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映画1・クライシス

ゲイリー・オールドマン映画が観たくなって
Netflixで視聴。

身体の痛みへの鈍感力を盛大に発揮している私は
鎮痛剤をほぼ飲まない(ついでに言えば飲んで効いたことない)。
小さい頃にひとりぼっちすぎて、痛くても誰も助けてくれないし
お金もなくて病院も行けるわけじゃなくて、
1人で我慢するしかなかったため、気合いで鈍感にしたとも言える。
(あと、特に大病していないとも。)
「気絶するくらい痛い」時に使うのかなとか、
私の閾値が何かとおかしいのだろう。

なので、なぜにそこまで鎮痛したがるのか?
と個人的には思ってしまうオピオイド系鎮痛剤の蔓延。

何かと「すぐ楽になる」ような薬には依存性がセットみたいなものらしく
寝たり、肩こりだったり、気が楽になったり、ぼんやりしたり
苦痛から逃れる系だと、多分、薬剤自体に依存性がなかったとしても
心が依存してしまうことも多いのではないかしら。

ご存知だろうけどアルコールの身体依存性も
そこらへんに出回っている物質の割に驚くほど高い。
そんなもんが身分証も大して確認されずに買える。
という、いろいろ緩やかなこの日本で生まれ育って
他所の国に暮らしたこともない私なので
この映画で訴えようとしていることがピンとこないかもしれない。
ちなみに私の父はアルコール依存症だろう。
とっくに死んでるけど。

アメリカのドラマなどを見ていると
アルコール依存症や鎮痛剤の依存症がしょっちゅう出てくる。
依存症を克服するために、血の滲むような努力をしている人も
同じようにしょっちゅう出てくる。

そもそも依存症なんて、否認の病なので
「依存なんてしてねーし」
がスタート。
身の回りに見付けづらい。
これは酔っ払いが「俺は酔ってねえ」とか
変なこと言えば高齢者が「まだまだ大丈夫」と運転を止めないってのは
身近にイメージしやすいような気がする。

そんな「厄介な」病気を減らせる画期的な薬剤ができて
治験を走らせている。
そこで・・・というお話。

まぁそもそも、「治験の最終段階」に入ってから「死ぬかも?」みたいな
致命的な欠陥はなかなかにありえない、とはいえ、
そこは映画だからね!俺!と言いながらも
「どうするんだゲイリー!」
とハラハラ。

お金で動く人でいないために
私はどう生きるべきなのか。

そんな資本主義社会で生きている間に答えなんて簡単に出なさそうなことを
しんみりと考える映画だった。
とりあえず同じ薬関係で
「シド・アンド・ナンシー」
も観ておきたいな・・・とも思った。
ゲイリー・オールドマンの長い歴史をたどる気分にひとりでなってしまった。
あれ観た時、私も若かったよ。
深淵を覗いとる。

おしまい。


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林田りんだ
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