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推し、燃ゆ

【ややネタバレあり】

「推し、燃ゆ」宇佐美りん。読みました。

BiSHやBiS、そしてBILLIE IDLE®︎、PIGGSにどハマりした今の自分の状況と重なるのではないかと思い読み始めたのですが、意外や意外、聖飢魔II本解散の頃(1999年)の気持ちを思い出しました。
“推し”と共に燃え尽き行く感覚、その後に訪れる空虚感。そういった感覚が当時の感情と共に蘇りました。

現代を舞台にした小説とは違い、聖飢魔II本解散当時はネットから発信される情報は殆どありませんでした。
しかし聖飢魔IIが出演する番組は必ずチェックして、インタビューが掲載された紙媒体も入手して熟読しました。
憧れが高じて“推し”と同一化してしまいたいという主人公の気持ちは当時の自分を見ているようで、身につまされるものがありました。

また推しのキャラクターにもよりますが、場合によっては推しを神格化してしまう事もあります。しかし推しは概念としての“神”ではなく、実体を伴った生身の人間である訳です。
理想化、神格化された虚像と、1人の人間としてのリアルな実像。そのギャップによる推し自身の苦しみ、そしてファンの苦悩を“炎上”を通して描いている事が現代的であるなと思います。

推しは生身の人間であるからして、所属グループの解散や引退等の理由で姿を消してしまう事があります。
しかし推しがいなくなっても時間は容赦なく進んで行くし、ファンは生き甲斐を失っても自分の力で生きて行かなければならない。
自分はこの小説ほど極端ではありませんでしたが、推しを失った主人公のラストの心象風景の描写はリアルに突き刺さりました。

主人公の未来を絶望しかないものだと受け止めるのか、それとも新たな決意を持って力強く生きていくものだと希望的に受け止めるのか。
それは読者自身に委ねられています。
あしたのジョーのラストシーンのように。