私にとっては悪魔だった、あの人

穏やかで、優しくて、面倒見の良い人だった。
反して嫌いになると、相手に対してどこまでも冷たくなれる人だった。
女性らしくて、優しくて、可愛くて、とびきりいじわるな人。
そんなあの人が亡くなったのは、寒い冬の日のことだった。

そもそも、あの人と私は、仲がよかった。
職場で出会い、なんとなく気があって交流が始まった。
一緒にライブに行ったり家飲みしたり、恋バナしたり。
10歳差(私の方が下)なんて、気にならなかった。

でも。
仕事で深く関わるようになって、関係は変わった。
私も生意気だったと思う。
意見したり、反抗的な態度をとったりしたから。
気付けば職場で孤立し、お菓子外しをされ、女性陣全員から無視されるようになった。
主犯格は、優しくて穏やかなあの人だった。

孤立後は、毎日が地獄だった。
必要な情報がもらえない。
重要な情報を私だけが知らない。
仕事も思うように進まない。
残業するようになっても、周りはチームなのに私は1人。
毎日続く無視。
あいさつを投げても返ってこない。
目線すら合わせてもらえない。
ランチや飲み会も外された。
孤立無援だった。

そのうち、あの人の声を聞くたびに動悸がするようになった。
あの人の姿を見るたび、たまらなく怖くて、逃げ出したいほどの恐怖を感じるようになった。
後ろ姿を見かけただけでも、心臓がドドドドっと踊る。
唾液の味が変わり、胸がキュキューっと縮まる感じがする。
家に帰るなり、涙があふれてくることも何度となくあった。
孤立させられている自分がみじめで、恥ずかしくて、つらくてたまらなかった。

苦しくてたまらなくて、楽になりたくて、逃げ出したくて、死を考えた。
高台に登るも、怖くて死にきれない。
どうせ辞めるなら上司に全部ぶちまけようと思い、ある日上司に全てを話した。
「無視されている、仕事に必要な情報ももらえない、もう限界だ、異動か出向をしたい、それが叶わなければもう辞めたい」

その数ヶ月後。
念願叶って私はあの人から遠い場所へと異動した。
これで生きることができる。
心からそう思った。

それから私は、なりふり構わず働いた。
すると、いくつもの結果が残り、その結果が私を守ってくれるようになった。
気がつけば、10歳上のあの人と同じ役職になっていた。
がむしゃらに働いたので、猛烈な働き方を嫌う人や嫌がる人もいたけれど、あの地獄を思えば全然マシだった。
結果を出し続ければいいだけのこと。
私は、自分の居場所を自分で勝ち取った。
そう思っていた。

10年という時が過ぎた頃。
ご縁だろうか、あの人も異動となり再び職場で顔を合わせることが増えた。
けれどお互い、あいさつのみ。
業務連絡は滞りなく。
プライベートな話は一切しない。
ランチも飲み会も一緒に行かない。
ほどよい距離感。
私はあの人を許したつもりでいたけれど、もう二度とかかわりたくないとも思っていた。
自分の中では、もう10年も前に縁を切った人。
自分の人生に、もう関わりもない人。

「また傷つけてみろ、今度は100倍にして返してやる」
心の底では、いつもそんなことを思い防御を張る自分もいた。
許したはずなのに。
どうやら「許し続けること」にはとてつもないパワーがいるようだ。許し続けることも苦しいのだと、初めて知った。

そんなのが日常になったある日。
訃報は突然だった。
あの人が亡くなった。
前日まで普通だったのに、無断欠勤が続いたのだという。
そして一人暮らしの部屋で息絶えていた。
原因は心臓らしい。
優しくて、可愛くて、とびきりいじわるなあの人は、誰にも看取られることなく、たった1人で逝ってしまった。

訃報を聞き、呆然と「あの人は自分の人生を全うしてあちらに帰ったのだ」と思った。
そしてまた、あの悪魔のような顔を思い出した。
思い出したくもないのに、思い浮かぶのはあの地獄の日々ばかり。
私を孤立させ、悪口を言って笑う姿。
動悸がする。
怖い。
彼女はいま、どのようなお顔で棺の中に入っているのだろう。
彼女の顔を見たくない。
見られない。
香典を共通の知人に渡し、通夜やお葬式には行かなかった。
というより、行けなかった。
彼女の顔を見るのが怖かったから。

彼女の死から数ヶ月後。
私と彼女のもつれを知らない、共通の知人がこんなことを言った。

「彼女はお嬢さまだったからね。ご両親からの愛情を一身に受けて育ったから、おっとり、ゆったり、穏やかで優しい人だった。キツイところはひとつもなかった」

私にとっては悪魔のようなあの人が、まるで天使のように語られている。
私が知らない、あの人の姿。
いや、知っていたけれどフタをしてしまったあの人の一部分。
優しくて、穏やかで、とびきりいじわるだったあの人の、優しくて温かい一部分。


優しくて、温かくて、とびきりいじわるだけど、女性らしくて可愛いあなた。
楽しくてつらい、たくさんの学びをありがとう。
大好きで、大嫌いでした。
悪魔で、天使でした。
ご冥福をお祈りしています。

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