【鹿児島県】与論島 古川誠二先生が語る離島医療~島民と深く関わり、その人の人生を診る医療~◆Vol.2 #file7
この記事は第1弾記事の続きです。ぜひ第1弾記事もご覧ください。
今回の第2弾記事では、離島医療の経験が先生にどのような事をもたらしたのか、様々なエピソードを交えながら詳しくお話していただきました。
患者さんから人生を学ぶ場所でもある。
----離島医療の経験が先生にもたらしたメリットというのはありますでしょうか。
自分にとって全てが勉強になるということです。医療のことのみならず、離島の人の生活や、人生観とかも。
これはおそらく、学問的に学んで知識がたくさんある人という訳でなくて、毎日畑で農作業している人や、海に出て仕事している人など、そういう生活者たちの人生観というんですかね。それを聞いて、自分の人生に対してフィードバックというか、こういう風に考えて生きていった方がいいななどと考えます。
このように患者さんから人生を教えていただくと。そのお礼に私はちょっと医療的知識を活かして、患者さんが自分でいい方向に向かうような手助けをさせてもらってるという感じですね。
このように患者さんから学ぶことが多いというのは、病院以外でも付き合いがあったり、離島で島民の人と深い付き合いができるからこそです。都会の大きな病院ではそういう細かい人生の話までする人も少ないし、時間もあんまりないと思うんですけども、地域医療や離島医療ではそういう話をする時間も十分取れて、自分自身にとっては、生涯学習の場なんじゃないかと思います。メリットというぐらいのものでなくて、哲学の道場の様な気がしています。
患者さんと真摯に向き合い、患者さんの未来を取り戻す。
----先ほどたくさんのエピソードを聞かせていただきましたが、離島医療に従事する中で、特にやりがいを強く感じたエピソードはありますか?
一番は、患者さんの診断が上手くつけられたときです。患者さんの中には大学病院などの大きな病院にかかっても診断がついてない方が結構いるんですよね。その中で、診断が上手くつけられた方がいました。これは私にとっては非常に感無量というか、感慨深いものなんですね。
一人は神経性食思不振症(太ることへの強い恐怖や自身の体系・体重に対する歪んだ認知によっておこる摂食障害の1つ)と言われていて、高校を卒業してしばらくたった人でした。その人のお家に行くと、自分なりに工夫して本当に力強く生きようというのが見えるんですよね。
それでお家でベットサイドでゆっくり話を聞くと、どうもこの子は神経性食思不振症になる様な性格ではないなというのがわかるんですね。そこで良く話しを聞いて、最終的には重症筋無力症という診断をしました。
それまで色んな病院にかかっていましたが、神経性食思不振症ということで治療を受けていたもんだから全然動けなくて。大学病院で診断して治療しても寝たきり状態だから、これ以上良くならないと家族も諦めていたみたいです。
そこで私に往診依頼がきて、私に任せてくれるなら治療しましょうということで治療を開始したら、一週間で自分でトイレまで歩いて行っちゃったんですね。それをみて本人も家族もびっくりして。それからはもう、どんどん元気になっていきました。自動車学校に通って免許をとったり、最終的には結婚して子供さんも2人出産したんです。
そういうことができたのは、私が名医とかそういうことではなくて、患者さんの生活が見れて、患者さんとゆっくり話ができたからこそです。そういう中で本当の病気と結びつくと言うか。症状と結びつくなと真摯に考える中で診断できたんだと思います。
他にも膠原病の人が多いですけれども、なかなか診断がつけにくい患者さんで、大学病院に紹介して何ともないと言われて帰ってきた人が、もう一度私が紹介し直して診断がついたことも結構あるんですよね。そういう患者さんに関しては、ずっと私のことを大袈裟に命の恩人って言ってくれます。
病気のために自分の人生を失ってしまって未来がなくなってしまったような患者さんが未来を取り戻せたというか、そういうことが自分にとっては非常に嬉しく、よかったなぁと思えるエピソードです。
次回、最終回・第3弾記事では、古川先生が考える離島医療の未来についてご紹介します。
この記事を書いた人
古都遥
聖路加国際大学看護学部看護学科4年
小笠原諸島・父島に行ったことを機に離島医療に興味を持つ。離島で活躍できる看護師を目指して日々勉強中。
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