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#3 深く せまく 清く

私の交友関係は狭い。

どうしてかって、物心ついた時にはそうなっていた。

長方形の積み木をただ黙々と積み上げ続けた2歳

こだわりの泥団子をひとり作り続けた4歳


幼稚園でお友達が遊んでくれないからと、知らない子達に混ざるようなことはしなかった。

そんな日は、蛇に捕食された蛙が消化されていく様をずっと観察し続けた。


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興味がない人間の話は退屈だ。

オチの有無ではなくて、その浅さ。圧倒的な浅さが私の興味を削いでいく。

頭蓋骨にハッピーターンの粉が詰め込んであるのかと思うくらいの、脳内ハッピーカラフルマイワールドにはどうも付いていけない。(だがハッピーターンは美味い。)

そう感じている時の私の目は相手の目を見ていないし、きっと向こうも私を「つまらない人間だ」と思っているのだろう。

私は「生きづらい」人が好きなのだからそれでいい。

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生きづらい人間はナイトプールには行かないし

事あるごとに映やそうとしない。

タピオカに2時間並んだりしないし

分不相応なレストランで年の数のバラを恋人に贈ったり 貰ったりしない。

ましてやリムジンをハートの風船で埋め尽くしたりしない。


なんていうのは偏見だけど、

生きづらい人間は、そういう「わかりやすい楽しさ」「一般的同世代の当たり前」を素直に受け止められないから、生きづらいのだと思う。


私はその歪みが、卑屈さが、妬みが、めんどくささが、頑固さが、好きだ。

そしてその中に立つ、一本の柱が好きだ。


そしてそれらを乗り越えて、笑おうとしている人間はもっと好きだ。


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私の中のめんどくささや卑屈さを放り込んだ曲を、どうか愛して欲しい。

物販でニコニコしている私ではなく、私の頭の中で叫んでいる私を愛して欲しい。


私はこれからも、生きづらい人間と生きていく。




2020.09.13 ツヅクリタ 




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