見出し画像

ワライカワセミの声が聴きたかったんだ



仕事が忙しいってのを言い訳にして、返信に2ヶ月もかかってしまいました。本当にごめんなさい。

そんな感じだったんで、先日ヨーリーが開いたTwitterのスペース「洞口依子のパイナップル・ツアーズデジタルリマスター公開記念爆弾小僧大作戦アンドロメダのカミガナシ〜!」(長っ!)にも中途半端な参加になっちゃって、これもまたごめんなさいという感じであります。

30年振りに劇場にかかる『パイナップル・ツアーズ』の事だけじゃなくて、あの当時や、そこに至る沖縄という場所で起きていたカルチャー的な話題まで語られてて、懐かしさもあり、意外に知らない事もあったりして楽しかったですねえ。

で、そのスペースの余韻を味わいつつ、ryo_kingが書いた書簡を読んだわけですが、そこで気がついたのは「あ、俺ってやっぱりこの流れに乗ってなかったんだな」というものでした。

思い出してみると、僕がラジオを聴くようになったのは70年代後半。「ナイト・ヤング・メイツ」と「ご存じ!深夜大学」という沖縄ローカル番組でした。ただ、パーソナリティーはほとんど県外出身者で、要するに内容は「標準語」だったわけです。(ただし、沖縄の若者向けの番組という観点から見れば、「ぶっちぎりトゥナイト」や後のローカル番組に与えた影響はかなり大きかったかと思います)
「この流れに乗ってなかった」というのは、僕が聴いていたのが琉球放送(RBCラジオ)で流れてる番組だったってところです。
そして「ぶっちぎりトゥナイト」はラジオ沖縄。ほとんどRBCラジオからチューニングを変える事をしなかったので、高良茂さんが人気だった事はもちろん知っていたんですが、僕はほとんど聴いた事がないんです。
いや、正直言うと何度かチューニングを合わせた事はありましたが、結局ちゃんと聴く事はなかったんですよ。
その理由は、これもryo_kingが書いている事なんですが「大人に反抗するヒーロー」に影響を受けた「ウチナーヤマトグチ」で喋る「悪ぶった奴」を僕が避けてたからです。
あくまで個人的な印象ですが、あの時僕が聴いていた番組は、東宝映画のような都会的なイメージ。一方あちらは不良感度の高い東映実録路線というか。何言ってんだ俺は。

画像1

さて、1970年代にはBCLブームってのがありましたね。
ベイシティローラーズ。(それはBCR!)
じゃなくて、短波ラジオで外国の放送を聴くのがブームだった時代があったでしょう。
ナショナルが出した「クーガー」とか、ソニーの「スカイセンサー」っていう、やたらメカメカしたBCLラジオが流行って、テレビCMもありました。「ラジオオーストラリアのワライカワセミの鳴き声」なんて、僕ら世代ならまだ覚えてる人も多いんじゃないでしょうか。
昔からそういうことに興味のあった、ウチの次兄が持ってたスカイセンサー5800ってラジオを使って、最初はワライカワセミの声を聴いてたんですが、まぁすぐ飽きちゃって、普通にAMラジオを聴くようになったなあ。

80年代になると、ローカル番組の「ナイト・ヤング・メイツ」「ご存じ!深夜大学」から全国放送に移行して、「パックインミュージック」(ナチチャコパック!)から「サウンドストームDJANGO」(大瀧詠一!ウルフマン・ジャック!)に。そこからしばらく空いて、自分のラジカセを買ってからは、「景山民夫のスーパーギャング ピテカントロプスの逆襲」(桑原茂一!ドラマンス<後のラジカル・ガジベリビンバ・システム>!)を毎週聴いたもんでした。
これ全て沖縄ではRBCラジオでの放送。ラジオ沖縄で放送していた「オールナイトニッポン」は、だからほとんど聴いた事がないという、やっぱり流れに乗ってないんですよねえ。


どういうきっかけだったかは思い出せませんが、小学6年生の時に「沖縄方言を使わないようにしよう!」と決めてから、沖縄の言葉や文化を知らずに来て、ryo_kingが書いていたのとは全く逆に「あんたナイチャーね?」と言われるようになった僕ですが、赤いジャンパーの袖を捲って腕の毛を見せれば一撃で沖縄の人間だと分かってもらえるわけで、つまりその、自分では意識してなくても、やっぱり「沖縄」は不発弾のように自分の中のどこかに隠れてたりするんでしょうねえ。
うーん。上手い事言ったつもりだけど、全然だわ。


今回は限りなく個人的な記憶だけでダラダラ書いたヨシミでした。
ではまた。
2022/05/13〜18


そういや真喜屋も一時期ラジオ番組持ってたよな…。ラジオ沖縄だったから、あんまり聴いてなかったけど。(笑)


いいなと思ったら応援しよう!