『デイブレイク』/ろくでなしと海猫(前編)
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(はじめに)
この文章は、筆者がLHTRPGのキャラクターとして所持しているPC達の様子を妄想して書いてしまったものです。誤字脱字・設定違いなどあるかもしれません。大目にみていただければ幸いです。
なお、このお話は「前編」にあたります
後編にあたるお話『ナイトバード』はこちらからどうぞ
『ナイトバード』/ろくでなしと海猫(後編)|まーさん@ログホラTRPG (note.com)
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『デイブレイク』
=ろくでなしと海猫/前編=
“あのひと”と出会ったのは、2012年、冬のことだった。
何でもない名もなきダンジョンで起きた、何でもない出来事。
でも、全部、おぼえてるんだ。
私の物語のはじまりだもの、ぜんぶ、おぼえているんだよ──
… …
それまではただのログインボーナス目当て、惰性でログインだけし続けていた<エルダーテイル>。
日が変わるほどの時間に帰宅した、私・雨宮ましろ は、のそのそと夕食を食べたあと、ただただ部屋の中央でぼうっとしていた。平日の夜更け──システムメンテナンスが入ってもおかしくないくらいの時間帯、と言ったらわかりやすいだろうか。本日分のログインを忘れていて、あわてて立ち上げたPCは暗い部屋の中、ぼうっと浮かび上がるように光っている。
たいして熱心にやっていたわけでもなかった、<エルダーテイル>。
だから、その日そんな時間にきちんとプレイしてみようと思い至ったのはただの偶然だ。特別に寒い夜だったあの日の深夜、毛布にくるまり呆然とTVの広告がうるさく流れる中、ウィンドウの中で広がっていた、抜けるような青空と大樹の輝きの彩りに、どうしようもなく惹かれたのかもしれない。
ただ事実として、私は久々に当てもなく、セルデシアの世界をふらふらと彷徨う気持ちになったんだった。
ゲームスタート。
久々に動かす“海猫”は、私にとって唯一の使用キャラクター。
彼女はそれまで放置されていたことを怒ることもなく、私のコントローラーの動きに従順に従い、アキバの街を出発しはじめた。
あてどなく、西へ向かっていた。
もちろん徒歩だ。馬などない。ギルドにも入らず単独で冒険していた身に、空飛ぶ従者を呼ぶ召喚笛などあるはずもないんだ。噂程度に聞いて、便利そうだなぁとおもうだけ、別にほしいとも思わない。徒歩だって移り変わるマップを眺めているだけでもなかなか趣深いものだ。見知らぬ街を散歩している気分になれる。
現実の私は明日も仕事があるから、このド深夜では流石にどこにも行けないけれど、この世界では行こうと思えばどこまでもいける。
遠くへ。知らない景色へ。知らない人のもとへ。
……どうしてか、セルデシアの世界が非常に魅力的に思えた。この世界に入り込めたら楽しいのかな、とも一瞬思い、いやそんなバカな話、と一蹴する。そんなことを繰り返しぼうっと考えているくらい夢見心地でいた……というのは否定できない。
だから、すべてに気づくのが遅かった、遅すぎたのだ。
向かう場所は何処でもよかった。だから気分で迷い込むダンジョンを決めた。
名もないダンジョンだったものの、たまたまそこが、新パッチ適応で以前とは様変わりしていたダンジョンだった。『様変わり』なので、新出現ではないものの、どうしてしっかりとマイナーチェンジを受け、エネミーの総入れ替わりとレベル上昇の適応がなされたダンジョン。ランダム生成の一種であるこういうダンジョンはそれこそ星の数ほどある。名もなきなんでもないダンジョンに好んで調査に寄ろう…とかいうもの好きはまずいない。
ましてや、現実世界で夜更けの平日なんておまけがつけば、現状私がここのダンジョンに存在する唯一の冒険者となるだろうということくらいは、すぐにあたりが付くだろう。
そんな夜更けの名もなきダンジョンに、幸か不幸か、かなりの最深部まで進んできてしまったこと。
運の良さだけで保っていた針先ほどのバランスを失うのはあまりに突然で、あっけなく、あっさりとしていた。
夢見心地で適当な部屋に足を踏み入れた“海猫”が急に足を止める。
短い演出。つんざく音楽が危機を告げる。面白いようにわらわらと集合する、大量のエネミー。
説明がなくてもわかる。モンスターハウスだ!
敵たちの多くは今年適応された新パッチでのレベル上限であるレベル80で、新パッチ適応前すらレベルカンストさせていなかった“海猫”に、太刀打ちできるはずもない。
「しまっ──」
異変に気付き、慌てて脈動回復を掛ける。続けて多重回復に移るも、追いつかない。
HPゲージの減りが止まらない。
その意味は、どこか思考に靄がかかった頭でも簡単にわかる。
ああ。これは、間違いない。
やられる。
でも。……いまやられたとしても、町に戻されてしまうだけ。そして今回はただの散歩だ、別に何か大事なお宝やクエストの条件を持っているわけでもない。もちろん経験値が失われるのはもったいないが、それだけだ。
だったら、死んでも、べつに…いいかな、なんて。
だって、ゲームなんだし。
いや、ゲームじゃなくてもそうだ。ここは灰色、色無き世界──夜の底。
唐突なあきらめの境地は、抵抗という気力を失わせた。私はコントローラーから手を放し、エネミーへの抵抗を完全にやめた。対峙するエネミーの数の暴力にさらされ、ただ無抵抗にぼこぼこにされる“海猫”。脈動回復だけが淡く起動しているためその減少幅はまだ緩やかだが、エネミーはまだまだ増える気配を見せている。
うん、やっぱりひとりじゃ勝てっこない。
……どうでもいいよ。だって、私は。
画面から目を離す。
ヘッドセットからは、ダンジョン特有の危機を感じさせる音楽と、ダメージによる効果音が痛々しくひっきりなしに響く。その楽曲はまるで終わらない悪夢のようで、その効果音は見えない傷を何本も私の心に引いた。『なぜおまえはこんなところに来た』『お前などここに来てよい存在ではない』……と、まるで私を責めるように響きつづける。
ああ、ああ。
もう、……聞いていられない。
震える手で、放ってあったマウスにのろのろと触れる。
衝動的に、右上のバツ印にマウスのカウンター矢印が重ねる。強制的にゲームを落とす、その寸前。
ひとつ。
滑りこむように割り込み流れた──温かな音楽。
「えっ」
耳馴染みのない楽曲にびっくりして、画面の中の“海猫”に目を戻した。一瞬“海猫”がどこにいるかわからないほどの相変わらずのエネミーの群れのはずれに、いつの間にか見慣れない黒尽くめの冒険者の姿と、ウィンドウのポップアップがひとつ浮かんでいるのだ。
『助太刀しますよ』
気が付けば、画面の中の“海猫”は、脈動回復とは明らかにちがうなんらかの方法で、急速な回復を始めている。
「な、なに…?」
私の声に反応したように、パッ、と、チャットが飛んだ。
『お手数ですが、“海猫”さん』
「えっ、あ、はい」
『北東方面へ最大火力を一撃、飛ばしてもらえませんか』
提案をしてきたこの見慣れない黒尽くめの冒険者は、どうやらチャット専のプレイヤーのようだ。
<ろくでなし/吟遊詩人/Lv:80>と表示が出ている。
どうやら、ろくでなし、という名前のプレイヤーのようだ。酷……いや珍しい名前、と思うと同時に、なにかが心の中でおおきく渦を巻くのを感じた。
錆び着いた扉がゆっくりと開くかのように、思考が、動く。
名無しとはいえ、ここはれっきとしたダンジョンであり、呆然自失としてたからといっても足を踏み入れたのは私自身。だから、私ひとりが責任を取って倒れるならよかった。けれど、この夜更けに、ただただ通りかかったという理由だけで助けてくれようとしたこの人に、迷惑をかけるわけにはいかない。
助ける側にもリスクがあるのだ。
いやむしろ、この場合はもうリスクしかないだろう。助ける理由なんて、この吟遊詩人には一つもないはずなんだ。
たしかにこれはゲームだけれど……そういう問題じゃ、きっとなくて。
……ああ、そうか。
私が諦めている場合じゃない…んだ、よね。
感情を久々に動かした自分を、どこか遠くで自覚して。
「わ、わかりました…」気づけば、吟遊詩人にそう答えていた。「…ちょっと待ってくださいね…」
私の答えを聞いたからだろう。黒尽くめの吟遊詩人は返事はせず、しかし海猫を庇うように大量のエネミーの前に進み出た。武器攻撃職が前に出ることに驚きつつも、脈動回復を掛けるため特技を選択する。
自らの特技欄をもう一度眺めた。
“海猫”のメイン職業<森呪遣い>はいわゆる回復職だが、『開腹職』とも揶揄されるように、魔法攻撃力が高く敵のせん滅能力が高い職業と言われている。とくに私のキャラクター“海猫”は、せん滅能力の高い「ストームコーラー」として育ててきたキャラクターだ。回復が苦手な分、高火力で押し切れば、多少のレベル差をひっくり返すことも可能かもしれない。
助太刀の吟遊詩人になけなしの脈動回復をかけつつ、今度はアイテム欄を隅から隅まで見つめていく。何か有用なアイテムがないかと、祈るように。
『これを』
その時だ。吟遊詩人のチャットが動くと同時に、急に何かを打ち出す効果音が遠く響いた──と、次の瞬間、明るいSEがヘッドセットを震わせる。
耳馴染みの音。アイテムゲットの音だ。
慌てて持ち物を確認するためによくよく鞄を調べれば、知らない持ち物が増えていた。いつの間にか鞄の中に滑り込んでいたそれは、行動回数を増やす貴重な霊符だ。困惑する。こんなものを所持していた覚えはない。何しろつい先ほどまでこの鞄の中を確認していたのだ、だから私のものではない。となると、この霊符は少し離れたところで大勢のエネミーと対峙する吟遊詩人のものだろう。一体、どうやって私の手元に?……いや、まず、そんなことより。
「こんな貴重な霊符……う、受け取れません」
『私は、私がいま出来る“最善解”を、ただ選んだまで』
「最善解……って」一番いい答え、ということ──だよな、と独り言ちる。「そんな、消費アイテムを使ってまで助けられるようなこと、私、してません……っ」
気が付けば曲が変わっている。子守唄のような優しい楽曲に、周囲のエネミーの動きが鈍くなるのを感じた。吟遊詩人の特技はよく知らないが、きっとこの冒険者の特技であるのは間違いない。それが“海猫”の準備が終了するまでの時間稼ぎだということは、わざわざ彼から説明がなくても気づく。
チャットがさらに飛ぶ。
『──いえ』
『まさに“これからされる”んですよ、私は』
『残念ながら、私は貴女ほどの火力は出せそうにありませんから』
『ですから、この状況の打開には、貴女の力こそ頼みの綱。頼りにすべきもの、なんですよ?』
“頼り”。
──ここ最近、誰からも、そんなこと言われたことはなかった。
でも、いま、頼られてる。
そして、頼られたなりに、この吟遊詩人さんと生き残ることが、いま、やるべきことなんじゃないだろうか──?
「──わかりました、出来る限りのこと、やってみます」
もういちどひっくり返した鞄の奥底で、魔力を底上げする水薬を見つけた。もういつ購入したか覚えてもいないそれを迷いなく使う。
限界まで魔力を高めるため、出来ることをするんだと思うと、高揚した。
私はひとつの特技を選択する。森呪遣いにとって切り札とも言える、超高火力の広範囲特技だ。当たり前だが、“海猫”が詠唱準備に入る。と、楽曲がまた変わる。勇ましい進撃を思わせる楽曲だと感じた時にはもう、魔力にバフが入っていた。
ほんとうに音楽を味方につける職業なんだなと感心した。
この冒険者の見かけはまるで魔法使いがかぶるような黒い大きな帽子をかぶっており、まるで妖術師などの魔法攻撃職のようだ。ドット絵上はマップに落ちた黒い丸のよう。耳を生やした銀髪の海猫は一見白く見えるから、二人が並ぶとオセロの駒のように見えるのが、こんなときなのになぜかおかしく感じた。
「詠唱完了しました!行きます!」
『承知』『合わせます』
「え?」
“海猫”が詠唱完了した《コールストーム》は、周囲に激しいエフェクトを放ち、激しい雷と嵐をフィールドに起こした。と、雷とともに虹の音符が追随する。攻撃力を最大まで上げた魔力は指示通り北東方面にまっすぐ飛んでいき、エネミーを一掃する。と、マップの右上にぽっかりと突破口が生まれる。
「すごい──けど、《コルスト》ってあんなに威力、あったっけ」
今まで見たことのないダメージの桁数に呆然としていると、楽曲が切り替わった。
これはわかる。行進曲だ。
『移動を開始します』
黒ずくめの吟遊詩人が動くのに慌てて移動を開始すると、なんと、二倍の速度で“海猫”が進むではないか!初めての挙動に思わず声を上げて笑う…「あはは、凄い凄い!」
なぜだろう。
会社で受ける無言の時間はいつもあんなに怖いのに、この返事のないチャットは気にならない。むしろ、心地よい疾走感──クルマの窓を全開にして夜の街を走っているあの感じを、おぼえる。
そして、先導する黒尽くめの吟遊詩人は、……ことばのやりとりなんてないから、全部気の精かもしれないのだけれど…そんな私を、面白がってくれているように感じるのだ。
無言はいつだって怖いものだとおもっていたけれど。
この無言は──心地がいい。
この風をずっと浴びていたいと、思えるほどに。
…ふと気づけば、先行く吟遊詩人の足は止まっている。先ほどの地帯からいくつかマップを切り替えている。先ほどのエネミーたちが追ってくる気配はなさそうだ。
『ここまでくれば大丈夫でしょう』追いついた海猫に気づいたのか、チャットが飛ぶ。『とはいえ、折角です。近場の街まで送りますよ』
危機は脱したとはいえ、周囲のエネミーたちとのレベル差はまだまだある。簡単に帰れるとは言えない状態だったので、申し出をありがたく受けることにした。
それに、なんだか楽しくなってきたのだ。ひととパーティを組んで遊ぶというこの状況に、真の意味で、純粋に。
「助かります」と声を上げると、吟遊詩人は何も言わずに歩き始めた。
…満足そうだと感じたのは、気のせいじゃないと思いたい。
知らない間に、随分深い階層まで潜ってしまっていたらしい。
ダンジョンを戻るにつれて、エネミーのレベルは落ち着いたこともあり、耐えられる程度の被害になっていった。余裕が出てきた私のとりとめのない話に、吟遊詩人は穏やかにチャットを返しはじめてくれた。と思えば、エネミーが出てくるたびに言葉がなくとも正確で適切なサポートをしてくれる。
この人は、手助けすることに手馴れているのは明らかだ。とても親切な人なんだろうと感じる。だからだろう、なんだか妙にリラックスしてしまった。だから、ダンジョンから脱出した時に思わず「出られたぁ…」と、ため息と喜びを含んだ感嘆のことばを漏らしてしまった。
ダンジョンから出られることなんて当たり前なのに。
けれど、そんな私に向かって、『ふふ、街まではもう少しですねぇ』と、吟遊詩人のチャットが飛んだ。
やわらかなことばに安心を感じたのと同時に、少しだけ、距離が縮まった気がした。
ほどなくして彼の言葉通り辿り着いた街は簡単な道具屋と宿屋しかない小さなものだった。それでも、ここからなら十分ひとりでアキバまで帰ることは可能だろう。なんなら、帰還呪文だってある。
『では──私はここで』
チャットを残し静かに立ち去ろうとする吟遊詩人を、気づいたら呼び止めていた。
「あ、あのっ」
動きを止めた黒い吟遊詩人に、声をかけた側なのにどうしてか呆然として、それでも慌ててお礼の言葉を重ねた。「あ、ありがとうございました!」
『私は何もしてませんよ、これは貴女のお力です』
「そんな、貴重な霊符まで使ってもらって……あの、なんてお礼を言ったらいいか」
『私が少しでも貴女の力になれたのなら、なにより』
「わ、私に、何か出来ること…っ」
『どうか、お気になさらずに』
「それでも、私……えっと」
『私はただの、通りすがりですから』
「あの……………実は、さっき──倒れてもいいやって、しんでもいいやって、思ってたんです」
謙遜祭りと化すにつれてぽんぽんと返って来ていた相手のことばが、私のその一言で突然ふつりと途切れる。
傾聴の気配を勝手に感じた私の心はするするとことばを吐き出していく。
「エルダーテイルが久しぶりで…あー、いや、ゲームだけじゃなく、最近ほんと色々ダメで。だから、もういいやって、投げやりで。いま一人だし、しんでも誰にも迷惑かけないしって……でも」
しばらく開いた空白の時間は、相手がたじろく時間そのもののようにも思える。でも、ことばが、止まらなかった。
「“ろくでなし”さんが通りかかってくれたから、助けてくれたから、──頼ってくれたから、私…頑張ろうって思えたんです。こんな気持ち、ゲームだけじゃなくて、なんか、久しぶりで…だから、私……」
ああ、バカバカ。私のバカ。
初対面の人に…いや、会ってもいない人に、なにを言ってるんだろう。会社で上手くいかない事とか、やることなすこと裏目に出るとか、そんなことはここでは関係のないこと。明日も仕事があるのにこうやって窓の外が明るくなるまで眠れないのは、ただ現実逃避をしているだけなのに。…ああそうだ、こんな時間だからきっと口をすべらせたんだ。言うべきじゃないことを言っちゃって、周囲を困らせて……ああ、私はほんとうにバカだ。穴に入りたい。
そうやってパソコンの前で頭を抱えていたから。
更新されていたことば…肝心なことに、気づくのが遅れる。
『Bar pertica』
『………ああ。いえ』
『…ひかりをわざわざやみへ引き込むなんてことは…いけませんね』
黒尽くめの吟遊詩人が意味深な単語を飛ばしていたことに気づいたのは、画面からその姿が消える寸前。
『では』
「えっ、あの…!」
もう私の声は聞こえてないんだろうか。
「私、なにか──」
そのひとは止まらない。止まってくれない。
彼が消えていった画面に呆然としたのもつかの間、慌てて適当なメモをひっつかむ。チャット履歴に残されていた、彼が放った謎の単語……情報に押し流されて消えてしまう寸前に、なんとか書き写すことができた。
『Bar pertica』
…バー、はわかる。酒屋だろう。けど、後ろの単語はなんだろう。英語じゃなさそうだ。そのままネットで検索をかければ、詳細はすぐに知れた。
「イタリア語…読みは、ペルチカ。意味は……、 “止まり木”……」
窓の外はもう明るい。鳥のさえずりが、締め切った窓にもはっきりと響く。
夜明けだ。
今日も憂鬱な仕事が来るんだろう。それでも、窓に差す光は昨日までとはどうしてか違って見える。
「この単語はきっと、“あのひと”とのつながり。……なら」
それは、細くて今にもちぎれそうで、でもたしかな手がかりをもらってしまったからだ。
「会わなくちゃ。もういちど」
心の奥底で背を押す風が巻き起こるのを、たしかに感じた。
ゲーム・<エルダーテイル>としての冒険の始まりはもちろん、“海猫”としてこの世界に降り立った時ではあるだろう。
けれど、私にとって、真にここでの冒険がはじまったのは、欝々とした感情を破壊し新しいひかりを見せてくれたこの夜だ。
あの黒尽くめの吟遊詩人と過ごした、名もなきダンジョンでのなんでもない夜更けの戦闘と、なんでもない夜明け。言葉にすればあっけない、けれど──どうしてか、簡単に口にはしたくない、大切な想い出。
崩れ落ちそうだった私を救ってくれた、ちいさな秘密、たしかなルーツ。
忘れるはずなんてないし、忘れたくなんかない想い出だし、心残りでもあるんだ。
だから。
あの、不思議な名前を持った黒尽くめの吟遊詩人を、もういちど必ず見つける。
そして、今度はちゃんと、私なりのお礼をするんだ。
PC画面のなか、地平線からいま、ぼうっと光がこぼれはじめた。
誰もいなくなったさびれた街の中にひとり立つ狐森呪遣いにも、ノートパソコンの前でひとり呆ける私にも等しく、夜明けが来る。
その夜明けは、世界が100年の眠りから覚めるほどの…と言ったら大袈裟だろうか。いや、そんなことはない。陳腐でつくりもののようで、でも確かに手触りのある感慨深さを、心のどこかで自覚しはじめているからだ。
2012年、冬。
何でもない夜明け。
胸に深く決意を刻む音とともに、私の冒険は始まりを告げた。
(了)
【キャスト】
”狐森呪”海猫 = 雨宮ましろ
海猫:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
“楽器吟遊”ろくでなし = 紅月久澄
ろくでなし:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
【スペシャルサンクス】
わたしのひとり遊びを許容し面白がってくれた『東の果て』CPメンバーと、すてきな物語と機会をくれた『東の果て』GM様
【あとがきにちかいひとりごと】
弊PCのひとり・海猫がゲームだった頃に起こった出来事を、CP『東の果てに陽が昇る』3話の為に書き下ろしたお話です。
彼女がその存在を秘して誰にも言わず、淡い期待で探し続け、出会える可能性だけに縋っていた「あのひと」こと吟遊詩人・ろくでなしとの出会いについて、自由にがりがりと書かせて頂きました。
なお、この吟遊詩人は弊船医武士・碌と中の人が一緒です。ただ、色々あって吟遊詩人・ろくでなしのアカウントは削除されているため、現状、海猫は彼との接点は一切持たない状態となっています。
海猫を作成した当時から、彼(=ろくでなし&碌)が彼女の恩人であるということは念頭にちらついておりました。まぁこのことは大災害当時の出来事を描いたSS『アマヤドリ』の方にも衝動的に書かせて頂いているんですけど、これは当時からあまりにも自キャラ事情が過ぎるので…セッション上などではオープンにはしてきませんでした。
とはいえ、海猫が参加したシナリオ中には時折(※シナリオ大筋とは全く関係ないところで)探し人の描写を出している所があったりなかったりします。まぁ、ただの自己満足ですけども……!たのしいからいいんだ……!周囲の邪魔をしない程度にぶっこむのだ………!
今回CPをやるにあたり本格的に彼のことを書いたり動かしたりすることになって、ホント、なんて言うか……1年半たつとこんなことも起きるんだなぁありがとうございます、という気持ちでいっぱいです。
海猫を深堀りすると碌を深堀りすることになる不思議を感じつつ、『あー、わたしってこのふたりのキャラクターをとても大事にしているんだなぁ』と、ひとごとのようにまざまざと感じるという、なかなか味わえない貴重な時間でしたね。ほんとにすごいことだったなぁ、と振り返っています。
ちなみに。
このお話、続きがあります。決意の夜明けを越えた海猫は、ろくでなしと再会を果たしています。そこで海猫がいまの海猫に変わっていくわけなんですが……えー、気が向けば…ですが、そちらも体裁整えてnoteに掲載するかもしれませんね。その時はどうぞよろしくお願いいたします。
(※20231020追記:お話の続き、書けました。リンクはこちら。『ナイトバード』 https://note.com/ritsuka2lhz/n/n819ab7887bd9)
(20230422/アキバですれ違いを続けているであろう海猫と碌を想いつつ)
(初稿:20230311/『東の果て』CP3話の為に書下ろし)
(第2稿:20230319/軽微な変更)
(第3稿:20230321/軽微な追加・変更)
(第4稿:20230410/軽微な変更)
(第5稿:20230422/説明不足を追記&「あとがきにちかいひとりごと」掲載)
(第6稿:20230504/舞台となる年度を修正、軽微な変更、全体公開)
(第7稿:20231020/後編のリンクを追加、軽微な変更)
… …
──画面が、切り替わる。
真っ暗になったPCとは逆に、ヘッドセットに涼やかなドアベルが美しく軽やかに響き渡る。それは、半年という期間で降り積もった、期待と不安がないまぜになった心をほぐす、不思議で印象的な音色だった。
かくして『Bar pertica』の店内が画面いっぱいに表示され。
『いらっしゃい』
いつかの夜更けに出会ったそのひとの姿を、私はもういちど目にすることになる。