見出し画像

ムービー・オージー・クロニクル その7

『ムービー・オージー』プロモーション終焉と「ビデオ・オージー」?の話

その6はこちら

映画やTV番組、CMなど、バラバラのフィルム素材を上映しながら、その時の気分や会場のノリに合わせて映像を切り替えていたパフォーマンスアート的な時代から、一本の“映画”としてまとめられ(と言っても、上映時間は3~7時間と幅があったが)、70年代中頃からは友人を映写技師として雇い、ダンテとデイヴィソンがいない状態でも『ムービー・オージー』を上映できるようになったことは、このプロモーションイベントに力を入れてきたシュリッツビールにとって、歓迎すべきことだっただろう。
ダンテたちにとっても、このプロモーションイベントは生活の為にも重要だった。
インタビューでも「儲かったよ。大変な仕事だったけれど、実際に成果が出ていた」と語っている。
伝説はじわじわと大きくなっていった。
学生たちの間では口コミでも『ムービー・オージー』は広がり始め、まだ見ていない人は「それ何?」と興味を持つようになったが、説明が難しい作品だけに、「『ムービー・オージー』を見た人が、その体験を人に話しても信じてもらえないんだよ」ということだったようだ。
当時の上映については、記事になったものが少なく、前回も書いたように、いつどこで上映があったか記録に残っていない点も多い。ダンテによると「観客たちの記憶が欠如してるんだよ。アルコールで酔っぱらってたか、別の理由で参加者がハイになってたからね」と、冗談めかした発言をしているが、上映の翌朝、会場の汚れた床や壊された小便器の片づけをしなければならないこともあったというから、観客がハイになっていたのは間違いなさそうだ。

話は逸れるが、記憶の欠如ということの繋がりで、ダンテ自身もほとんど忘れていたというビデオ配信版『ムービー・オージー』について触れておきたい。
1972年か73年に、ニューヨークのVideo Tape Network (VTN)という会社が、『ムービー・オージー』のテレシネ版を大学キャンパスに配給する権利を取得し、大学内の有線テレビネットワークで配信していたらしい。
VTNの広告には、以下のようなことが書かれている。

私たちは皆、テレビを見て育ってきました。
幼い頃からテレビはベビーシッターであり、先生であり、友人です。

しかし、大学に入る頃には、その友情も薄れ始めています。
毎週毎週、同じことの繰り返しで、みんなが退屈し、うんざりしている。

それがVideo Tape Networkを始めた理由です。

Video Tape Networkは、大学生の視聴者専用です。
キャンパス内のテレビで、学生たちが見たい番組を見ることができるようになったのです。

大衆向け、多様な視聴者のための番組編成という制約から解放され、私たちはどこよりも刺激的で、最も適切で、最も面白い番組を編成することができました。いくつかの番組をご覧いただければ、その意味がお分かりいただけるでしょう。

VTN広告文より
VTN広告1ページ目。右上の画像が『ムービー・オージー』
VTN広告2ページ目。

その広告に記載されている作品を確認すると、現在でもカルト的な人気を誇るテレビドラマ「プリズナーNo.6」(1967~1968年)や、モキュメンタリー映画『懲罰大陸★USA』(1971年)、ジェーン・フォンダ、ドナルド・サザーランドらがベトナム戦争反対を訴えるイベントの映像(のちに『F.T.A.』(1972年・未)のタイトルで映画化されたもの?)、ドキュメンタリー映画『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』(1972年)、マリファナを扱ったエクスプロイテーション映画『リーファー・マッドネス/麻薬中毒者の狂気』(1936年)、他にもブラック・サバスやジェネシスのコンサート、スポーツなど幅広いジャンルを扱っていたようだ。

『ウィンター・ソルジャー ベトナム帰還兵の告白』ポスター
『リーファー・マッドネス/麻薬中毒者の狂気』ポスター

それらの作品の中の1本として『ムービー・オージー』もビデオ配信されていた。VTNは全米234校を提携校としていたというから、前回触れたシュリッツの宣伝文句「25万人以上の大学生が『ムービー・オージー』を見た」というのは、この数字も加えられたのかもしれない。

前回、前々回にも載せた上映リストに★がついている2校が、配信版『ムービー・オージー』ということになる。

1973年10月のオークランド大学ニュースには、5時間版だったという記載があるが、広告をよく見ると『ムービー・オージー (パート1)』となっており、何パートかに分割されて配信された可能性もある。

VTN広告のアップ。『Movie Orgy (Part 1)』と記載されている。

また、正確な日付は不明ながら、1973年2月にもロングウッド大学で配信されていたようだし、モンローコミュニティカレッジの記事には「VTNショーの『The Son of Movie Orgy』のプレミア上映は大成功だった」とあり、詳しい配信時期やタイトルも含めたバージョン違いなどについても詳細は不明だ。
残念ながらダンテはVTNから料金を受け取ったかどうかも覚えていないし、どのようなビデオフォーマットだったのか(おそらく1インチのオープンリールだったのではないか)も分かっていない。
VTNは権利問題と経費の問題などで、1983~84年頃に閉鎖されているが、配信版『ムービー・オージー』のビデオ素材がどこかのアーカイブに保管されている可能性はある。今後の調査が待たれるところだ。

さて、「シュリッツ・ムービー・オージー」に話を戻そう。
ダンテとデイヴィソンがいなくても、映写技師を雇って『ムービー・オージー』を上映できる状態にはなったが、まだ映写には熟練した技術が必要だった。
もともと様々な素材を寄せ集めたフィルムのため、フォーカスや音声レベルの調整は上映中でも常に必要だったし、途中でフィルムがバラバラになることもあって、それを繋ぎ合わせなければならないこともあった。
そして上映が終わり、フィルムがダンテのもとに戻ってくると、傷んだ部分の修理やクリーニングをするためにかなりの手間と時間がかかっていたし、また別の面白いフィルムを見つけるたびに、それをどう繋げるかを考えたり、実際に編集する時間も必要だった。さらに無音のシーンで流していた「War Baby」のLPレコードが破損して使えなくなってしまった。

1973年、「B級映画の帝王」とも呼ばれた映画プロデューサー・監督の、ロジャー・コーマンがニューヨーク大学で講師もしていたマーティン・スコセッシのもとを訪れ「誰か使えそうな奴はいないか?」と尋ねた。スコセッシはデイヴィソンを推薦し、コーマンの会社・ニューワールド・ピクチャーズで仕事を始めることになった。
翌74年にはダンテもデイヴィソンから誘いを受け、ニューワールドで予告編編集の仕事に就く。

デイヴィソン、ダンテが立て続けに就職したことにより(と言っても、ニューワールドからの収入が少なかったため、『ムービー・オージー』上映の収入で生活費を稼いでいた状態だったが)、学生の遊びの延長で始まった『ムービー・オージー』を取り巻く状況、そして時代も変わり始めていた。
ベトナム戦争の終結、ウォーターゲート事件も過ぎ去り、ホラー雑誌「キャッスル・オブ・フランケンシュタイン」が休刊。
観客の世代も変わり、以前ほど『ムービー・オージー』に反応しなくなったと感じたシュリッツは、映画の内容に口出しはじめた。
・上映時間が長すぎるので、短くできないか。
・「原始家族フリントストーン」(1960〜66年)や「0011ナポレオン・ソロ」(1964〜68年)など、何か新しいものを入れられないか。
そんな提案をダンテは断固拒否した。

「フリントストーン」も「ナポレオン・ソロ」も、見方によっては<キャンプ>な作品ではあるが、ダンテはそれらを<『ムービー・オージー』にはそぐわない素材>と判断したらしい。
ダンテの言い分はこうだ。
「エド・ウッドレベルの素材で、でもとても真剣に取り組んでいて、(作り手が)自分自身を真面目に捉えている作品が最高に面白いということを彼ら(シュリッツ)は理解していなかったんだ。そして意図的に作られたキャンプな題材に手を出した途端、それは自分自身を茶化すことになり、同じようなインパクトは得られないし、ノスタルジアの価値も無くなってしまう。(『ムービー・オージー』の)最大の魅力の一つは、50年代の子供向け作品には、それまで見たことも考えたこともなかったようなシーンがたくさん作られていたんだ。観客は長年見てきたのに忘れていたものを、瞬時に思い出す。それで観客同士に強い絆が生まれるんだよ。また政治的にも、当時は反戦、反体制の姿勢が強く、それが僕らの政治だったし、それは今も変わらない。だから『ムービー・オージー』には反政府・反戦の要素が多く、当時のトーンに合っていたわけさ」
前述の通り、フィルムの修復やクリーニング、追加の編集にかなりの手間と時間がかかること、そして「ニクソンの映像で笑いが取れなかった時に、そろそろ片付ける時期が来たと気づいたんだ」と、ダンテは語っている。

そして、シュリッツという会社自体にも変化が起こっていた。
1974年、発酵工程を短縮する技術を導入し、安く販売しようとしたが、ライバル企業は逆に高級なイメージを打ち出したため、シュリッツのビールは安かろう悪かろうというイメージを消費者に与えてしまった。また、76年にも泡安定剤の変更によって品質の低下を招き、大きなダメージを受けることとなってしまった。さらに追い打ちをかけるように、76年11月にCEOが急死。経営に混乱が生じた。味の評判も下がり、売り上げも落ち込む一方だったようだ。

1976年、ニューワールド・ピクチャーズで、ダンテは同じ予告編部門の同僚、アラン・アーカッシュと共同で『ハリウッド・ブルバード』を監督。デイヴィソンも同作品でプロデューサーを務めている。
2人はプロの映画人として活動を始めた一方で、アマチュア時代の作品『ムービー・オージー』の上映は終了を迎えた。
『ムービー・オージー』オリジナル上映に関する最後の記録は、1977年4月、ニューヨーク州立大学の学生新聞「The Racquette」に掲載された「『ムービー・オージー』、誰もが楽しめるものを提供」という見出しの記事だった。

その後『ムービー・オージー』のフィルムは7つのリールにまとめられ、ダンテのガレージに放置される。
こうして『ムービー・オージー』は幻となった。

その8はこちら

参考資料

●編 中子真治.(1984年)『グレムリン100%』学習研究社.
●ÁLVARO PITA.(2021年)『JOE DANTE EN EL LÍMITE DE LA REALIDAD -EDICIÓN REVISADA Y AMPLIADA-』APPLEHEAD TEAM.
●Collin Souter.「Joe Dante on The Movie Orgy」. Movie reviews and ratings by Film Critic Roger Ebert. <https://www.rogerebert.com/interviews/joe-dante-on-the-movie-orgy>(最終閲覧日:2024年8月1日)
●Simon Abrams.「Like Going to Church: Joe Dante on "The Movie Orgy"」. Movie reviews and ratings by Film Critic Roger Ebert. <https://www.rogerebert.com/interviews/like-going-to-church-joe-dante-on-the-movie-orgy>(最終閲覧日:2024年8月1日)
●「Joe Dante」. Filmmuseum. <https://www.filmmuseum.at/en/film_program/scope?schienen_id=1374654433683>(最終閲覧日:2024年8月1日)
●Dennis Cozzalio.「JOE DANTE, YOUR MOVIE ORGY M.C.」SERGIO LEONE AND THE INFIELD FLY RULE. <https://sergioleoneifr.blogspot.com/2008/04/joe-dante-your-movie-orgy-mc.html>(最終閲覧日:2024年8月1日)
●Dennis Cozzalio.「“These things are part of my DNA”: JOE DANTE AND THE RETURN OF DANTE’S INFERNO」SERGIO LEONE AND THE INFIELD FLY RULE. < http://sergioleoneifr.blogspot.com/2009/08/these-things-are-part-of-my-dna-joe.html>(最終閲覧日:2024年8月1日)
●Michael Flintop・Stefan Jung.(2014年)『Joe Dante: Spielplatz der Anarchie』Bertz + Fischer.
●Frank Falisi.「Basic Instinct: Getting Lost in Joe Dante's "The Movie Orgy"」MUBI: Watch and Discover Movies.<https://mubi.com/en/notebook/posts/basic-instinct-getting-lost-in-joe-dante-s-the-movie-orgy>(最終閲覧日:2024年8月2日)
●Howard Prouty.「THE MOVIE ORGY」 Il Cinema Ritrovato.<https://festival.ilcinemaritrovato.it/en/film/the-movie-orgy/>(最終閲覧日:2024年8月2日)
●mrbeaks.「Joe Dante And Mr. Beaks Tumble Down THE HOLE (In 3-D)! Also Discussed: "Dante's Inferno" At The New Beverly!」Ain’t It Cool News: The best in movie, TV, DVD, and comic book news.<http://legacy.aintitcool.com/node/41944>(最終閲覧日:2024年8月2日)
●mrbeaks.「Mr. Beaks And Joe Dante Talk TRAILERS FROM HELL: VOLUME TWO, T.N.T. JACKSON And Much More!」Ain’t It Cool News: The best in movie, TV, DVD, and comic book news.<https://legacy.aintitcool.com/node/50685>(最終閲覧日:2024年8月2日)
●Natalia Keogan.「“Self-Aware Doesn’t Work for Us”: Joe Dante on The Movie Orgy, Matinee at 30 and William Castle’s The Tingler」Filmmaker Magazine.<https://filmmakermagazine.com/120737-interview-joe-dante-the-movie-orgy-matinee-the-tingler-2023/>(最終閲覧日:2024年8月2日)
●David Ruane Neary.(2015年)「‘It’s just one abomination after another’ A Preservation History of Joe Dante’s The Movie Orgy」
●「SHOW LISTINGS」. Fillmore East preservation society. <http://www.fillmore-east.com/showlist.html>(最終閲覧日2024年8月21日)
●「Fillmore East Video」. <http://www.joshualightshow.com/classic-videos/classic-videos-1>(最終閲覧日2024年8月22日)

いいなと思ったら応援しよう!