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読書メモ41「アーモンド」

恋人(故人)が脳炎で偏桃体や海馬のあたりをやられたので
情動や、記憶があまりよく働かなかった。
「人を好きだとか、よく分からない」
と最初の頃は言っていた。

「だけど、今、りんちゃんに会いたいなと思う気持ちを好きと定義する」

そう宣言してくれて、私たちは一緒にいた。

そんなこともあって私にとって、偏桃体 amygdala はとても近しい。
彼のMRI画像を大事に眺めるほどに(もらった)。

彼の記憶とともに。

ということがあったので、知ってはいたけれど
彼のことを思い出してつらくて
手に取ることを躊躇していた本。

案の定というか、1年前だったら号泣していた文章が。

そのうち、僕は母さんの声を忘れてしまうかもしれない。あの事件の前まで僕にとって身近だったすべてのことが、少しずつ僕から遠ざかっていた。

「アーモンド」ソン・ウォンピョン P.180

先日、古いお友達と久しぶりに会ってお話した。
彼女も大切な人を亡くしている。
彼女はこう言った。

「ふたりの思い出」の持ち主の片方が死んでしまうと
残された片方は、それが現実だったのかどうかすら分からなくなる。
記憶は毎日作り変えてるし、記憶はすぐに改ざんできてしまうから。
もう、ふたりで
「そうだったね」
「あんなことあったね」
と確認し合うことは叶わないから。

そうなのだ。
離婚したときもその喪失感はあった。
子育てしていて、赤ちゃんだった時を覚えてる相手がいないなと。
だけども、死は圧倒的だ。

この本も死から始まる。
情動のない目線から世界を眺めていく。
ジュブナイル文学なのかな。

私はゴニだ。
ユンジェとゴニが仲良くなったように
私たちは一緒にいたのかもしれない。
彼は私の感情が豊かだとよく言っていた。

私にとって、この本は静かに静かに感動を持ってくる。
とても静かに。
分かりやすくもあるけれど、描写する表現がきれいだなというところが
そこかしこにあった。
翻訳だから原文と日本語が少し違ったとしても。

おしまい。

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林田りんだ
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