When I Dream...
Oさんとご飯を食べている時に「好きな映画BEST3は?」と聞かれて、とっさに答えられなかった。いろんな観点があるから、例えば、恋愛ものだったら、青春ものだったら、SFはあまり見ないけれどSFものだったら、等によって、そのチョイスは変わってくるような気がする。
でもジャンルを超越して、1本だけは決まっていて、それは『ニューシネマパラダイス(完全版)』だ。どのくらい好きかというと、他の好きな映画はBlu-rayやDVDを買ったり、最近はほとんどがサブスクに入ってきているのでお気に入りリストに入れて繰り返し視聴したりしているけれど、『ニューシネマパラダイス』は、一度見始めたら現実に帰ってこられなくなってしまうので、ディスクも持たず、サブスクでもリストに入れず、よほど心身の状態が良い時でないと観ないことにしているほどだ。だから、好きな映画だけれど、詳細なあらすじについては覚束ない程度にしか、繰り返し観たことがない。ただ、アルフレードのフィルムを再生する圧倒的なラストシーンだけは鮮明に覚えていて、あのフィルムができあがるに至るアルフレードとトトの幸福な日々の思い出も踏まえた上で、あんなに幸福の塊のようなものが凝縮されたものを観てしまった現在のトトのことを思うと、胸が詰まる。
なぜ、Oさんと好きな映画の話になったかというと、最近、昔の映画が4K版でリバイバル上映されることが多く(『恋する惑星』とか)、その流れに乗ってか『シュリ』も4K版が公開されたので観に行く予定にしている話をしたからだ。
"永く見ることが叶わなかった、愛と衝撃の大傑作、再び"という配給会社の宣伝文句は大げさだけれど、でもその通りで、『シュリ』は今まで配信もなく、ディスクも入手困難な状態が続いていて、なんと25年ぶりの劇場上映とのこと。ということは、私が前にこの映画を観たのは25年も前なのか…と少し気が遠くなりもする。
いわゆる韓流ドラマにはなかなかハマれないのけれど、映画館で1回しか見ていないにも関わらず、『シュリ』はずっと記憶に残っている映画だった。北朝鮮の工作員/イ・バンヒを追う、韓国の情報部員/ユ・ジュンウォンの話。北朝鮮と韓国の緊張状態と、その裏にあるイ・バンヒらの悲劇が印象的だった。当時付き合っていた人と地元の映画館で観て、上映終了後も放心状態で泣き続けたことをよく覚えている。
その記憶が鮮烈だったので、今回一人で観に行くことにしていた私は相当警戒していた。今のまったくよろしくない心身状況で、そもそも映画の上映時間の間、耐えられるのか。終わった後、動けなくなったりしないのか。
結論を言うと、物語の前半以外ではほとんど泣くことはなく、終わった後も冷静だった。なぜか。
25年ぶりの『シュリ』は、やはり素晴らしい映画だった。テンポも良いし、低予算にも関わらず、アクションシーンも工夫して撮られていてそれを感じさせない。ありがちな悲恋ストーリーではあるけれど、でもそこにきちんとディテールを載せることで、その悲劇は登場人物たちに固有のものとして観客に新鮮に届く。
ただ、人が亡くなりすぎるのだ。魚たちも。工作員であるイ・バンヒは目的のためには人を殺すことも厭わない、それ以外を選ぶ選択肢も与えられなかった、それこそが、北朝鮮と韓国の緊張状態の真髄で、悲劇そのものなのだけれど、イ・バンヒや仲間たちが、もしくはユ・ジュンウォンたちが、戦闘シーンで銃を撃つ度にバタバタと人が倒れていく。全く好きな言葉ではないけれど、所謂モブキャラの人たちにも何にも代え難い人生があって、その人たちやその周囲の人たち(それぞれに家族や友人もいるだろう)、一人一人に思いを馳せていると、メインのストーリーや、クライマックスの盛り上がりにどうしても気持ちがついていかなかった。
25年経ち、私も多少は大人になり、多くの人と出会う中で、自身も含め、それぞれの生の重さを体感してきたからなのだろう。ある人が「不当に酷い目にあう作品が苦手」と言っていたその気持ちが、今ならよくわかる。どうして人生は幸福だけで構成されないのか。
物語の中で、イ・バンヒ自身もこの悲劇に苦しんでいるであろうことは、示唆されている。ネタバレになるので明確には書けないが心身状況に表れているのと、この悲劇を終わらせるために、明確に自分から死に向かっているシーンが、2回ある。イ・バンヒに大切な人を殺されてしまった人たちには、そんなことは関係ないことなのだが。
唯一の救い(と言っていいかどうかわからないが)は、イ・バンヒと対峙してきたユ・ジュンウォンは、最終的にイ・バンヒのことを許したように思えることだ。彼もまた、あまりにも多くの人を亡くしてしまっていて、軽はずみなことは全く何も言えないけれど、ただイ・バンヒと向かい合った時間は確実にあって、その中で彼が信じたものは決して嘘ではないということを、悲しくも理解したように思う。
私も、その人を見て、感じて、その人から聞いたこと以外は、信じないようにしようと思っている。私自身についても、誰かからの伝聞とか、勝手につくりあげたイメージではなく、私と直接話して聞いたことだけにして、という気持ちが特に最近強くあるのは、苦しさの中にいるからだろうか。大事な人たちに、自分のことを理解してほしいと願う切実さは、私の中にも確実にある。
冒頭に挙げた『ニューシネマパラダイス』同様、『シュリ』にも幸福の塊のようなシーンがいくつかある。ユ・ジュンウォンが、恋人のイ・ミョンヒョンと過ごすシーン。ユ・ジュンウォンの相棒、イ・ジャンギルも含めた3人で夜に遊びに行くシーン。雨でびしゃびしゃになって、笑い合うシーン。水槽の前のキス。25年ぶりの『シュリ』で私が唯一泣いたのは、物語の後半ではなく、かなり前半のこれらのシーンだ。幸福な時間だけで良い、このシーンがずっと続いてほしいと、祈るように思いながら観ていた。
象徴的に繰り返し使われる劇中歌は、Carol KiddのWhen I Dream。
私は歌手にだって、ピエロにだってなれる
誰か、月に連れて行ってと頼むこともできる
でも夢を見る時には、あなたのことを見るの
そしていつか、あなたがきてくれる
と歌うこの歌は、あまりに切ない。