感じた和歌の奥ゆかしい面白さを説明します。和歌は文字数が少ないため基本的に物語とセットになり、そのアンサーとして付いてきます。
物語は大体が【誰が登場人物で→どこにいて(どういう状況で)→何かが起こり→行動して→歌を読む】という流れになっており、和歌は一見その情景や状況を語っているだけに見えますが、必ずアンサーとなる内容や裏テーマが隠されています。
そこに気が付いたとき(大抵は解説がついてます)、初めて和歌の美しさに酔いしれました。和歌の言葉の使いまわしと構成の仕方が私たちが読んでも上手いと感じるくらい、一つの文学として完成されていて、当時の人にとっていかに和歌が日常で、大切で、愛されていたのかがわかります。
学生時代に教室でただ見ていた表面的なテキストとは違う、ひととひととの想いのぶつけ合いが創る深い深い古典文学の世界がそこにはありました。
とはいっても例がないとわかりにくいと思うので少しだけ紹介します。(飛ばしてもOKです!)
この歌は
・衣の乱れ模様を自分の心の乱れの例えとして歌ったこと
・信夫摺りの「しのぶ」と、恋しのぶをかけて「しのぶ(恋)の乱れ」と表現したこと
が隠されています。
こんな一目惚れからの自分の服を切って、それに関係する上手い和歌を瞬時に考えて、その場で相手に送るなんて雅なことが、今の私たちにできるでしょうか?
これを書いたのは平安時代を代表する6人の歌人「六歌仙」の一人、在原業平です。情熱的な作風で、これを書いたのも成人してすぐの頃だったと言います。20歳そこらでこんなに風流で行動的なんてイケメンすぎますね。見習います。
興味を持たれた方はぜひ嵯峨嵐山文華館で和歌の面白さに触れていただきたいです。
和歌の聖地で先人に習い、自分だけの歌を見つける。
さて、ここまで和歌の文化については学びを深めてきたのですが、この嵐山で自分でも一つ歌を作ってみたいと思うようになりました。
というのも、今の嵐山は日中、天龍寺のある商店街通りを中心に数えきれないほどの観光客で溢れかえっており、主に食べ歩きや写真撮影をしながら桜のフォトスポットに行って帰ってくるという人の流れができていました。
しかし、一本裏通りに入るだけで歩道から溢れる人の姿は消え、静かな京の風土を感じられたり、街中を離れて河川敷を歩けば地元の人たちが犬の散歩や公園でのんびり過ごしたり、人の生活の実様がある春のやわらかな風景が広がっていました。
この嵯峨嵐山には今の観光客にはまだ見つかっていない楽しみ方が無数にあるなと思い、その一つとして、過去から続くこの嵐山という名所で自分の心動かされる雅なものを探して、自分だけの歌を作る(持つ)ということを試してみることにしました。
そのため最終日前夜、私は嵐山を少し離れ、上桂駅という阪急嵐山駅から松尾大社駅を挟んだ一つ先にある駅まで足を伸ばし、ネットで見つけた地元の人が居そうなカウンター式の居酒屋に入ることにしました。
ここで地元の人に混ざって嵐山の奥深い魅力について聞いて回ろうという作戦です。
中に入ると地元の人たちがワイワイお酒を飲み交わして、料理を楽しんでいて、一席しか空いていませんでした。
明らかに初見客だと察したのか、店主さんが「ラーメンならすぐできるんですけど、、」と気を使ってくださるくらい常連客御用達のお店でした。
私はもとから常連客の中に入り込んでいく気だったので、「大丈夫ですよ!」と返答し、空いていた真ん中の席へ!
「常連客の皆さんが良いと思う嵐山のスポットってなんでしょうか!?」というふうに図々しく入り込んで行き、上桂・松尾大社周辺のニッチな情報を存分に知ることができました。
こんな経験も旅の醍醐味で、同じ地域に長く滞在することのメリットだなと思いました。
その話を聞いて巡った中で自分が特に気に入ったポイントを歌と共に一つ紹介します。
「竹の寺地蔵院」
この地蔵院という名前から伝わる飾り気のない静かなこのお寺は、上桂駅から徒歩15分ほどの住宅街にぽつんと現れます。
門をくぐると、境内を覆う圧巻の竹林と足元に広がる苔の絨毯、ここだけ空気が変わったような、山の精気に包まれる感じがしました。
紅葉の時期は隠れた名所として知られているそうですが、私は春の陽気な感触もよいのではないかと言いたいです。
その素晴らしい春の魅力をお伝えします。
「春うらら腰掛け望む苔庭に 今日の心は縁側にのみ」
初めて訪れた、竹の寺地蔵院。
京都市登録名勝庭園である南向きの苔の映える庭と、方丈の縁側には気持ちの良い春の日差しが差し込んでいた。
実際に座って眺めてみると息を飲むような美しさ。時が止まったように人は黙り込む。
座った時の目線の高さに一番の美を込められたこの空間は、「春の陽気・日本庭園・縁側」という日本人の根底に刻み込まれた「京」の心に気づかせてくれる。
静寂の京都で心洗われる幽玄のひとときを。
終わりに
いかがだったでしょうか?
私は今回、嵯峨嵐山地域を2泊3日では半分も回り切れなかったですが、多く観光客の方々は2~3時間程商店街を歩いて帰ってしまいます。
嵐山の長い歴史や文化、それが織りなす風土を知らずに通過してしまうのは、せっかく嵐山まで来たのにもったいないと私は思います。
また一般的な京都観光において、一つの地域に2泊してその地域だけじっくり味わうということはあまりされないような気がします。
多くは、京都各地域の有名な見どころを回って観光することがほとんどなのではないでしょうか?
しかし本来の旅の形というのは、よその土地を訪ねて過去と文化を知り、敬意をもってその地に身を任すことなのではないでしょうか?
胸に秘めた想いを自分だけの歌にして、今こそインスタに逆行した観光をしよう。
他にも紹介したいところはたくさんあるので、次の記事では2泊3日で実際に私が回った場所を紹介します。最後までお読みいただきありがとうございました!