追悼 鮎川誠 様 THE GOD FATHER OF JAPANESE ROCK’NROLL
鮎川さんありがとうございました。
特別な面識があったわけではありませんが、あなたが居なければ私の人生はもっと味気ないものになっていたと思います。
おそらくルースターズもモッズもロッカーズもモダンドールズも、彼らの後に続くミッシェルも存在していたのでしょうか?
ジャパニーズロックンロールのロールモデルとして多くの若者にイマジネーションを与えてくれて・・・
サンハウスは私にとってのタイムリーではありませんでしたが、しかしめんたいビートのルーツを探り、クレイジーダイヤモンズのレコードを買い、カセットテープに録音して何度も何度も聴きました。また、サンハウスが解散してもシーナ&ロケッツを45年間も続けていただいたおかげです。シーナさんが出産でお休みの間も「ロケットサイズ」をリリースされ、いくつになられてもあくまでもライブにこだわり、生涯ライブ出演数はもしかしたらギネス記録ではないでしょうか?
鮎川さんの印象は鼻っ柱の強い方が多いであろう音楽業界で、若いミュージシャンや誰に対してもいつも優しく公平で、シーナさんをこよなく愛していることがその生前も、亡くなられた後も強く伝わってきました。ある意味天国に行かれることも、シーナさんに会えることを喜んでおられたのでないかとさえ思います。
私が一番好きな鮎川さんのギターソロの楽曲を今聞いています。「にわか~雨from二輪加」です。20代の若者の演奏とは思えない感情移入とグルーブが大好きです。本物のブルースギターと感じます。戦後父親とも会ったことがなく、お母さまと肩を寄せ合うように差別と向き合いながら育たれて、シャイな少年は明善高校、九州大学と母を喜ばせようと生きてきた悲哀から湧き出すものでしょうか。3人の娘さんたちを含め家族をロックンロールと同様に大事に愛されてこられたこともわかります。
ぜひ皆さんもこの曲を聴いて鮎川さんを思い出してください。心からご冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。