朝は来るから
文化祭が終わった。オーケストラ部に入部して三年目の、最後の文化祭。全力で、チェロを弾き切った。アンコールに弾いた、ラデツキー行進曲が頭の中でがんがんといつまでも鳴っている。心地よい高揚感と、疲労感。さあ、ここからは受験に向けて進むのみだ。
「莉子~、譜面台これで全部?」
「うん! これで全部。ありがとね、涼香」
小野寺涼香は、フルートの首席奏者で、私と同じ三年。高校に入ってから、ずっとオーケストラ部で共に頑張って来た。部員のうち、私、星野莉子と涼香が、楽器のメンテナンスや片付けなどで音楽室に残っている。時計を見ると、午後八時半を回ったところだ。
「おーい、まだ残ってんのか? そろそろ帰れよー?」
顧問の大橋優助先生は、二十九歳で、独身。端正な顔立ちをしている。大学の音楽科でヴァイオリンを専攻していたので、腕前はプロ。当然、女子には人気だ。密かに私も、いいな、と思っている。特別な空気感の中、少しだけ動いてみようか。でも。でもなあ。
突然のブザー音。緊急地震速報に次いですぐに、ぐらりと世界が揺れた。
「伏せろ!」
大橋先生が叫んで、私たちを庇った。
これまで経験したことのない、強い縦揺れだった。
揺れ始めて数秒で、部屋の明かりが消えた。
「停電だ。星野、小野寺、大丈夫か?」
大橋先生がスマホのライトをつける。ホラー映画が現実になったようだ。
私と涼香は、恐怖で顔を真っ青にしながら、なんとか頷いた。
「とにかく、体育館に行こう」
体育館に着くと、他にも残っていた生徒たちが集まっていた。教頭先生が、不安に怯える私たちに向かって、無理に朗らかな声で話し出した。近くで強い地震があったということ。地区一帯が停電していること。学校には自家発電装置がないこと。公共交通機関はすべて麻痺していること。残っている生徒は全員、電車通学だということ。即ち、私たちは、ここで夜を明かさなければいけないということ。
「早急に家族に連絡をするように。電話はつながりにくいから、メッセージアプリを使用しなさい」
「涼香、家族と連絡、取れた?」
「うん、なんとか皆無事みたい。おばあちゃんも大丈夫……。莉子は?」
「お父さんと弟は家。お母さんは、たぶんまだ学校で……」
「そっか、莉子のお母さん、高校の保健室の先生だっけ」
お母さんは、今ごろ学校で対応に追われているはずだ。無事でいて欲しい。その気持ちしかない。
運悪く帰れなくなった生徒たちの表情は皆、不安で固まっている。私と涼香の他に残っている生徒は、同じ三年の二人。演劇部の小澤雄太と、映画部の古森真治だ。クラスは違うので、あまり話した記憶はないが、名前は覚えている。
余震が小刻みにやってくる。その度、私たちは恐怖に怯えた。スマートフォンの充電が無くならないように、バッテリーを低電力モードに設定する。時間が経つのが遅い。そうっと体育館を抜け出し、街の様子を伺った。この高校は、高台にある。街の明かりは、完全に消えていた。死んでしまったような街。絶望に、心が悲鳴を上げる。
「空、見てみ?」
そっと隣に立ったのは、古森だった。古森の顔を見上げ、そのまま、空を見上げる。
息が、止まった。
世界は、真っ暗だと思っていた。しかし、見上げた夜空には、宝石のように美しい、金や銀の、無数の星々が輝いていた。天の川が「ミルキーウェイ」と呼ばれることを、今、初めて理解した。夜空の星の光を、私はすっかり忘れていた。
「すごいね。星って、こんなにきれいだったんだ」
ふっと、古森が笑う。
「何で笑うの?」
「だって。お前の苗字さ、『星野』でしょ」
「あ……! もうっ!」
思わず、勢いで古森の肩を叩いた。
古森は、また笑った。
「俺、今夜のこと、絶対映画にする。本当は録画したいけど、今はバッテリーが減るからできない。だからこの景色を、脳に焼きつけてる」
星明りにうっすらと照らされた古森の横顔は、少し大人びて見えた。
体育館に戻ると、時計の針は十一時を回っていた。生徒も、教師も、緊張が解けずに、空気は重い。闇の時間が、こんなに長く怖いものだなんて、知らなかった。
大橋先生が私を呼んだ。
「星野。お前、チェロだけじゃなく、ピアノもやってたよな? たしか、五歳くらいからずっと。耳で覚えてる曲、即興ですぐ弾けるな?」
「はい……?」
「弾いてほしい曲があるんだ」
そう言って、大橋先生は、懐中電灯の光で、私をピアノへと導いた。演劇部の小澤が、後に続く。
「弾いてくれないか。SEKAI NO OWARIの『花鳥風月』」
私ははっとして、大橋先生を見上げた。先生は、ひとつ大きく頷くと、ゆっくりと時間をかけて微笑んだ。
私は、深く呼吸して、「花鳥風月」のイントロを弾き始めた。真っ暗な体育館が、私のピアノに合わせて鳴っている。
続いて、小澤が歌い始める。少し高い、天使のような、純粋で儚い声。最高のボーカルだ。
『いつから 夜空の星の光に 気づかなくなったのかな 夏の空を見上げる……』
夢中で鍵盤を叩き続ける。音楽を奏でていると、不思議なことに不安が薄くなる。
『めぐるめぐるめぐる星座のように 消えない夜空の光になれたら くらいくらいくらい闇の中でも 何も無くさずここにいられるかな』
さっき外で古森と一緒に見た夜空が浮かぶ。夢のように美しい天の川を、ピアノの音に乗せる。お母さんを思う。この空の下にいる皆が、同じように不安に包まれている。ひとりじゃないんだ。
曲はラストに差し掛かる。皆が一番聞きたいはずの、あのフレーズに。
『長い長いながい夜 静かに朝を迎える』
演奏を終えると、体育館にいた私たちは、全員で手を繋いだ。余震に怯えながら、大切な人の無事を祈り、つないだ手を通して、温かい命を感じながら、私たちは歌い続けた。
そして、本当に、朝は来た。
長い夜が終わり、私たちは、静かに朝を迎えた。
<終>
引用:SEKAI NO OWARI 花鳥風月 より
この短編小説は、小牧幸助さまの下記企画への参加作品となります。
部長、今週も書けました!
まだまだ半人前ですが、武者修行をさせて頂いております。本当に、ありがとうございます!
先週よりも今週、今週よりも来週。いいものを書いていきたいです。
昨日は、防災の日でした。
今回の作品は、2018年9月6日の、北海道胆振東部地震とブラックアウトの体験をもとに、書きました。あの真っ暗な夜に、身を寄せ合い、水を入れたペットボトルの下に懐中電灯を置いて、光を可能な限り拡散させながら夜を明かしたことは、鮮明な記憶として今も蘇ってきます。
夜空の星々が燦然と輝き、星明りってこの事なんだなと、現実から逃れるために、見惚れていました。
今思い出すと、大好きだったSEKAI NO OWARIの「花鳥風月」が、あの状況を表すにはぴったりな曲だったと思い、本作へと。
闇がどんなに深くても、朝は来るのだと解ったあの夜に、今は感謝。