『ナイトバード』/ろくでなしと海猫(後編)
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(はじめに)
この文章は、筆者がLHTRPGのキャラクターとして所持しているPC達の様子を妄想して書いてしまったものです。誤字脱字・世界観設定違いなどあるかもしれませんが、大目にみていただければ幸いです。
また、随時文章に修正が入る可能性があります。ご了承ください。
なお、このお話は「後編」にあたります
前編にあたるお話『デイブレイク』はこちらからどうぞ
『デイブレイク』/ろくでなしと海猫|まーさん@ログホラTRPG (note.com)
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『ナイトバード』
=ろくでなしと海猫/後編=
2013年夏、某日。
冒険者“海猫”は、アキバの端の端に構える店の看板の前で風に吹かれていた。
「やっと……見つけた」
ノートパソコンの前で座る“私”──こと、雨宮ましろは、なびく“海猫”の銀色の髪と、その店の看板を交互に見つめる。
平静を装ってはいるが……鳴り止まない胸の高まりに飛び上がりたいような逃げ出したいような落ち着かない気持ちでいっぱいだというのが本音。
それもそうだ、といわせてほしい。
だって、ここ半年間ずっと探し求めてきた場所を、やっと…やっと、見つけ出したのだから。
… …
老舗MMORPG<エルダーテイル>。
私にとってのこのゲームは、もともとログボ狙いの惰性でログインしている、プレイ自体もまちまちだったゲームにすぎなかった。でも、とあるきっかけで渡された“Bar pertica”というヒントをもとに、一日一夜にアキバの街をひと区画ずつ調べることを日課にログインし始めて、それから本格的にプレイすることになっていた。
冒険者が店を構えることはよくあることだけれど、その場所は千差万別。当たり前だけど、詳しい場所も知らない状態。だから、しらみつぶしに探すしかなかった。
そう。この半年の間、私はアキバの街を、それこそ中央通りから小道、小さな住宅街まで、全部……ほんとうに全部の場所を、調べてきた。
平日の夜の仕事終わりの眠る前にひと区画を目標に店探し──という、なんとも原始的な手段だったけれど。
現実では数えるくらいしか歩いたことのなかったはずのアキバが、ミニマップ無しでも思った場所に行けるほど馴染みある場所になるくらい、歩き回った。
全ての通りを探し終わった。見つからない。
それなら、と、曜日と時間を変えてみた。見つからない。
シブヤやミナミ、ナカスやススキノへ出向いた。見つからない。
フィールドワークにはサブ職業「探検家」が便利だと知って、少しでも見つかる可能性が高まるのなら、と、転職もして、探し続けた。
……見つからない。
夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来て。探し始めてもうすぐ1年が経とうとしていた今日。
見つけたのだ。やっと、…やっと、この小さな酒場を──。
“Bar pertica”とだけ書かれた小さな看板の横、ドアの前に立ち尽くす“海猫”をよそに疑問がよぎる。
── 一度だけ出会ったあの人は、私を覚えていてくれているだろうか ──
「いや」思わず声が出たのは、全力の否定の証だ。「覚えてくれていなくてもいいじゃない。勝手に探してただけだもん」
けれど、それでも──どうしようもなく襲ってくる言い訳と臆病風と躊躇が弱気の背を押してくる。
深呼吸。
「……行くしか、ないよね」
息を整え、入り口へ私のキャラクター“海猫”を突入させたのだった。
画面の切り替わりのために起きた、暗転。
その中でヘッドセットに響く涼やかなドアベルは、こんがらがった私の心をほぐすのに十分だった。
明転、からの、呼びかけ。
『いらっしゃい』
いつか見たひとの姿が、そこにはあった。
… …
夏が終わり、桜が咲き、蝉がうるさく鳴き始め、森が紅葉し、雪が降る。
探していた場所・“Bar pertica”の、涼やかなドアベルが耳馴染みになってからしばらくたった、2013年の冬。
また私は、夜の底にいる。
… …
疲れた体で鍵を開け帰宅した私は、上着に乗った雪を軽く払って自宅の居間に電気をつけた。
惰性のように発した「ただいま」ということばに返ってくる言葉はない。冷たく暗い、どこか生気のないしんとした冷たい1DKの部屋は、何度か躊躇うようにちかちかと点滅しやっとつく蛍光灯の光を浴びて、やっと目を覚ましたようにも、思える。
無言でエアコンにスイッチを入れ、机の上に鎮座するノートパソコンの電源をつけた。
旧式のパソコンががりがりと音を立てて立ち上がる。見慣れたアイコンをクリックし、待機時間にコートを脱いだ。性能の悪いノートパソコンは時間をかけないとすぐ機嫌を損ねるのだ。
同時進行で私自身の準備を整える。たっぷりの間をもつこと十分弱。やっと、見慣れたエルダーテイルのオープニングが表示された。適当にクリックをすると、聞きなれたアキバの街のフィールド音楽が、装着しているワイヤレスヘッドセットから流れ始める。
画面の中心に現れた、銀髪に緑のワンピース、冬とは思えない薄着で狐耳を生やしている女性PCは、狐尾族の森呪遣いの“海猫”──私・雨宮ましろの冒険者だ。コントローラを握り動かすと、彼女は町を颯爽と歩きだす。
目指すのはいつもの場所だ。さて。今夜は開いているだろうか。
「今夜は開いててほしいな…あっ」
住宅街とも思える路地の一角に、ちいさな黒板がひとつ出ている。
見慣れた看板だ。どうやら今夜は開いているらしい。
「──よかった」
看板の隣の扉に迷わず突入する。画面は暗転し、からりからりと軽やかな音を響かせるドアベルの音色があざやかに響いた。
ああ、この音。
これだけで、私の心はいつも浮き立つ。
明転して現れたのは、居心地のよさそうな酒場だ。
まずなんだって特に目を引くのは、木のぬくもりの再現度。木のドットで打たれているのは、カウンターにならぶ4席の椅子、申し訳ないように設置された3つのテーブル席。木の板で出来た床に棚、小さなキッチン。
吊り下げられたランプや所狭しと並んだ酒瓶ももちろんすべてドット絵で、どこかあたたかな表情を見せていた。
ここ“Bar pertica”は、こじんまりとした店構えの酒場だ。私は度々…というには多少頻度が高い程度に訪れている。
今日も席はすいている。いつもの事だ。ドット絵の美しさからある程度客層はありそうなのと、金曜だけはある程度人を見かけることがあるとはいえ、仮にもここは5大都市の一角、アキバである。維持費とか大丈夫なんだろうかと、他人事ながらに心配になるほどだ。
閑古鳥が居付く理由は、はっきりしている。
まずは、開店時刻が「平日の21~24時」と短すぎること。それと、毎日開いているわけじゃなく、予告なく閉まっていることもあること。極めつけは、店の目印は開店しているときにしか置かれない黒板、ただ一つであること。商売する気がないとしか思えない。
こんな、決して流行りの店とは言えないこの店の開店具合を確かめることと、言葉に表現できないこの心地よいカウンターにとどまりながらぽつぽつ喋るのが、いつしか平日の夜の密やかなたのしみになっていた。
『おや。こんな閉店ギリギリのお時間に』
ドアベルの音に店主が反応してチャットを飛ばしてくれた。
店主はテキストチャット専門らしく、ボイスチャットはしない。つねに対応はテキストだ。声は一度も聞いたことがない。
店には誰も居ない。客は私だけのようだ。だからボイスチャットで気楽に返答する。「こんばんは。こんな時間にすみません。まだ、大丈夫です?」
『勿論』
間髪入れずに飛んでくる言葉に、笑みが漏れる。
「今夜、開けていて下さってて……嬉しいです」
『ふふ、開いていないことが前提とは…中々痛烈なお言葉ですねぇ』
「開いてる日が一定じゃないですから…って、あっ、いや、そういう訳ではなくて」
『だいじょうぶですよ、貴女のことばは事実です。お気になさらず』
店主は“海猫”に席を勧めつつ穏やかに笑った。『なにせ、この世界には魅力ある物事がたくさんありますからねぇ。どうしても目移りしてしまうんですよ』
そうして店主は“海猫”の前にグラスを置くモーションを取った。
『それで──本日はいかがでしたか?』『私でよければ、伺いますからね』
短い声かけを最後に、チャットが止んだ。いつものことだ。
私は、現実の机に頬杖をついて、余計なことを言ってしまったと、バレないようにため息を静かに逃がした。
画面に出ている冒険者のデータ……<ろくでなし/吟遊詩人/Lv:80>という表示を何ともなしに眺める。単純ながらなかなか見ない名前をしているこの店主だが、彼の厚意に包まれた夜の酒場の会話は、いつも心地がよかった。
不思議な関係だということはわかってるつもりだ。
第一、私はこの吟遊詩人“ろくでなし”さんのことをほとんど知らないのだ。
何歳なのか。何処に住んでいるのか。職業は何なのか。はたまた学生なのか。
いや、もっと言えば、声も、顔も、性別すらも知らないんだ。文字だけのやり取りだから、もしかするとこの店主は女性なのかもしれないけれど、それすら知る方法もないんだ。
もちろん冒険者としての性別は「男」と表示しているからわかるけれど、それ以上を尋ねる勇気の持ち合わせてなんてない。
驚くほど知らない人と、驚くほど長い時間、夜の底で同じ時間を過ごしている。
この人ともし<エルダーテイル>以外で出会っていたらどうだったのかな、なんてことも…考えたことはあるけれど、いつも結論は一緒だ。私たちは、同じものが好きでいたからこそ、ここで話をすることになっただけ。ここ以外の場所はきっと、あり得なかった。
私がそんな考えを馳せているのも露知らず。店主はNPCをまねるかのように一定の周期で動く。そこまでしなくてもいいのに、といつも思っている。
“海猫”はカウンター席で座りっぱなしだから、私はパソコンの前にいる必要すらない。だから、ヘッドセットをつけたまま適当な冷食をレンジに放り込んだ。夜遅くに“Bar pertica”に来た時は、たいてい“海猫”をここに置いたまま、晩ご飯を食べている。
店内に流れているのであろう、寄せては返すさざなみのような、センスの良いクラシックギターの旋律がやさしい。レンジの運転音をどこか遠くで聞きながら、店主に尋ねた。
「あの、……今夜も、 “晩御飯”、もらってていいです…?」
『勿論、構いませんよ』
基本無課金勢の私は、ゲーム内資金をログボだけでやりくりしている。とはいえ、“海猫”自身に貯金がないわけじゃない。そんなわけで、店主に向かってゲーム内金貨でシーフードパスタとスパークリングワインを頼んだ。
その間、軽やかな音を立てて解凍を終えたパスタを出す。お盆に乗せてパソコンの前にもどると、“海猫”の前にも料理が出されていた。
“Bar pertica”で出される料理は、クリックすると実においしそうなドットの絵が並ぶ。現実の私の前にいまある料理は、箸でつついてもちっとも食欲がわかないのだけれど──それでも、そっと、手を合わせた。
「いただきます」
『ええ、ごゆっくりどうぞ』
もちろんマイクはミュートだ。箸を進める努力をする。
店内の音楽がゆったりと流れる中、味のしないパスタを無理矢理に詰め込んだ。曲名も知らない楽曲に耳を傾けていると、どこか、店主のやさしい気配を感じる。
ああ。こういう夜は、この穏やかな時間を求めていたんだ。ほうっとため息を漏らせば、この店の名を知るきっかけになった、夜更けのダンジョンの想い出がむくむくと甦ってきた。
エネミーの群れに諦め死にかけていた私を助けてくれ、惜しげもなく道具を使ってもらった上に、格下の私を頼ると、はっきり言ってくれたひとのこと。別れ間際に残された店名だけをヒントに半年間ずっと探し続けた末に辿り着いたこと──。
“Bar pertica”に初めて訪れたあの日、出会ったときと全く変わらない格好で店を訪れた私の姿を見ても、店主は何も言わなかった。
どうせ私のことなど覚えてないのだろう。──当たり前の話だ。
半年前に1度だけ助けた人のことなんて普通覚えてるはずなんてない。手助けに手慣れていた姿からも、他のところで同じようなことをやっていそうだし。
こちらから問いかけるなんて、困らせるだけだ。そんなことをしたいわけじゃない。だから、あえて何も伝えずに店に通うことに決めた。
……夜更けのダンジョンで助けられたあのときの礼の気持ちを持ちつつ、客が増えることで、すこしでも、店の経営の足しになれば、私なりの感謝になると思っていたんだ。
でも。
いつの間にか、目的はお礼すること、じゃ、なくなって
心地が良いこの場所自体にくることが、目的になっていたんだ。
なのに、なのに…。
ほろり、と、心から何かがこぼれていく。
私は、また、このひとに迷惑を──
気づいたら、すっかり冷めて固まったパスタに箸を差していた。
握り締めた拳は、震えていた。
「……あはは」
声が震える。
同時に店主の振りむく気配を感じた。
「あ……」
無意識にマイクをONにしていたらしい。情けない声が、漏れる。「ああ……さっきの言葉といい、いまといい、私、どうしてこんなにも周囲に迷惑をかけちゃうんでしょうね?」
『……』
店主の三点リーダーは、いつも、いつだって、傾聴の証だ。
──ここは、夜の底。
それでも──。
ぽろりとはみ出た感情は涙になって流れ落ちる。
「ホント、いつも、どうしてこうなんだろう」
細い息をつき、胸の内にこらえて、こらえて、こらえきれなくなった言葉が、いま、つるつると吐き出されていく。
「私、仕事で、言いたいことが言えなくて、いっつも仕事を押し付けられてて」
「分からないことも、忙しそうな周囲には聞けなくて、聞いたら聞いたで周囲の時間を取るなって怒られて」
「でもひとりで仕事ができるほど能力があるわけじゃないから、どんどん仕事が溜まって、それでまた怒られて…ずっとその繰り返しで」
「最終的に、相手はだんまりで何も言われなくなる。無言の圧力に──締め付けられるように苦しくなって、たえられなくて」
「──どうしたら、もっと、うまくなれるんだろうって、ちゃんと言いたいことが言えるようになるんだろうって、ずっと……おもってるんです」
残業に次ぐ残業。淡々と進めても心情込めて訴えても返ってくる叱責と怒号。仕事の方法を誰にも学べず、失敗すれば必要以上に詰められる日々。何か1つ情報を得るために叱責を10ほど重ねられる状況ならば、感情など忘れてしまうほうが楽だ。
最後に襲うのは、お前が折れればこの話はすぐ終わるんだという、無言の圧力で。
どうがんばってもどうしたってどうしようもなかった。だから、いろいろなものを飲み込みつづければよかった。
心を動かさなければ、動かされることもない。だから、ずっと、私が心を無にしてやっていればよかった、だけの、はずなんだ。
なのに、眠れない夜は増えてゆく。食欲のない日は増えてゆく。
無性に叫びだしたくてけれど部屋では近所迷惑になるから叫べなくて……だから夜の街へあてどなくやみくもにクルマを走らせて、CDセットに古いJ-POPを大音量で歌わせ一緒に合唱したりして紛らわせていた。いまだって セルデシアでこうやってグダグダと言葉を吐き続けている──。
こうやって、こらえきれないからって、周囲を困らせて、言葉が足りなくて──こうやって親切にしてくれた人に、無茶苦茶な感情をぶつけてしまう……。
ああ。あーーー。
声にならない声をあげて頭を抱える。
画面に目を戻すのが、怖かった。
ついぞ嫌われると思って、逃げたかった。
でも、そんなわけにもいかず──たっぷりと時間をかけて、押しつぶされそうなこころに吐きそうになりながら、目を上げて。
『迷惑なんかではありませんよ』
『むしろ──素敵な貴女の弱い姿を、こんな私に見せてくれること自体、私にとって光栄なことです』
目に飛び込んできたことばに、私に向かって放たれていたことばに、
息をのんだ。目を見開いた──。
ことばは、つづく。
『貴女はまっすぐだから、そうやってまっすぐな感情を口にしていらっしゃいます』
『でもそれは、誰にでもできることではありません』
『きっと、それは貴女が持つ唯一無二のひかり、誰かを照らすことができる、ひかり』
『ひかり持つ貴女は、もっと周囲へ望みを口にしても、いいんですよ…』
履歴に置かれていた店主のことばが、涙でにじむ。
鼻をすする。
気配を待っていたかのように、吟遊の言葉がまた浮かぶ。
『僭越ながら…こう考えるのは、いかがでしょう』
次に飛んできたチャットに、釘付けになった。
『<ここは、“練習場所”>』
「…れ…練習、場所?」
声が上手く出ずに、引っかかる。気にしてない様子で吟遊がさらさらと説明を続ける。
『貴女がありたいじぶんは、言いたいことをいえるじぶん、でしたね』
「はい…」
『そして、ここは<エルダーテイル>。言ってみれば、折角の貴重な時間をかけてやるゲームです。ならば、ここで“そうなる練習”をやってしまうのも手ではありませんか?』
ひと息置いて次の言葉がやってくる。
『貴女は、この世界にいる間だけでも、自身の感情をまっすぐに言えばいいんです』
「でも、それって──」
怖い、と思った。でも、それすらこのひとは、見抜いている。
瞬時に返答が飛んできた。『もちろん、伝える努力や相手への配慮を怠ってはいけませんよ』
『貴女がいまできる全力を尽くした上で、それでも上手くいかなかった、間違えたと思ったら』
『その相手にはしっかりと謝ったうえで、そしてしばらくここへ来るのを休めばいい。気持ちがまた上向いたら、もう一度違う方向から試せばいい』
『頭を使えばやり方なんて幾らでもありますよ』『例えば……ふむ「これは強気な女の子のロールプレイなんです」と言い張る、とか……ね?』
『どうとでもなります』
『そう。ここは〈リトライ可能な現実〉なのですから』
「リトライ──可能」
縮こまっていた心が引き伸ばされるのを感じる。
失敗は怖いものだと思っていた。でも。
再挑戦。再挑戦、してもいいんだ。
『大丈夫』
『なにかをまっすぐ語る時の貴女のひかりは、いつもとても魅力的だから、わかってくれる人は多いはず』
傷ついた夜の底でうずくまっていた私はもうどこにも行けなくなってた。
でも同時に、私は変わりたいと願っていたんだ。
がんじがらめの現状から、変わりたいって。理不尽を受け入れることしかできない弱い私から、変わりたいって。
『だから、貴女の願いを……まずは私に、もっと聞かせては頂けませんか?』
そして、変わるなら、夜の底で手を差し伸べてくれた人がいる“いま”ここしかないと、──たぶん、心のどこかで悟ったんだ。
閉店時間をぶっちぎった“Bar pertica”の店内で、私は店主に尋ねられるままに、ありたいじぶんについてそっと願いを口にした。
そのひとは私の拙い願いを笑わず、具体的にする質問を返し、叶えるような提案を返す。おっかなびっくり口を開くうちに見えてきた憧れの人物像は──強気で、思ったことをばんばん言って、やりたいことはやりたいとはっきり口に出す女性。口に出すだけじゃなくて、それを叶えるためにちゃんと行動できる女性の姿。
いまから“海猫”が目指す目標、私のありたい姿が──ぐっと、浮き彫りになる。
後はそのやり方だ。店主の提案はこうだ。練習のために、私、つまり「雨宮ましろ」から「海猫」を切り離すこと。周囲へ発言の意図を説明しやすくするために、テキストチャットも併用して活動すること。強く言い過ぎな口調をごまかすため独特口調を導入すること──ほかにもたくさん案が出て、最終的にそのくらいに納まった。まずは“Bar pertica”の中から始めてみて、徐々に外でもやってみるのがいいでしょうかねぇ、と店主が微笑めば、見事に話はまとまった。まとまってしまった。
うまくいくかはわからない。けれど、それとこれとは別だ。
ログアウト前に改めて礼を言うと、店主はしばし固まった後に、こう返してきた。
『──“相棒”なら、こういう提案をしそうだなぁ、と思っただけでして…お恥ずかしながら、彼の真似です』『ですからこれは私のお陰などではなく、…“相棒”の森呪遣いのお陰、ですよ』
成果をいつも周囲に譲る店主の姿勢に、あの初めて会った夜更けのやり取りを彷彿とさせられ、ちいさく笑う。大きくはてなマークが浮かんだ店主に、口元がほころんだ。
『では。──海猫さん、貴女の新たな旅路に、幸多からんことを』
ログアウト。店主の姿が消える。
彼の存在とともに音楽が消え静かになった店内で、私はひとり、新たな風を感じはじめていた。
… …
それから──失敗は、まぁ……山ほどあった。
強気に出たり、やりたいことをハッキリ言うのは…とても難しいことだった。だから、周囲を勘違いさせ謝罪することになった時はどうしようもなく落ち込んだし、苦しい時はログインを避け時間を空けた。
あのひとの言ってくれた通り、苦しさはいつの間にか流れる時間の速さに溶けて流されてないものにされたし、失敗した“海猫”のことを覚えてくれている人は覚えていてくれたようにおもう。仲間も、知らず知らずのうちに増えていった。
それでもどうしてもしんどい時には、アキバの街を彷徨うように歩き尽くした。そして閉店時間直前に決まって“Bar pertica”に寄り、店主に延々と泣き言を聞いてもらったのだった。
店主は困ったように笑いつつ言葉をくれた。
『忘れないでくださいね』
『貴女自身がそう感じたことは、貴女にとって、誰にも代えられない真実』
『貴女の中の真実を大切にすることは、誰にも邪魔されることはない、ということを』
欲しかった言葉で、私をずっと励まし続けてくれたんだ。
そうやって意識して“海猫”を演じていると、不思議なことが起きた。
意識してなかったはずのリアル──仕事でも、変化があったんだ。
理不尽なものを、ほんの少しだけど、いやだと言えるようになった。
10回に1回くらいしか上手くいかないけれど、それでも、10回に0回よりもずっとましだ。あぁいま言えた、って、ちいさく笑みを浮かべるのを我慢するほうが、大変だったようにおもう。
一歩一歩進んで、間違えて凹んでやすんで、また復活しての繰り返し。
あまり店主さんに頼ってばかりもいられないと、何とか軌道に乗せるよう努力した結果なのか、セルデシアでもそれなりにいいつながりや知り合いが増えてきた。イベントへの参加のために平日夜が使われることも増え、気づけば“Bar pertica”へ向かうことも、以前よりは少なくなっていた。
それでも、私のホームが“Bar pertica”であることは、ずっと、なにも、変わりはしなかった。
変わらなかった、……のに。
リアルでも桜が咲き、気温が落ち着いて気持ちいい春風が吹着始めたある日のこと。
強風でも身を縮こまらせなくていいくらいの気候に嬉しくなっていたら、久々に店主の言葉とあのドアベルがききたくなって…だから、意気揚々と平日の夜のアキバを歩き店に向かった。
目印の黒板は置いてはいなかった。
それでも、店主だけでもいないかと思って、店へ突進していったんだ。
ゴン、と、鈍い音がして“海猫”は止まる。
画面の暗転はない。あの涼やかなドアベルの音はない。休みかぁ、と思って画面をよく見ると、調べられるスクリプトに気が付く。
何の気もなしにクリックした私は、そこで、馴染みの店へのリンクは失われ、ただの絵になった、その理由が書かれた文章を──見る。
文字列は、目には、入る。
でも、その意味に気づきたくなくて。
──その事実を飲み込みたくなくて。
“海猫”は、その夜じゅうずっとずっと、壁にむかって突進を続けていた。
もう一度だけでいいから、あのドアベルの音を、聴きたかった。
2015年の春。
あの居心地の良い“Bar pertica”と、その店主は、私の前から煙のように姿を消えた。まるで、冷たい夜の底でどこにも行けなかったあのころの弱気な私を一緒に連れ去ったかのようだった。
私に残されたのは、“海猫”という名の個性だけだった。
… …
そうして私はまたも深夜のアキバを夜の鳥の如く駆け回ることになったのだ。
お手上げだ。
店主、そのひとの名はもう、フレンドリストにすらなかった。どうやら、吟遊詩人のキャラクター“自体”を消去してしまったらしい。
これは──エルダーテイル自体をやめてしまった可能性すら、ある。
……お手上げだ。もう何もわかりゃしない。
アキバだけじゃない、もう一度ヤマト中を訪れた。けれど、そのひとが見つかることも、あの店が見つかることも、なかった。
“Bar pertica”を探すため歩き回った頃のように、各地でそのひとを尋ね回ったけれど、不思議なほど知っている人がいない。
そう。あの店に関わるものも、……ひとも、もう…ない。
あるとするなら、"海猫"だけ…なんて、馬鹿らしい。
そんなの、いったい何の手掛かりになるっていうの?
もともと仕事に追われて大変だった時期だったことも相まってか、“Bar pertica”に通っていたころの記憶は、時が経つにつれてどんどんあやふやになっていく。
正直、じぶんでも「あの夜更けの出会いは夢だったんじゃないか?」「“ろくでなし”なんていう名の冒険者などどこにもいなかったんじゃないか?」とおもうことも、あった。
だから。
“海猫”としてウマがあい、仲良くなった連中とギルドを立ち上げようかという話が持ち上がって──しかもギルドマスターが私に決まった時に、ひとり深夜のアキバで決めたのだ。
『あのひとのことを、ギルドのメンバーには決して口に出さない』と…。
じぶんでさえあやふやなものを説明できる力も、ましてや協力を願う理由もないのもあるけれど……これはとても個人的な──雨宮ましろの課題だ。“海猫”の課題じゃ、ないんだ。
“海猫”の周りに集まってくれた人たちを巻き込むのは、違う。
だから、 “海猫”という個性以外の、あのひとへの想い出を、そっと心の奥の奥の奥底に追いやり鍵をかけて、しっかりと封をしたんだ。
… …
そうして私は海猫となり、ギルドマスターとして極小ギルド<アマヤドリ>を立ち上げた。
上手く軌道に乗ってきたか?と思えたころに起きたのが“大災害だった。
一寸先は闇。流れるのは、何が起こるかがまるでわからない、月のない夜のような時間ばかりだ。
それでも、いま眼前に大切にしたい仲間がいるから。
かつて夜の底でもらった厚意を、もう手放したくなんてないから──。
だから。
今日もアタシは仲間と世界に向かって叫ぶよ。
「サァ行くヨ、アンタ達!……新しい景色、見に行こうじゃないカイ!」
(初稿:20230311)
(第2稿:20230319 説明不足だった部分に文章を追加、全体的な修正)
(第3稿:20230321 CPメンバーに公開、軽微な修正)
(第4稿:20231010 タイトル変更/CPにかかわる内容に軽微な修正を入れた上、身内公開とは別データとして全体公開)
【キャスト】
狐森呪“海猫” = 雨宮ましろ
海猫:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
“Bar pertica”店主・楽器吟遊”ろくでなし”
ろくでなし:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
【スペシャルサンクス】
CP『東の果てに陽が昇る』GM様・baton先生と、
東の果てを一緒に冒険してくれた、プレイヤーさま各位
…海猫と碌を出会わせようとしてくれて、ほんとうにありがとう。ふたりのことを話してくれていたあの時間は、とても不思議でくすぐったくて、かつこれ以上ない嬉しい時間でした。難しいとはおもうけれど、いつか実現するといいなぁ…!
【あとがきのようなひとりごと】
海猫とろくでなしさんの、大災害『前』の在りし日も含めた物語です。“海猫”のプレイヤーが、いまの“海猫”をつくり上げた事情を書かせて頂きました。
チャット専のひとを表現するって超大変ね……とおもいつつも、たいへんたのしく書かせて頂きました。わたし自身ネットゲームに詳しくないので、きっとこんな交流はまずないのでしょうが、そのへんはまぁ……フィクションなんで………、はい…………。
一応補足しておきますと、ろくでなし(=碌)が海猫にやってることはほぼ全て「お客さん/他人」への「厚意」です。恋愛感情とかは一切ありませんです、ハイ。
彼はただただ思ったことを素直に伝えているだけ。海猫を励ましたのも、いま少し夜の底で傷ついているだけのお客様(=海猫)がやがて元気を取り戻して旅立てばいいと、それが出来る人だと、思ったから。海猫が少しずつペルチカに来る頻度が減った時も、彼は『ああ私の役割は終わったようですねぇ』とただただ微笑んでました。と同時に、迷ったり苦しんだりしつつひかりへと向かう海猫の邪魔にならないように、微笑みながら自ら進んで陰に沈みゆく選択をするような…そんな、ちょっと危うい感じを抱えた人、だったりします。
海猫は海猫で、恋愛感情…というよりは、急な別れで伝えられなかった礼を今度こそちゃんと伝えることに必死、という感じですね。進展するとしたら、言いたいことをきちんと伝えた後、じゃないかなぁ。頑張れ海猫にゃん。きみの気持ち、いつかちゃんと伝わるといいね。
と、まぁ。いつもいつもセッションに載せきれない妄想があふれてしまいまくりなへっぽこプレイヤーの戯言でした。このふたりはなんだかんだで書くことが山ほどあってたのしいです。
いつかどこかで狐森呪・海猫や船医武士・碌とお会いした際には、是非とも仲良くしてくださいませ…!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
(20231008)
… …
封をしてきたはずの想い出が目を覚まし、私に囁くようになったのは……いつからだったのだろう。
ゲーム時代、初めて手に入れたギルドホールで乾杯をしていた時?
大災害直後、あのひとによく似た名前の女の子に出会った時?
巡り合わせを心の隅で期待しながら、南の島や廃都、異世界で冒険を重ねていた時?
人影があると告げられた東の果ての島で、仲間に手を取られひとり探索しに行くのを引き留められた時?
いや。
最初から封印なんて、してなかったのかもしれない。
心の奥の奥の奥底ではずっと、ずっと、
“君に会いたい”…ただそれだけをひたすらに、願っていたのかも…しれない。
──甘く冷たい夜の底。
切望していた面影がいま、私の名を呼ぶ。