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車が進化していたのに驚いたじいさんの戯言。

先月、那須岳登山に行くため友人が車で迎えに来てくれた。その車に乗せていただき、これほど便利になったのかと正直驚き今浦島状態だった。運転は下手ではないと自負していた(?)が、50歳で運転をやめた。やめた理由は、山手線の真ん中(当時文京区小石川)にいたのでいらなくなったことが大きい。さらに駐車場代が4万円にもかかわらず、ほとんど乗る機会がなくなっていた。しかもある時コンマ何秒か動作の遅れを察知してしまった。それ以降2度だけレンタカーに乗っただけである。それ故に最近の車の進歩を知らない。

私は小学生のころから車好き(カーキチ)で、その頃から生意気にも、専門誌である「AUTO SPORT」や、「カーグラフィック」、「NAVI」を読んでいた。F1に憧れ、F1ドライバーであるジム・クラーク、グラハム・ヒル、ジャッキースチュアートやマリオ・アンドレッティなど、大好きなF1ドライバーのレースの映像や記事を見てはドキドキしていた。小中学生の身分で何度か鈴鹿サーキットに逃避行しようかと思った。生憎、かなり車好きな坊主を、鈴鹿に連れて行ってやろうじゃないかと考える、ヒマな大人が周りにはいなかった。それで決行には至らなかった。仕方なく、F1マシンのでかいタミヤのプラモデルを作ったりして地道に気を紛らわしていた。大人になって一時期、整備士の免許を取ろうと野望を持ったが、仕事が忙しくなった時期でこれまた叶わなかった。

言わずもがな、車は作られた国の環境によって個性が違う。当時の日本の車は所謂マーケティングカーであり、”冠婚葬祭何でもOKなんだから、かかってきなさい”的仕様で外国車と比べると個性が薄かったかと理解している。(もっとも、いすずベレットや、TOYOTA 2000GT、マツダ ロータリーコスモとかレジェンドになった車もあるけど)。外国車はそれとは違い、磨かれた個性があった。その個性が楽しかった。アメ車は、どでかい5,000ccのエンジンを積んでいて、トルクと加速が半端なかった。初代ソアラが出来るまで、パッシングしてきた割にはスカGすら追い付いてこれなかった。アウトバーンで育てられたベンツは、曲がる止まると、高速性能が素晴らしいがセカンド発進がダルかった。BMWはもう少し若い成功者が乗る車の位置づけで、エンジン音がベンツより車内に侵入して下駄代わりに楽しめた。英国車は内装がコノリーレザーや、パネルにはウォールナットウッドがおごられていて、静謐な室内で、かつ一般道を楽しく乗れた。イタリア車は壊れやすいが、車内はもとよりエクゾーストノートが官能的だったりと、その国その国の環境によるものか人の気質によるものか、車の作りが違って楽しかった。

さて話を戻すと、先日山に同行する私をピックアップしてくれたA氏の車は、ベンツのステーションワゴンだった。ベンツ社には「人は必ず間違いをおかす」との考え方がある。故に当時から国産車に良くあった鍵のとじ込めもなかった。必ず外から鍵を回してロックする。追突されても車内は安全に設計されていた。万が一あの車で死んだらそのまま棺になるだろう。もっとも今は鍵を差し込むことすら必要がない。最近のベンツ車に乗せていただいて、驚くのは私くらいのものなのだろう。何をいまさらと言われそうだが。しかも国産車にも搭載されているのだろうが、オートクルーズのシステムが素晴らかった。前の車のスピードに合わせて、ハンドルから手を放していてもコーナーを前方の車に合わせてトレースしてくれる。さらに追突防止もついていて、前の車が停車すればこちらも止まる。かなりの部分が自動運転になっていた。高速道路などでは最強のシステムだ。これなら私でも運転できると思わせてくれた次第だ。そうなると車はファントゥー・ドライブの部分が減り、一体どこを目指すのだろう。単なる移動のための手段なのだろうか、などの往年の車好きの悩みはつきなかった。


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