オードリー・ヘップバーン
☆―AUDREY・HEPBURN―☆
【オードリー・キャサリン·ヘップバーン】
1929年5月4日生~1993年1月20日没。
本名·Audrey·Catherine·Hepburn
アメリカよりも日本での人気が今もある女優ですね。
と、言うのは昔。
今は海外の女性達の憧れ、ファッションiconであり、ネットでは写真集等、Instagramやtumblerで沢山作っている方々が居ます♪
私個人もハリウッド・デビュー当時の顔やスタイルが大好きです♪
また、彼女のハリウッド引退後のボランティア活動等、生き方を尊敬してる方々も多く居ますね。
ベルギー生まれ。
貿易商の父親と男爵の娘の母親を持ち、幼い頃からバレエを習ってバレリーナを夢見ていた少女時代。
身長が170センチと高くなりバレリーナを断念。
第二次世界大戦の中、ドイツの支配下になるベルギーで レジスタンス活動をしたり、ろくに食べる物さえなかった頃から 太れない体質になり、スレンダーになったとも言う。
終戦後、イギリスでモデルの仕事をしながら、舞台にも出演。それを見た 作家のコレットが自分の原作「ジジ=GiGi」の主役として抜擢。
コレットは「私のジジ」と呼ぶ程、
Audrey Hepburn をお気に入りでした。
「ジジ」の舞台をイギリスで見た 監督のウィリアム・ワイラーが「ローマの休日」のアン王女として起用。ハリウッドデビューを果たす。
「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を受賞。「麗しのサブリナ」等、一躍人気スターになった。
(衣装デザイナー:イーデス・ヘッド)
いわゆる、サブリナスタイルは今でもAudrey スタイルとして有名ですが、衣装デザイナーはイーデス・ヘッドです。
「麗しのサブリナ」より。
デザイナー:ジバンシー
「パリの恋人」(1957)等、その頃から、
デザイナーはジパンシーとして定着。
オードリー = ジパンシーの衣装が有名になる。
彼女の髪型、洋服の全てが日本女性の憧れにもなり、真似をする人が続出したのも有名。
私個人も、今でもオードリーファションが好きです。
「パリの恋人」でのウェディングドレスは
それまで長い足を隠すドレスが主流でしたが、ジバンシーのこのデザインが流行になる。
何故、足首が見える短い丈にしたのかは、
フレッド・アステアとのダンスシーンがある為に綺麗に見えるようにと、ジバンシーはミディアム丈のドレスにしました。
バレエは踊れても、歌が苦手だったので、「マイ・フェア・レディ」では 歌は吹き替えでしたが、大ヒットになり、ハリウッドスターとしての知名度も絶対的になる。
品がよく、ハリウッド特有のスキャンダルもなく、プライベートでは2度の結婚で 2人の子供に恵まれ、スイスで過ごし、晩年はユニセフのボランティア活動をしながら、63年の生涯を閉じる。
☆代表作☆
「ローマの休日」(1953)
「麗しのサブリナ」(1954)
「パリの恋人」(1957)
「ティファニーで朝食を」(1961)
「マイ・フェア・レディ」(1964)
等の他にも有名なヒット作品多数。
椎名りつ子
2016.10.24
2019.12.12 noteへ移行
*2011. 8. 20の記事を編集し直しました。