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『カゲヒナタ』/碌と日向



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(はじめに)
この文章は、筆者がLHTRPGのキャラクターとして所持しているPC達の様子を妄想して書いてしまったものです。万が一、内容等に何か問題等あればお知らせくださいませ。
誤字脱字・設定違いなどあるかもしれませんが、大目にみていただければ幸いです。
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『カゲヒナタ』
=碌と日向、出会いと約束の物語=


 

「そういや日向。お前、あの“飲んだくれ”と、いつからつるんでるんだ?」

 馴染みの飲み屋の店主である吟作さんから、そう急に質問を投げかけられたのは、旅立つ“兄貴”に餞別の組紐を送り見送った翌日の晩のことだった。

 吟作さんは、黒髪のツンツン頭、小柄で虚弱な法儀族で、腕のいい日本酒職人──杜氏だ。大災害後すぐ、酒の味の異変とその秘密に気付いて、日本酒確保用にウォーヌマをいの一番に抑えに行ったという、先見の目を持つ青年でもある。大災害前からここ<変人窟>で構えている日本酒専門店<八咫烏ヤタガラス>を切り盛りしている。
 彼は、大災害直後の大混乱の時期に、この場所に俺と“兄貴”を迎え入れてくれた恩人でもあるが、冒険へ出ることも少なからずあって──だから、勘違いで無ければ、善き友人であると、俺の方は思ってるところだ。
 吟作さんはそういう相手だから、たとえ店主だろうがいつもの調子で気さくに返答する。
「飲んだくれ?…あー。兄貴のことかぁ」
「前から聞こうと思ってたんだけどな。今夜はえらく誰も来ないし、なんてったって本人がいない。いい機会だとおもったのさ」
「………吟作さんも兄貴に興味深々、ってかぁ」
「違う」……あ、即答された。
「あのひとのことを知れば、たまりにたまったツケをどうにか払わせるいい方法をひねりだせるかもしれないから──ただ、それだけだ」
「あー」
 真剣な声色の吟作さんには悪いが、そういった理由なら半笑いにならざるを得ない。「無駄だろ、そりゃ。払わせたところで、その日にまたツケ作っちまうんだけなんだから」
「そりゃあわかってる。でも、ツケを払ってもらうよう仕向けるだけ仕向けないといかんからな」
 こう困ってはいるが、嫌がっていない辺り、吟作さんはとても優しいやつだなぁとおもう。それに、ツケを使うのはこの店だけにしているところを見る限り、兄貴も吟作さんに甘えている所があると思う。
「……ほんと、仕方ねぇよなぁ、兄貴は」
 まぁ、ツケを作っちまうところは本当によくないので同意しておくとする。
 一連の流れでの吟作さんは、一見無表情で顔色も全く変わったようには見えない。でも、俺はわかる。仏頂面に交じる僅かな目じりの下がり方を見て、ああいま呆れているんだなぁ、って思ってることくらい、さ。
 わずかな表情の差を見分けられるくらいには仲良くなった吟作さんに同情して忍び笑いをしながら、ふと、彼の問いを、振り返る。

 『いつからつるんでるのか?』、か。

 兄貴と俺は、戦場で──レイドで出会った。
 俺も兄貴もいわゆる野良のプレイヤーだ。そして、決まったチームを持たない、いわゆる野良レイダーでもあった。何らかの理由で所属を持たない野良レイダーは基本的に扱いづらいから、野良ばっかりのメンバー募集なんて酔狂な人間はまずいない。だから、そういうレイドがあれば食いつくわけで。おもったより界隈は小さかったから、結果、よく一緒になる吟遊詩人として兄貴の名前を覚えちまう程度には、多くの戦場を共にしてはいた。
 けれど、いつから、と問われたなら、俺はあえてあの日だと断言する。
 あの日。それは、『俺が兄貴を『兄貴』と呼び始めた日』。
 ……まぁ、あの頃はいまとはまだ違う姿で…、だったけどな。
「それじゃあよ」
 気づいたらするりとことばが飛び出していた。「いつも世話になってる吟作さんへ、とある吟遊詩人の話をしようか」
 突然の話題転換に、吟作さんがこちらを向く。
 その瞳と口元から話に興味があることを確認し話始めたところで、ふっと頭に浮かんだのは、懐かしい、ドットで構築された世界だ。
 今となってはおとぎ話のように思える、あの、ドットだったころのセルデシア世界を懐かしみつつ、俺はゆっくりと話し始めた。

… …

 その吟遊詩人は、珍しい、チャット専のレイダーだった。
 当時から火力重視の森呪遣いだった俺は、遊撃隊の野良レイダーとしてよくレイドへ参加をしていた。
 そいつはときどき居合わせる、同じ野良のレイダーだから、妙に印象に残っていた。はじめは……正直、チャット専のレイダーなんて出会うのは初めてで、とっつきにくい奴かなぁ、とかも思っていたぜ。けど、チャットの反応は早いうえにちゃんと反応し答えを返してくれる。全部丁寧語で、やたらと真面目で…ちょっと場違いな反応が返ってきて、返答に困ることもあった。
 けれど、それはいつも、借りものではない「自分のことば」で──同時に、俺一人だったら思いつきもしないような考えばかりで。
 だからすぐに分かった。
 この吟遊、やりにくいなんてことはねぇ、むしろやりやすい部類に入るレイダーだ、ってな。
 だから、いつしか野良レイドに参加する時には、そいつがいるかどうかを探すのが癖になっていたんだ。参加している姿を見つけるたび、内心ワクワクが止まらなくてな、隣に立った時はよく話しかけたりしていたぜ。レイド戦闘中にふらりと姿を消す、そのことすら何故か面白がってたのを、よくおぼえてる。

 そいつを初めて見かけてから、何度一緒に戦場を交えただろう。
 その日俺らが参加していたレイドも、佳境を迎えていた。高難易度と噂のレイドに野良の寄せ集めで参加することになったんだが、その吟遊とともに、第3パーティのメンバーとして武器を振るっていた。
 なんだかんだで順調に攻略がすすみ、レイドボスのHPはもう赤ゲージ突入寸前、という、DPSが一番必要な時に──ふと気づけばさっきまで援護歌を響かせていた吟遊の姿が、隣から消えていたのだ。
 不審に思い見回すと、レイドボスから離れていく吟遊をの姿があった。
 気づくなり、周囲にひとこと断る。「ちょっくらフォローに回ってくるわ」と笑うと、ほかのメンバーから笑いが起きた。
「あー、あいつ。名前通りろくでもないやつなんだよ。援護特化吟遊は貴重だから入れてやってるけどよ…今みたいに勝手に持ち場を離れてよくわかんな動きしてる……だろ?」
 俺はその言葉にはあえて答えず、じゃあ様子見てくるぜ、と静かに離れていった。背中に飛んでくる嘲笑とあざけり。「はいはい、早めに戻ってこいよ、森呪遣いは貴重な火力なんだし。…あ、ひょっとすると、吟遊よりも…なーんてな」
 あっはっはっはっ……という声は、歩けば歩くほど遠ざかっていく。

 吟遊を追いかけたのちに辿り着いたのは、レイドボスとのバトルフィールドから見れば端の端。主戦場から真反対、陰日向のちいさな廃墟だった。
 視界は悪いものの、一見して問題ない場所。
 吟遊は、周囲のHPを回復する《慈母のアンセム》から、勇ましい武勇をまとう《猛攻のプレリュード》へと歌を変える。そして、いつの間にか持ち替えていた槍を一度空振りすると、意を決したのか、茂みへ飛びかかったのだ。
 槍が振るわれる。攻撃のエフェクト、効果音。
 一瞬後にして急に現れる、ダメージエフェクト──。
 ああ伏兵か、と気づいたときにはもう俺は呪文詠唱を始める。エネミーの総攻撃を喰らった吟遊は、あっという間にそのHPを赤ゲージまで削られているからだ。
「おりゃああああ!助太刀するぜぇ!」
 リキャストタイムが終わっていない脈動回復の代わりとして気休めの《エントラストライフ》を飛ばす。俺の体力が半分程度までみるみる減少してゆく代わりに、吟遊のHPが黄色まで回復したのを確認した。
 続けてエネミーに向かい武器を振るいに走る。俺の愛用する武器・大槌は、何かとおお振りで当たりにくいけどな──と苦い顔をしていたが、響いていた援護歌が気づいたら変わっている。
 淡々と紡がれる練習曲《剣速のエチュード》……「ありがてぇ……!いっくぜーーー!《バーニングバイト》ォ!」
 命中率を高める練習曲に包まれ輝きを増した俺の炎の一撃は、吸い寄せられるようにエネミーに当たると、その身を焦がしつくした。
 1体を倒したところで気づく。
 どうやらここには10体ほどの高火力エネミーが配置されていたようだ。一撃を加えれば倒せる程度の紙装甲の連中ではあるものの、仮に、疲弊しているとき──レイドボスとの戦いの終盤なんかで──強襲されてしまえば、クリア間近に一瞬で形勢逆転され戦線崩壊…なんてのも、十分あり得るだろう。
 《エレガントアクト》で槍を振るう吟遊の隣で、俺は集団専用に取得していた《クレセントレイカー》で周囲もろとも薙ぎ払う。
 辛くもエネミーは掃討された。
 HPゲージはふたりとも赤色だ。
 だが、生きている。
 悪くない。
 主戦場では、暴れるレイドエネミーが最後のあがきとばかりに特技発動する鳴き声を上げている。その声をひとごとのように聞きながら、俺は隣の吟遊にそっと尋ねた。
「なぁ」
『はい?』
 即座に返ってくる吟遊のチャット。相変わらずの反応速度に鼻を鳴らしつつ続けた。「……なんで、俺たちに声をかけなかった?」
『貴方たちの手を煩わせることでもないと思ったから、ですよ?』
 煩わせることでもない?…嘘をつけ。
 よどみなく帰ってくるチャットに、言いかけた言葉をすんでのところで飲み込んだ。先ほど退けたエネミーたちも、今回は2人、しかも戦闘特化の俺がいる状態で奇襲をかけたから無事だった。しかし、援護に特化した吟遊単騎では、恐らく、死地以外になかったはずだ。
 でも、そんなこと、こいつ自体も十二分にわかってるだろう。
 たとえ自分が死んだとしても、レイドボスが倒れるくらいまで引き付けるくらいは十分、なのだ。そういう意味での “煩わせることでもない”、なのだろう。だが、それは……なんというか、自己犠牲がすぎないか?
 言葉を飲んだ俺に補足するかのように、チャットが飛ぶ。
『先ほどの状況。最終盤、後方援護が主体の私ひとりが消えたところでもう問題はありませんでした。むしろ、このレイドに置いて私の仕事はすでに終えていた、とも言えます。だから、です』
「とはいえ、なぁ」
『ですが、どのみち、私ひとりじゃ囮が精いっぱい。倒し切ることにはならなかったでしょうね』
「……まぁ、助太刀になれたなら、よかったぜ」
『助太刀どころか、エネミーたちを倒したのはほぼ貴方のおちからですよ。私は引き付けるために《エレガントアクト》で回避に特化してましたしね』
 たしかに、武闘家よろしくひらりひらりとエネミーの攻撃をかわす姿は圧巻だった。それだって、「エネミーを倒す」ではなく「エネミーを引き付ける」を主軸に置いた戦いにしている、ということなのだ。
『ですから、これは貴方の成果ですよ』
「馬鹿いえ」
 気づけばするりと躊躇なく言葉を吐いていた。「これは、まぎれもなく、あんたの成果だ──俺じゃねぇよ」
 真剣さがにじみ出た声色に、俺自身が驚いていることに、声を出してはじめて気づく。
「こいつらに気ィついたのはあんただけだし、その上で対処しようとしたのもあんただけだ。だから、間違いなく、あんたの成果だ」
 不自然なくらいに空く、帰ってこないチャット。それはスピーカー不良で言葉が届いてないのかと心配になるほどだ。
 と、急に歓声が上がった。どうやらレイドボスが倒れたらしい。
 チャットを結んでいる人たちの喜びようが歓声となって響き、勝利時のほめたたえるようなSEが延々と鳴りひびく。それらはすべてどこか遠いお祭りのようで、いま陰日向にいる俺たちの声やことばなど、気に留めはしないだろうほどの喜びようだった。
 だから。
「もしかして、お前──」
 いまなら少し、こいつに──このひとに、踏み込める気がする。
「こういうことを、ひとりで、ずっとやってたのか?」
 脳裏に流れるのは、これまでに幾度となく同席したしたレイドの数々だ。
 この黒尽くめの吟遊は、いままでもふらりと戦場を離れることがあったり、違うパーティまで一人単独行動をしていたことがあった。周囲からは勝手な単独行動だと疎まれていたが──それが、何らかの意図があるものだとしたら?そして、それらのレイドにはいつも、危なげない勝利、という結果がついていたとしたら……?
 偶然では、無いだろう。
 なのに、かえってきた返事はたった一言だ。
『なんのことでしょう?』
 息をのみ、止まり、そして溜息をつく。
「──いや、あんたがそれでいいならいいけどさ」
『役立たずの私などではなく、私に気がついてくれる貴方のお陰ですよ?』
「お前──」
『ひとまず、戻りましょうか』
 そのことばを皮切りに、俺たち──吟遊詩人と森呪遣いのキャラクターは並んで歩き始めた。横でとぼとぼと歩く黒い吟遊詩人の、その中身のことを考える。
 こいつはいつも、陰日向で、誰かに気づかれもせずに何かに尽力し続けているのだろう。結果、自身が死んでも…尽力が正当に評価されなくても、なんなら手を貸したこと自体気づかれなくても、どれだけ周囲にわかってもらえなくても、それでも、その周囲が良ければそれでいいと、頑なに信じている。
 ──リアル《アンダーカバーワーク》かよ。
 これまでどう過ごしてきたらそういう考えに行きつくかね?と、ため息をそっとついた。
 あまりにいびつで、不安定な感覚だ──本当は奥深くて面白い奴だっていうのに。
「あのさ。今回の件で、俺は、あんたはすげーやつだって確信したぜ」
『とんでもない。凄いのは、勝手に動く愚かな私を助けた、貴方のほうです』
「謙遜しちまって」
『謙遜?…なんのことだか。私は、ただの、 “ろくでなし”ですよ』
 自身の名前プレイヤーネームをそう持ち出しとぼける彼に、「なに言ってやがんだ」
 俺は、反射的に声を荒げた。
 荒げた声にひるむように飛ぶチャット。
『────え』
 ねじりだすように、ことばを吐き出す。
「あんたは、………“ろくでなし”なんかじゃねぇ」
 そう。百歩譲って、こいつがほんとうにろくでなしなら、伏兵のエネミーに気づいた時点で誰かに押し付けてレイド報酬にありついているだろう。でも、こいつはそうはせず、ひとりで抱える方法に出た。歌によって戦線を支え続け、役目がほぼ終わった頃、ただでさえ負担の重いレイドリーダーの様子を鑑み、状況を把握したうえで──出来ることをしようとしたんだ。
 ただ、それが独りよがりに見えるだけ。ちょっと言葉が足りないだけ。
 そういう、面白い奴なんだ…だから。
「俺はさ」
『…?』
「それがたとえあんた自身の名前であっても、“ろくでなし”なんて言葉であんたを呼びたくねぇ」
 足を止めた吟遊は、次の言葉を待つ気配がする
 そっと語気を落ち着かせ言葉を切り、高らかに宣言するように言い切る。「だから、俺は今からあんたを“兄貴”と呼ぶことにする」
『あ、あっ、………”兄貴”?』
「でもって、さ。俺は兄貴と──あんたと遊びたいんだ。一緒に、さ」
『………』
 たっぷりすぎる間をもって届くチャット。
『ええええ???』
 素顔が見えた気がした。
「お。ちょっと動揺したな?そういう所も面白れえなぁ」
 カラカラと笑う。
 ああ、心地よい。
 兄貴は、けっして悪い奴じゃねぇ。
 面白いやつだ。
 そして、関わっていけば、色々な世界に触れられるやつだ。
 だから、こいつの側に居ようと決めた。兄貴が俺にこころ開くのがいつになるかはわからんが、なぜだか、その過程まで楽しめる気がした。

「なぁ。フレンド登録、させてくれよ?」
『…………私でよければ』
「何言ってんだ。俺はあんただからフレンド登録したいんだぜ?」
『あなたという人は、本当………』

 誰も何もいなくなったからっぽのレイド主戦場でフレンド登録をしたのが懐かしいぜ。


… …

「そうしていつの間にか二人で単独行動が始まってた、って訳だ」
「──そのひとは、どうやらおれもよく知る人のようだな」
 吟作さんの言葉には答えず、俺はただにやりと笑った。
 “貴方と組むなら吟遊ではなく戦士職のほうが都合がいいですねぇ、どの職業がいいですか”、と軽い調子で相談されてからたった一週間後。それまでの吟遊詩人のキャラクターをあっさり削除した兄貴が次に選んだのは武士だった。戦士職と回復職の組み合わせは悪くなく、ヤマト中を旅するには都合がさらに良くなったから、兄貴がオンラインでいることが分かったら、よく声かけてヤマト中を旅したもんさ。
 もちろん以前のように野良レイドや野良パーティに参加したりもしていたが──それ以上に、ふたりでセルデシアを駆け回ってた。ただただ広大な土地をグレイウルフにまたがり走っていても、知らない土地に辿り着いても、情報のないレイドダンジョンにふたりで足を踏み入れても、全滅しても──。
 俺たちは、いつでもただ笑って過ごしていたんだ。
 普段平日休みの取れない兄貴が奇跡的に平日2連休を取った時にゃあ、セルデシアで行った場所と同じ場所に行ってみる、というオフ会ならぬ弾丸ツアーを計画したっけな。アレは実現にあたってかなり融通と調整を周囲へさせちまったもんだが、大災害を越えた今でも、無理してでもやっといてよかった馬鹿企画だと、ふと思い出し笑いが出来るほどには大切にしている想い出でもある。
 とはいえ、想い出はまだまだ増える。
 あのころとはちがう、ドット絵ではない、それでいて現実味もない、この閉じられた世界でも。
 それはきっと、兄貴が側に──隣に、にいるからだ。
「いま、どのへんにいるんだろうなぁ」
「またどこかに遠征してるのか?」
「ああ。なんでも、海賊に仲間入りして船旅に出たらしいぜ」
「海賊…」吟作さんは驚いたようにすこしだけ目を見開いた後、いつもの仏頂面で答えた。「………そりゃあいい。帰ってきたら遠慮なくツケを請求できるからな」
 珍しい表情を見せた吟作さんにくつくつと笑いながら、形の良いグラスを傾ける。この人もまた、兄貴が帰ってこないなんて微塵も考えちゃいない。まぁ、もちろん、俺も…だが。
 杜氏が差し出す一級品の日本酒をワイングラスで味わいながら、どこか空の下、どこか遠い島の上で戦いに行くであろう兄貴をおもう。
 どんな物語を携えて、帰ってくるのだろうか。
「だぁぁぁ、俺だって負けてられん。吟作さん、想い出づくりにどっか旅に行こうぜ!」
「そうやって口実つけてナチュラルに巻き込もうとするな、日向……おれはセルデシアにおける日本酒醸造の研究で忙しいんだって、知ってるだろう?」
 はあ、とため息をついた後、わずかに口元を緩ませつつこぼす一言に、俺は吟作さんの本音を見る。
「……まったく。早く帰ってきてもらわんと困るな、碌さんには」
 そして嬉しくなった俺は、グラスをもう一杯空けるのだ。

 ここにだって、あんたを待ってるやつはいるんだぜ、って、俺は心の中で呼びかける。

 ──そう。それは、組紐を渡した昨晩のこと。
 寂しげな瞳を揺らしていた、兄貴のことを思い出す。


… …

 山ほどの酒瓶に埋もれながら、兄貴に呼ばれて並んで座った、八咫烏<ここ>とはちがう酒場のカウンター席。
 吟遊詩人から武士となり、そして大災害でここセルデシアにやってきても、やっぱり兄貴は兄貴だった。リアルの面影を残す中性的で穏やかな顔立ち、黒髪と眼鏡、そしてひどい猫背。加えて、店の酒を全て飲みつくさんと浴びるほど呑んだからか、黒い瞳がやけにとろんとしている。
「あー。兄貴?」
 そういう俺の呼びかけに隣の黒髪は「はひ」とか「ほへー」とか言っているが、なんだかんだで多分意識はしっかりしてるし、俺の声も聞こえてはいるだろう。
「な、腕出せ」
「……はい?」
 やっと焦点のあった目をしてくれた兄貴が、ポカンとしている。
 心中で笑う。
 旅人である兄貴が、またどこかに行こうとしていることくらい、お見通しだ。どこへ向かうかは知らないけれど、きっといつも通り、しばらく帰ってきやしないだろう。とはいえまぁ、グレイウルフにまたがり配達屋をやっている俺だって、いつどこへ行くかわからん身だし、同じようなもんなんだが。
 いつもと違うのは、普段ひとりぼっちで旅立つ兄貴が、明日、“仲間”とともに旅に出るということ──。
 呆けた顔をしつつもおとなしく兄貴はゆっくりと細い腕を出す。
 華奢なその手をそっと取り、巻き付けたのは、赤と青と緑で編まれた──「くみ、ひも…?」
「ああ」
 大正解だ。「俺が作った、組紐<ミサンガ>だ。揃いだぞ?」
 そう笑いながら左手首を寄せる。
 兄貴に今巻いてやっているものとおなじ、赤と青と緑の糸で組まれた…ただし、随分と古ぼけている組紐だ。
 呆けた顔の兄貴が、ぼそり、と何か言っているから頭をよせた。「なんだ?」
「…………いいん、ですか?」
「なんでそんなに小声なんだよ」
「いや、だって、これ…あなたの、“商品”じゃないですか」
「まぁそうだが?」
 …よく山賊みたいだと笑われる俺の見た目だが、一応これでも<組紐職人>もやってる。配達人の仕事が暇なときはこうして組紐を作って卸しているんだが…手先は案外器用だし、小さい頃からの趣味でもあるからな、こっちだってそこそこの売り上げがあるんだぜ?
 とはいえ、馬鹿正直にそれを尋ねちまうところが、ほんとうに海賊に向いてないんだよなぁ。海賊なら黙って奪うだろう、普通…と、苦笑してたら不思議そうな表情をされた。悪い悪いと誤魔化すように唇の端を持ち上げる。
「気にすんな。『海賊祝い』ってことにでもしておけよ。まぁそんな言葉あるかどうかは知らんがな」
「ですが」
「もらっておけよ。これがありゃ、世界の端に居ようが、どこでだって兄貴の背を押せるんだから──そうだろ?」
 “先見の願い”を込めた組紐はきっと、兄貴の力になるだろう。
 同時に、彼の隣に立つであろう、まだ見ぬ仲間の力にも、なれるのだ。
 何故か寂しそうにする瞳は放っておいて、ほどけないようにしっかりと兄貴の腕に組紐を巻きつけ、しっかりと縛った。細い腕に丁寧に巻いた組紐は、何だかキラキラと輝いているかのようにも、見えた。
「ほれ、一丁上がりだぜ」
 自身の左腕に巻かれた組紐を見つめる兄貴。
 ほうっと、呆然と目を見開いたと思えば、組紐をながめてへらりと微笑み。
「ありがとう、日向。やっぱり…うれしいです」
 むにゃむにゃと言葉にならないことばを言いつつ、兄貴は続ける。「世界の果てだろうが、海のど真ん中だろうが、見知らぬ島の上だろうが…失くしたりしません、決して。どこに行こうとも、一緒ですよ…?」
「とか高らかに宣言しといて、大神殿行きで逆戻り…とかはやめてくれよ」
「…それはこちらの台詞ですよ日向。あなた先日どこぞやで、槍で前線張った末に戦闘不能からの復活ゾンビもどきしてたらしいじゃないですか」
「ありゃしょうがなかったんだよ。てか、お前よく知ってんなぁ」
 仕切り直すかのようにガハハと笑って、湿っぽい風を追い出す。
 旅立ちにはいつも、乾いた風こそふさわしい──そんなことをおもいつつ、酒場特有の喧騒を何ともなしにききながらグラスを傾ける。
 そんな心地よい無言の時間は、どれくらいだったのだろうか。
 じっと組紐を見つめていた兄貴が、そっと呼びかけてきたんだ。
「ねぇ、日向」
「んあ?」
「私たちには“ギルド”というつながりはありません。けれど」
 組紐に目を落としながら無防備な微笑みをする兄貴は、なぜだか泣き出しそうで、陰りを帯びた瞳の色をしている。
 すっと引き込まれそうな感覚をおぼえながら、次の言葉を待つ。
「…けれど。どこに行っても、ちゃんと、会いにかえりますから」
 酔いがふっと遠ざかり、ことばを、じっと、見つめる。
「だから」
 切実な目線が、柔和で寂しげな微笑みが、射すくめるように真直ぐ向く。
「忘れずに…待っててくださいね」
「そりゃあ…」当たり前だろうということばが、出かかって、飲み込む。
 掲げられるように持ち上げられた兄貴の左小指が…その手首に巻かれた輝く組紐とともに目に飛び込んできたから。
「……やくそく、ですよ…?」
 それは、“指切りげんまん”。
 人によっては一笑に付すであろう、子どもじみた古いまじない。
 けれど真剣な表情を見ればわかる。これはいま、彼にとって必要なもの。
 ──いま渡すべきは、きっと、ことばじゃない。
「ああ」
 軽く目をつむり、ひとつ温かに息をつき、満面の笑みを浮かべて、組紐輝く左手首を、左小指を、持ち上げる。
「…やくそく、だ」


… …


 そうやって繋がれた小指と小指が、脳裏に浮かんだ。
「そうだな」
 俺は、左腕の組紐をそっと撫でて、カウンターの奥の吟作さんに笑いかける。

「兄貴が持って帰ってくる想い出話…今から、たのしみだぜ」



 孤島で武士が浴びる柔らかな月明かりと同じ光はいま、遠く離れたアキバの一角、酒場で笑う杜氏の暗殺者と屈強な森呪遣いを静かに照らす。
 普段陰日向で微笑む彼が、想い出を携え帰る日を待ち遠しいと、笑いあいながら。


(了)





【キャスト】
 碌 (ヒューマン武士/船医)
  碌:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
 日向(ドワーフ森呪遣い/配達屋)
  日向:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)
 吟作(法儀族暗殺者/杜氏)
  吟作:ログ・ホライズンTRPG 冒険窓口 キャラクターシート (lhrpg.com)




(あらがき:20230202)
(初版:20230212)
(第二版:20230305/エピソードを追記)



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