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30代の海外留学で地獄と天国を味わう① 〜仕事を辞めるまで〜
夢の海外生活。
テレビや雑誌で見ていた場所を訪れたり、外国人の友達と遊んだり、異国の文化を学んだり、なんだか楽しそう。
そんな想像から、初めて海外に行きたいと思ったのは大学生の時でした。
兄弟が海外に行っていたり、ホームステイで海外の子供を受け入れた経験があり、何となく海外に対しての憧れがありました。
大学では休学して海外に行きたいと思いつつ、当時クラスの大半が留年するという厄介な学科にいて、そこまで賢くなかった私にとって、友達との結束こそが留年を避ける唯一の方法で、休学=退学と思っていました。
海外留学に対する未練を残しつつ、なんとか友達についていくことで留年をすることなく、無事に大学をストレートで卒業したのでした。
社会人になってからの数年は仕事を覚えるのに必死でしたが、比較的ホワイトな企業に就職したため、数年経つと余裕ができ始め、仕事に対して退屈を感じるようになりました。
部署の移動や転勤など様々なことを経験しましたが、このモヤモヤは消えることがなく、むしろ増していく一方でした。
「一度きりの人生このままでいいのか?」「何か大きなチャレンジをすべきではないか?」もう1人の自分の声と、「安定した生活」という現実的な選択の板挟みから抜け出せないまま鬱憤とした日々が続きました。
なんとか自分を変えたいと思い、自分と向き合うための本を買ったり、コーチングを受ける中で、自分が本当に興味のあることをとりあえず始めてみようという結論に達しました。
そこで海外生活に対しての熱意が再燃してきました。
ゴールを「英語を使って仕事ができるようになるまで、英語力を高める」とし、その第一歩としてTOEICの勉強を開始しました。
新たな目標を見つけた私は、今までの鬱憤が嘘のように晴れ、英語学習に没頭していくのでした。
どこに行くのにも単語帳を持参し、毎日オンライ英会話でスピーキングを鍛え、予定のない土日はカフェで一日TOEIC対策と向き合いました。
最初は低かったTOEICの点数も、一年位たつと800点を超えるようになり、準備は整ったと思いました。
あとは英語を使う部署へ異動できればと思い、上司に相談しましたが会社の仕組み上、異動にはかなり時間がかかることが判明しました。
自分の計画性の無さに呆れつつも、せっかく人生で目標ができて、その夢に向かって突き進んでいたのにと、またまたモヤモヤとしたものが再度自分の中に立ち込めました。
一番私が恐れていたことは、この熱意が冷めてしまうことでした。
時間をかけてやっと見つけた目標。それを達成するまでの努力全てが意味のないものになってしまうのが怖くなったのです。
その頃、海外への留学という選択肢があるということもぼんやりと思うようになりました。
「給料も待遇も良いこの環境を捨ててしまって良いのか?」
「もう30歳。帰国後の転職活動は悲惨なことになるぞ。」
様々な葛藤が私の頭を駆け巡っていく中で、「人生一度きり。やりたいことをやろう」というどこにでもありふれた言葉が妙に私に刺さりました。
安定よりもワクワクの方がどんどん膨れ上がり、この気持ちを優先しなければ後悔すると思うようになりました。
そこからの行動は早く、すぐに上司に辞表を提出したのでした。
周りは思ったよりも応援してくれる方が多く、上司からの引き止めはありましたが、最後には応援してくれるようになりました。
昔ながらの企業でしたが、働いている人は皆良い人で、離職率はとんでもなく低く、本当に良かったのかとチラリと思いましたが、長期的に見ると、海外行かなった方が後悔するなと思い、やはり自分の決断は間違っていなかったと思いました。
今の私が思うに、当時の私は金銭的にも余裕があり、人間関係も良好で、人生でどん底を経験したことがなく、「まあなんとかなるでしょう」という甘い考えがあったと思います。
幸運にも人に恵まれて生きてきた私だからこそ、「あの地獄には戻りたくない」などの辛い経験もなく、だからこそ決断できたとも思います。
これから地獄のような生活が待っているともつゆとも思わず、英語学習を続けながら期待と不安の中で出国までの時間を過ごす所でこの章は終わりです。
ご精読ありがとうございました。