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源さんとのTwo voice.「TwoVoice」何が良かったですか?と聞かれて

何だろう、こう。
のぞき見している感じ、あのポジションがすごく好きなんです。
この動画では様々な場所にカメラが設置されていて、会話のリズムに合わせてスイッチングされてますよね。それでいて、演者の方がどのカメラも見ていない。何の責任もなく空気のように二人と一緒にいられるようで心地いいんです。

自分もビデオカメラになりたい、と思う瞬間が多々あるんです。
例えば、最近は出来ていないですが、大人数の飲み会の時、いつもは目立たない二人が端の方で楽しそうにお喋りするのを見た時なんかがそうです。普段どんな考えを持っているかわからない2人が何に興奮しているのか知りたい、という気持ちが僕の中には強くあります。ですがもう少し聞きたいな、と思って近くに行くと、その人たちが僕を意識しますよね。あ、近くに来たな、と。するとなんとなく彼らの間に緊張感が走り、心の開き具合が少し狭まる感じがして。
今まであれほど笑っていたのに、ちょっとひきつったり。どちらかがトイレに立ってしまったりね。
こういう時、ビデオカメラだったらいいのに、と思います。


あと、心の深いところが癒されていく感覚があります。
なんかその、心って何層にも重なって出来ていませんか。退屈な会話をしているときは、心の表面的な部分の感情を使ってコミュニケーションをしている感じ。まったりバーで気心の知れたマスターと話す時なんかは心の深い層同士でコミュニケーションをしている感じ。

最近の音楽もそうだと思うのですが、機械の発展によって、1秒間に入れられる情報量(音)は格段に増えてますよね。本来人間の技術では物理的に不可能なスピードの演奏であったり、本来大人数で演奏しないと不可能な数の音数を同時が出せたり。Youtubeのタイムラインのスクロール一つとっても、大量の文字が流れ、サムネイル画像が流れ、見た顔があったり初めての顔があったり、人の笑顔があったりイラストがあったり。これだけでもすごい情報量です。

どれだけ脳の処理速度が進化したとしても、人間が幸せを感じられる時の空気の速度は変わらないような気がしていて。
その幸福感を感じられる速度をこの動画では大切にしてくださっている気がしています。

編集の仕方一つをとってもそうです。演者の2人が考えている時間をカットしずにそのまま流したり。源さんがトイレに行ってくるね、と相手に言うシーンもそのまま流したり。映像内で紹介された音楽をこちらが聞くための時間を設けてくれたり。
視聴者の深い所に流れる時間を置いてけぼりにしてしまわない慎重さを持ちながら、創っている気がします。
さらに言うと、演者の方たちもそうです。
目に見えないものではありますが、そこには落としてはいけない生卵がスプーンに乗っていて、それを自分の焦りやエンジンの振動で落とさないようにする配慮のような物を僕は感じました。
謙虚さとリスペクト、それからプレゼントの気持ち。

そういうものがそろって、あの温かさ、としか言いようのないものを頂くことが出来ているんだと思っています。作って下さっている皆様、そして皆様を作り上げてきた周りの皆さま、本当にありがとうございます。

この動画で心の深い層でされるコミュニケーションの魅力を改めて実感しました。世の中生きていると色んな事があるから、たまにこういう深いコミュニケーションと出会えると本当に癒されます。

またいつか出会える日を楽しみにしています。
心のTwo Voiceに耳を傾けながら。


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