白瀬咲耶となくしもの、ひろいもの~794.62MHzに寄せて~
はじめに
皆さんどうもご機嫌よう。本日10/31から794.62MHz(なくしものメガヘルツ)というアンティーカのイベントコミュが始まりました。
今回、イベントコミュにおいて自分の担当アイドルである白瀬咲耶さんに対して改めて思ったことなどがあったため筆を執らせていただきました。コミュの本筋の話と少し逸れてしまいますが、ご了承ください。
戻ってこない「なくしもの」
このイベントコミュは摩美々がラジオのパーソナリティーをすることになったところから始まります。
そのラジオのコーナーでは、なくしたものについてのお題のメール、
(後半からは拾ったものについてのメール)がリスナーに募集されており、それについて摩美々と週替わりで来るアンティーカのメンバー、
リスナーと話をするというものがあります。
そして、そのラジオにも咲耶が週替わりのゲストとして来ました。
そのコーナーにおいて、咲耶が最近なくしたものについて話すわけですが、咲耶は、
……ッスゥ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あのさぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この娘さぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
かわいいかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すみません、本筋から逸れましたし、取り乱してしまいました。
さて、リスナーからそのコーナー宛にメールが来ており、
『お気に入りのハンカチを旅行先の海外でなくしてしまい、探しようがない。気に入っていたものなのでとても悲しい。』
という趣旨のメールが来ていました。
それに対して咲耶は、
「なくしたものが、もう戻ってこないとしても……それだけ大事なものがあったということは———それは幸せなことだったんじゃないかと……———」
と答えました。
このように咲耶が答えた理由は、彼女の生い立ちにあります。
幸福のリズムにおいて父親に浴衣を着つけてもらった思い出や、
線たちの12月においてもクリスマスツリーの飾りをした思い出など、
咲耶が父親と過ごした思い出はよくコミュに登場しますし、
彼女自身父親との思い出は幸せなもの、大事なものであったといえます。
しかし、シャニマスをプレイしていて、コミュをなんとなく読んだことのある方ならおそらく知っているかもしれませんが、彼女は幼いころ、両親との死別を経験しています。
死というものは人間生きているうえで逃れようのないものですし、時というものは巻き戻すことができないものであります。そのため、彼女のなくした「両親」というものはもう戻ってこないものです。しかし、咲耶が父親と過ごした大事な思い出があった、ということは彼女にとって幸せであったわけですし、こう答えたのも納得がいきます。さらに続けて、
「また、そう思えるものと出会えるといいですね」と答えており、
これは彼女がプロフィールカードに書いたように、
「もし生まれ変われるならもう一度両親との子供に」という答えから、
彼女自身も大事だと思えるものと出会いたいと感じているからこその返答だったのではないでしょうか。
しかし、咲耶はそう思えるものに既に出会っています。
それは、アンティーカです。
彼女にとって同じユニットである、恋鐘、摩美々、結華、霧子に出会えたことはかけがえのない出会いであり、
アンティーカの思い出(これまでのイベントコミュの内容)が
今回のイベントコミュの終盤で登場したこともそれを暗示している
と考えます。だからこそ事務所のあるとされている東京から
離れた出身者の多いアンティーカのメンバーと咲耶が出会えたことが奇跡のように感じますし、
咲耶がアンティーカにいてくれて本当に良かったと改めて感じます。
なくしてしまったひと、ひろったひとの思い
そして、ラジオの最終回、「なくしもの」と「ひろいもの」についてゲストのアンティーカのメンバーと振り返るのですが、
ここでは割愛させていただきますが、なくしてしまった人、なくしたいと思っている人、ひろったものを悔やんでいる人、ひろったことをよかったと思っている人など、さまざまな人がリスナーとして登場してきました。
これに対して咲耶は、
なくした人にも、ひろった人にもそれぞれに思いがあって……
その思いに、寄り添うことはできても……本当の意味で『わかる』ことは……できないのかもしれないなと……
と振り返りました。
この咲耶の発言に、私は咲耶のGRAD編、Landing point編での出来事を感じ取りました。
咲耶のGRAD編のコミュにおいて、モデル時代の咲耶に戻ってほしいと望むファンが登場し、咲耶に宛てた手紙でその思いを伝え、咲耶はそれに対して悩んでしまいます。
この出来事をこのコミュの言葉を借りて表すならば、
モデル時代の咲耶を「なくしてしまったひと」にあたるわけで、咲耶は、アンティーカに入って良かった、つまるところ「ひろったことをよかった人」にあたる一方でそのファンの思いを「ひろい、後悔したひと」にあたるわけです。
しかしながら、先ほども述べたように時は巻き戻すことはできないですし、
モデル時代の咲耶に戻ることは、アンティーカに出会ってしまったためできません。そのため、モデル時代の咲耶に戻ってほしいという思いに寄り添うことはできたとしても本当の意味で『わかる』ことはできないのではないかというのがGRAD編での出来事の彼女なりのアンサーとして、
当てはまるのではないでしょうか?
また、Landing point編においてライブの下見で訪れた小学校にて、
お迎えを待つ少女が登場します。彼女は一人でお迎えを待っており、
その姿が幼少期の咲耶自身の姿に重なり、プロデューサーと咲耶はその少女とお迎えを待つことになりました。後日、ライブのお礼の手紙が彼女のもとに届き、咲耶がアイドルとしての道を選んだことによって救われた人もいるということを彼女に再認識させたのです。
再びこの出来事をこのコミュの言葉を借りて表すならば、
咲耶はお迎えを待つ少女の思いを「ひろったことをよかったと思う人」にあたるわけです。
これは彼女の思いに寄り添ったからこそ生まれた結果なのではないでしょうか。
また、たとえなくした人、ひろった人の思いが『わかる』ことができなかったとしても、人が私(咲耶)に望むもの、そのすべてに応えたい、そして手を伸ばして寂しがっている誰かの支えになりたい。という彼女の信条は揺らぐことはないということが表れていたと感じ、咲耶の人間性の成長を感じ、感動しました。
結びに
このコミュを通して改めて咲耶に感じたのは、咲耶の人が「私(咲耶)に望むもの、そのすべてに応えたい、そして手を伸ばして寂しがっている誰かの支えになりたい」という彼女の信条が自分に心動かされることが多く、好きだな…と感じました。
また、先ほども述べましたが、咲耶がアンティーカのアイドルになるという道を選んでくれたことにプロデューサーとして感謝の気持ちしかありませんし、オタクとしても本当に良かったと改めて感じました。
最後になりますが、感謝の意を表して記事を締めくくらせていただきます。白瀬咲耶さんと白瀬咲耶さんを演じてくださる八巻アンナさん、本当にありがとうございます。これからもお二方の活動を心から応援してまいります。