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磊と雷~龍のながれ①

外を移動している時に『磊』って漢字に意識がいった。
その時には、その漢字を知らなかったから
(石が3つの漢字なんてあるんだな。)
と思っただけだったのだけれど。

その日の夜に、また、『磊』という漢字が目に飛び込んできたのでさすがに気になって調べることにした。

読みは「ライ」。
磊は「石がごろごろしているさま」「心が大きいさま」をあらわしているそう。

ごろごろ?

週末に天河神社に行く予定をしているのだけれど。
(ごろごろ水は行かなくてもいいわ。)
と思っていた。

でも、立て続けに、めったに見ない『磊』という漢字を見た結果、ごろごろ水も汲みに行くことにした。

(それだけのこと?)のワケがない気がしたので、さらに調べてみた。

磊には、「さざれいし」という読み方もあるようだ。

君が代の歌詞に出ているな。と思った。

『君が代は 千代に 八千代に
さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』

さざれ石の解釈も諸説あるようだけれど。

小さい石が、自然現象水とか太陽とかの助けで凝固していきひとつの大きい岩になる解釈は素敵だな。と思えた。

一つの石だけがどんどん大きくなるのではなくて、小さい石が集まることで岩になる感じもいいな。と。

石の様子は「時代と人」に似ているな。

石が時代と元気な電気で動いてるに似ているから『磊』と『雷』はライと読み、岩もゴロゴロ・雷もゴロゴロ?同じ源の別の現れ?

創世の始まりの頃は、資源はあるけど利用する術を失っていて。
アカシックレコードにアクセスできる一部の人間がカリスマとなってクリエイトされる時代は。
一つの石が溶かされ冷やされ押し出されどんどん大きくなってせり出してくる様を。
一生で早回しするかのように体現するスペクタクルな人生を武器に全体の勢いを増す社会で。
カリスマ頼みの時代というか。

カリスマは肝心な秘密の部分は秘伝のタレ扱いして共有しないことでカリスマになる。
中には、「地球環境第一!」と。あたりまえに考えられる超越レベルのカリスマが身内や大切な人にだけ共有して善玉菌の比率を支えてくれたりもするのだけれど。。。

時代はながれ。
気がつけば分岐。

分岐のこちら側でも、助け舟はギリギリまで出発を見合わせて待ってくれている。

カリスマが崇拝される時代の日和見菌な人々は、本当はカリスマから教えられたレシピを忘れているフリをしているだけだと深層の意識では知っている。
思い出すとやることが増えるから、活用するのがとても面倒くさいと感じる結果あえてフタをする。
ので。
結局・肝心な部分は人まかせで。
解脱を考えるほど・まだ・今ほど追いつめられることはない「開いていく流れの時代」のクセはなかなか抜けない。だから。。。
時代を本当の意味で謳歌するための真意は読み取らず現状を構築し続けて。
気がつかないから分岐のこちら側…。

カリスマさんは、とっくに空を飛んでるから分岐のあちら側にいるのだけれど、日和見菌な人の目には同じ地球の上で歩いているようにしかみえないので「これでいいし・これがいい」と安寧。

カリスマが開いていく時代を交流させることなく直流利用することで、日和見菌の選択肢から自由は消えた。

安寧が原因で地球未来の腸内バランスのことまでは誰も気がつかず。。。

さて時代は。
閉じる方へと息吹を続ける。
電気の使いかたは変化した。
イナズマはすみずみに。
地球に張り巡らされたネットを通じて情報はかけめぐる。

フリーエネルギーってものがあるらしいよ?とか。
循環には種類があることとか。
バランスについてなど。

カリスマ頼みをしなくても選択肢にたどりつけるということにたどり着きだした。

みえない電気の流れが、自分の内に宿っている龍神のエネルギーと呼応して、光の導きですみずみにまで波及すると。

パラドックスな宝探しもあいまって、ギフトのフタがどんどん開き始めて。。。

って時代が『今・これからの時代』なのだろう。


『君が代』がみつめている方の未来へ進むかどうかの瀬戸際感を感じた。

苔のむすまで。。。

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