#3 深く せまく 清く
私の交友関係は狭い。
どうしてかって、物心ついた時にはそうなっていた。
長方形の積み木をただ黙々と積み上げ続けた2歳
こだわりの泥団子をひとり作り続けた4歳
幼稚園でお友達が遊んでくれないからと、知らない子達に混ざるようなことはしなかった。
そんな日は、蛇に捕食された蛙が消化されていく様をずっと観察し続けた。
-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.
興味がない人間の話は退屈だ。
オチの有無ではなくて、その浅さ。圧倒的な浅さが私の興味を削いでいく。
頭蓋骨にハッピーターンの粉が詰め込んであるのかと思うくらいの、脳内ハッピーカラフルマイワールドにはどうも付いていけない。(だがハッピーターンは美味い。)
そう感じている時の私の目は相手の目を見ていないし、きっと向こうも私を「つまらない人間だ」と思っているのだろう。
私は「生きづらい」人が好きなのだからそれでいい。
-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.
生きづらい人間はナイトプールには行かないし
事あるごとに映やそうとしない。
タピオカに2時間並んだりしないし
分不相応なレストランで年の数のバラを恋人に贈ったり 貰ったりしない。
ましてやリムジンをハートの風船で埋め尽くしたりしない。
なんていうのは偏見だけど、
生きづらい人間は、そういう「わかりやすい楽しさ」「一般的同世代の当たり前」を素直に受け止められないから、生きづらいのだと思う。
私はその歪みが、卑屈さが、妬みが、めんどくささが、頑固さが、好きだ。
そしてその中に立つ、一本の柱が好きだ。
そしてそれらを乗り越えて、笑おうとしている人間はもっと好きだ。
-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.-.
私の中のめんどくささや卑屈さを放り込んだ曲を、どうか愛して欲しい。
物販でニコニコしている私ではなく、私の頭の中で叫んでいる私を愛して欲しい。
私はこれからも、生きづらい人間と生きていく。
2020.09.13 ツヅクリタ