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越境 〜D.C.Inhighs「The Heartbeats from the Sky 空の鼓動」終演に寄せて〜
この度は DramaticCompany Inhighs「the Heartbeats from the Sky 空の鼓動」にご来場いただき誠にありがとうございました。D.C.Inhighs俳優の立夏です。
普段はこの場所で皆様に「獣の仕業代表の立夏です」と名乗ってきたわけですが、私は十代の頃から(つまり、獣の仕業よりも先に)D.C.Inhighsの俳優でありました。十代後半の今に輪をかけて多感で未熟なままだった私をD.C.Inhighs代表である左さんは優しく時に厳しく導いてくださいました。今の私は過去からのすべての人との関わりで形成されていますが、その中の創作やとりわけ芝居への向き合い方の大部分を、左さんが形作っていると私自身は感じています。
D.C.Inhighsが今回の公演「the Heartbeats from the Sky 空の鼓動」以前に芝居を上演したのは今からおよそ八年前になります。その間、プライベートなやり取りはしていたものの、D.C.Inhighs としての芝居の製作は行われておらず、世間一般的な表現に照らし合わせればこの八年は活動休止状態と言えました。
しかしこの八年間を今になって振り返れば、私達はお互いに関わり合い繋がり合いながら、今回の芝居の準備を続けていたような気がします。
私は自分が代表の劇団「獣の仕業」で芝居の製作をしているとき、
「こんなとき、左さんならどうするだろう」
と何度も考えてきました。
左さんご本人に実際に相談をしたことは数えるほどしかなかったのですが、何かに立ち止まるときや道に迷うとき、いつも私の心の中に灯るのは左さんでした。いつも心の中の左さんはこんな風に語りかけます。
「仲間を大切にするんだよ」
「みんなとよく話して、決めるんだよ」
「みんな、立夏ちゃんを大事に思っているからね。獣の仕業のみんなも、君の友達も、全員そうだからね」
悔しい気持ちで帰路につくとき、何かに裏切られたような気持ちになってしまったとき、この言葉を思い出して何度か涙をこぼしたことがあります。
左さんの言葉がそのまま私の心を支え、やがてゆっくりと、まるで雪が降りつもるように、左さんの気持ちと自分自身の気持ちとの境目が曖昧になっていくようでした。
文字通り私は、ひとりではなく、左さんがいつもそばにいるように感じていたのです。
D.C.Inhighs「the Heartbeats from the Sky 空の鼓動」の「いつもでてくれる小林くん」として、私達を支えてくれたのが小林龍二です。
獣の仕業の俳優であり、獣の仕業の公演皆勤賞の小林龍二。D.C.Inhighsの「いつもでてくれる小林くん」は、獣の仕業の劇団員として「いつもでてくれる小林さん」でもあります。
小林さんは本当に変わった俳優です。
明治学院大学演劇研究部では音響に興味があるとのことで入部し、いつのまにか野田秀樹に魅了され、つかこうへいの虜になり、芝居の世界に没頭し、舞台美術に夢中になり、代わりに数多のものをその手から取り落しました。
彼が取り落したもの、それはつまり大学の単位のことです。
同期として入学したのに、卒業式で彼は私を見送る立場として花束を持って佇んでおりました。演劇研究部通称「ゲキケン」の仲間と過ごした四年間(小林さんは五年間)非常に充実したかけがえのない時間でありました。
私達は卒業しそれぞれの道を歩み始めました。私や他の同期は労働を始めたり進学したりしましたが、小林さんは卒業の少し前より同期の元部長(獣の仕業劇団員の田澤くんのことです)から、部長の引き継ぎを受け演劇研究部新部長としてのキャリアを歩み始めます。田澤さんが小林さんに部長の手ほどきをしている部室の光景を、私は今も無闇に覚えています。
その光景からは信じられないほど、今の彼は本当に名俳優だと思います。しかし彼があまりにも風変わりなものだから、そしてあまりにも長いときが経ったので、もはや彼の才能を名俳優という言葉にあてはめていいのかどうか、もう私には分からないのです。
あれもこれも得意なのに、脈絡なく自己評価が低くって。稽古場では最初は何もできなくてふにゃふにゃとしていて。D.C.Inhighsの今回の稽古の中でふにゃふにゃ期の小林に一度だけ「立夏はいいなあ」と呟かれたことがあります。あれはなんだったんでしょう。演技の基礎があり、弛まぬ努力があり、自分に対する客観的な目があり、才能も人望もある。なにをこれ以上私と比べる必要があるのか? そしてなにを比べようともお前だってどうせ「いい」だろ。瞬間的にそんなことを思った私、呆れたような、面白かったような、びっくりしたような……、あのときなんて答えたんでしたっけ。もう忘れてしまいました。田澤さんが小林さんに部長引き継ぎしていた部室の光景のことは、何も忘れていないのに。
ところで話は変わりますが、皆さんはLINEの表示名を変えられるのをご存知ですか。アカウント名はユーザがそれぞれ任意の名前を登録しますが、それとは別に「自分のLINEだけ相手のユーザの名前を見かけ上変更する」という機能がLINEにはあります。あだなで登録している人を本名に変えたりその逆をしたりして、お互いの関係性にふさわしい名前にこっそり変えることができるわけです。
私はその機能を使って数年前まで、小林さんの表示名を「おもしろお芝居おじさん」に変えていました。おもしろいお芝居をするおじさん。お芝居をするおもしろいおじさん。両方の最大のリスペクトを込めて、そんな風に呼びたかったからです。ちなみに流行病の始まりに芝居を中止してしばらくしてからは「おもしろ面白おじさん」にしていました。芝居がなくてもすごく面白いということで、やはりリスペクトを込めて。
※ちなみに野暮を承知で言いますが、これから街で小林さんにあってもどうか「おもしろお芝居おじさん」だなんて声をかけないでくださいね。このフレーズにリスペクトを込められるのは、私の匠の技であり、私達が専門家の指導を受けて特殊な訓練を積んでいるからこそなのです。
左さん、小林さん。ふたりがいなければ私は今回の芝居を作るという荒波を乗り越えられなかったでしょう。心よりありがとうございました。これからも何卒、よろしくお願いいたします。
そして、ご声援くださった皆様、あらゆる面で製作を支えてくださった皆様と劇場「サブテレニアン」に深くお礼申し上げます。
この度の公演は、様々な不可避の都合により、観劇を望んでいたのに見に行くことができない あるいは ご来場を予定していたのに断念せざるを得なかった方もいらっしゃいました。特に週末の天候の影響は大きかったことと思います。当事者の方々の気持ちを思うと言葉になりません。
今、左さんと相談して、いつかなにかの形で今回の作品を届けられないかと話しています。どのような形で、どのような時期になるのかはこれからゆっくりと決めていきますので、どうかそのときまで気長にお待ちいただければ幸いです。
そして最後に、劇場にお越しいただいた皆様へ、改めて心よりお礼申し上げます。
個人的なことではありますが、私は俳優として舞台の上に立っているとき、客席にいらっしゃる皆様の姿や表情がとてもよく見えています。私は今回の公演でどのステージでどの席にどのような方が座っていたのか、実は、今でも全員正確に言うことができるのです。
定刻になり劇場が暗闇に包まれ、やがてその闇が明けるとき、顔を上げると、そこにはいつも皆様の姿がぼんやりと浮かんでいました。今回の舞台はとある島の夜の海での物語だったので、その光景はまるで島と海をあわく照らす星の光のよう。私は冒頭、物語の海を見ながらその実、観客席の皆さまを見つめていて、波打ち際の波を見ながら同時に、皆様の足元を見つめていました。
現実の世界と創作の世界は、透明なフィルムを重ね合わせるようにひとつになり、私は、私達の作った芝居という物語と、皆様の人生という物語が、境目を溶かし曖昧になり、ひとつのものになるように思いました。そしてそれはたとえ話ではなくきっと本当にそうだったのです。
私はそれを信じられるから、今までもこれからも芝居を作っているのです。
その瞬間は私の人生の中でなによりも重く、切実で、虞れを痛感するのと同時に、すみずみまで幸福で、安全で、自由な時間でした。
心より感謝いたします。ありがとうございました。
今度とも弛まず精進いたします。
D.C.Inhighs 俳優 立夏 拝
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写真撮影: 田口隆寛