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明日

けんちゃん亡くなったらしいわ
友達からそう連絡があった

けんちゃんは小学校と中学校が同じでいわゆる幼馴染
小学校の頃はよくみんなでドッジボールをした。野球もした。
確かけんちゃんは小学校で一番背が高かった。
夏休みに、けんちゃんの家に遊びに行って、出してもらった冷えた麦茶は、とても、美味しかった。

中学になると部活や塾が違ったのであまり遊ばなくなった それでも、お互いを傷つけたりしない、なんとなくいつもそこにいて、それで安心って感じの距離感だった。

高校や大学になるとほとんど連絡は取らなくなった。多くの友人がそうであったし、けんちゃんとも自然にそうなった。

最後に会ったのはおそらく小学校の同窓会の時だ。
「ハタチになったら同窓会しよう」って小学校の先生と約束してたから。
幹事を任されたヤツが結構適当だったので僕が幹事をすることに。
メールボックスにはその時のけんちゃんとのやりとりが今も残っている。

けんちゃんのお通夜に行った。
けんちゃんはあんなに背が高くて、すらっと、おっきいイメージだったのに、病気ですっかり細くなってしまっていた。頬が削げていた。顔が青くなっていた。

何度か経験のしたことのあるお通夜と それは同じく 順番を待ち お焼香をして 何度も親族の人に頭を下げて そしてけんちゃんにお別れをした。

そのお通夜に、仕事で行くことのできなかった友達がいた。「明日(お葬式)も行かれへんし、もう会われへんのか、、」と連絡があったので「いや、親族の人に迷惑とか、色々考えることあるやろうけど、今からけんちゃんに会いに行こう」と、22時くらいかな。無理矢理にその友達を連れて行った。友達と一緒にけんちゃんにもう一回会いに行った。お通夜の会場に。おそらく親戚の人はそこに泊まっているだろうから。

小学校の卒業アルバムを持って行った。
けんちゃんと、友達と、一緒に卒業アルバムを見た。
「修学旅行おもろかったなー」とか「お前、めっちゃおっさんになっとるやん」とか話をした。話をしながら泣いてるんだか、笑ってるんだかもう意味わからんくなってた。
仰向けに寝ているけんちゃんにアルバムが見えるように何回もアルバムをひっくり返して。
それは僕たちが32歳のことだった。32歳でけんちゃんは亡くなった。

その時の僕は、鬱病でつらく、毎日死にたいって 本気で思ってた。
明日生きている自信がないって本当に毎日思ってた。
何回「シニタイシニタイシニタイ」って声に出したかわからない。
そして、けんちゃんが死んだ。僕の知らないところで けんちゃんは 長く病気と戦い、苦しい最期だったらしい。

死にたい僕と、死んだけんちゃん。

けんちゃんとの ほんとのほんとの最後に 手を合わせて
「けんちゃん、オレ死にたいねん。でも、けんちゃんに最後に会えて、生きようって思ったよ。でもな、死にたいってこの先もきっと思うねん それって、自分では止められへんねん。けんちゃん、なんか、ごめんな。怒らんといてな。ほんで、なんか、ありがとうな。」
そんなことを心の中でけんちゃんに語りかけたかな。たぶんね。

けんちゃん、オレな、今なんとか生きてるよ。
明日も、なんとか生きていくよ。

あれから、もう半年くらい過ぎたのかな。

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