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「自分探し」するなら海外行かずに自国で100キロウォークしろよ

◎前章

~経緯~

あなたにとって「歩く」とは何だろうか。恐らく、多くの人に取っては何気ない行動の1つに過ぎないし、あまり気に留めることでは無いと思う。

・「駅近8分の好立地!周辺にコンビニ、スーパーがあります。」
・「丁度良い時間にバス無いじゃん。仕方ない、駅まで歩くか…」
・「趣味は散歩です。目黒の川沿いをブラブラ歩き、カフェで珈琲を飲みながら小説を読むのが最近の日課です。」
・「はい、御社には最寄り駅から歩いてきました。電車内で御社の広告を見つけ、ワクワクした気持ちでこの面接会場に来ることが出来ました!」
・「こんにちは!マッチありがとうございます😂 距離近いですね!!歩いて行けますが、良ければ会いませんか👍」

正直、日常で「歩く」を意識するのなんてこれくらいだろうか。致し方ない。なぜなら歩くことは「別に何とも思わないこと」だから。
交通機関がいくら発達しようが、人間が如何に空を目指そうが変わらない。
基本的に、人は歩いて生きていく。
ひとまず、健康上に何らかの不具合がある場合を除いたら、それを辛いとか、苦しいと感じることって少ないだろう。

でも、もしそれが「異常」な歩きだったとしたら?
24時間で100キロ歩く大会に出るよ、と突然言われたら、あなたはどうするか。大会に参加しなければ良いのでは?という問題ではない。
では「今日、自分の生活圏で大震災が起こって交通機関がストップし、歩いて帰らなければいけない状態」になったと仮定する。あなたはどうするか?
距離によるが、僕ならば歩けないと思う。そんなの無理でしょ、と直感的に理解する距離だから。

その直感的な「無理です」の5倍くらいある距離を、29時間制限で歩くという意味が分からないイベント、【霞ヶ浦一周ウルトラウォーキング118キロ】に参加することになった僕の心情、当日の絶望をお裾分けしよう。

シワッシワのスタートポール

※この記事では事前準備(持ち物、トレーニング方法等)については全く触れていない。詳しくは別の記事に記すことにする。
※備忘録としての役割も果たすので、かなり文章が長くなると思う。興味があり、尚且つ時間がある方は読んでみてほしい。

あと、後述するが自分探しの旅に出ている人間には是非この文章を読んでほしい。タイやインドに行かなくても、100キロ歩けば本当の自分と出会えるかもしれないよ、と。

~きっかけ~

きっかけは、所属する会社の上司に誘われたから。
随分軽い言い方だったなぁ、と2023年の始めを思い出す。

「去年100キロ歩いたけど、今年は人数を増やして、距離も伸ばして挑もうと思って(笑)」
・・・まさか声をかけてくるとは。
運動音痴のこの僕に、、、

ただ、決してこれはパワハラでは無いということだけは伝えたい。あくまで「きっかけ」だ。参加を決意したのは僕自身の意思決定による。
だって「上司が誘ったから歩いただけで~」と言ってしまうのは、正にセルフハンディキャッピング、言い訳を残して逃げている様ではないか?
そんなの、ダサ過ぎる。
土日の過ごし方くらい自分で決めたいよね。

そこで、僕が参加する理由を整理してみると
①自分の人生史上1番の経験にしたかった
これまで「人生の自慢や辛かったことは?」という質問に「イチローの引退試合を現地で観戦したこと」「北海道の旅行中に大地震に遭って被災したこと」など、「勝手に見舞われる(良い意味でも悪い意味でも)」事が多くて自分本位の経験が無かった。だから、自分自身の経験を創りたかった
②単純な興味
118キロ歩いたらどんな感情になるんだろう、どんな景色が見れるのだろう、達成感を味わってみたい、精神力を試したいという好奇心はあった
③118キロも歩けば、もうこれからの人生でそれ以上に辛いことが無さそう
これまで「人生で最も辛かったことは?」と聞かれたら、中学時代の部活動を挙げていた。あの部活の練習に比べたら今日のテストなんて余裕、みたいな自己暗示をして生きてきたが、そろそろ潮時だと感じたので
④好きな作家も100キロハイクを経験していた
朝井リョウという作家が好きなのだが、彼は学生時代に100キロハイク(本庄早稲田〜早稲田大学メインキャンパス)を経験している。当時を綴ったエッセイは何度も読んでいたため、文章と同じ経験ができる絶好の機会だと捉えた

この4つが大きい。というか全て。
でもこれを書いている今、猛烈に年始めの自分を殴りたいと思う。
これを読んでいるあなたも、もしかしたら既にウルトラウォークへの参加を決めているあなたも、判断に迷っているあなたも、悪いことは言わない。参加するのを辞めた方が賢明な判断だと強く言える。
それでも「参加する」と言うなら、止めないけど。

~メンバー発表~

普通に生きてて「100キロ歩くイベントだってぇ~!?ズバリ、出場するしかないでしょう!!」と脳内変換されるのはイかれていると思う。前述した通り、今回は僕の属する会社の1人(上司A)がメンバーを招集して大会に参加する形となった。「参加しよ?」と聞かれて「はい!行きましょう!!」とブッ飛んだ回答をしたメンバーを堂々、紹介していく。

・上司A
40代男性。去年100キロウォークイベント(以下:ウルトラウォーク)に初参加し、見事24時間で完歩。元々走る/歩くことが好きで、今回のメンバーを招集した張本人。そもそも100キロ以上歩くイベントを大人数でやってみよう、と考える思想がイかれている。
・上司B
50代男性。上司Aらと共に去年ウルトラウォークに初参加し完歩。
2年連続で100キロ以上歩く大会に参加しているので当然イかれている。
・先輩C
20代男性。上司A、Bと共に去年ウルトラウォークに初参加し完歩。
完歩したのに「俺、100キロ歩いてきたんだよ」とか一度も言わなかったし、自慢もしてこなかった。普通じゃないイかれ方をしていてちょっと怖い。
・上司D
30代男性。ウルトラウォーク初参加。かなり体格が大きく、身長も高いが体重も100キロを超えている。「100キロの男が100キロ歩いたらどうなるのか?」と笑っていたので、もちろんイかれている。
・上司E
20代男性。ウルトラウォーク初参加。学生時代、駅伝部の活動に打ち込んでいたらしく、かなりのやる気を持って参加。本番当日も常に先頭に立ち、メンバーを引っ張った。常識的に考えてもやっぱりイかれている。
・後輩F
20代男性。ウルトラウォーク初参加。学生時代、強豪校の陸上部に所属し県大会にも出場したスプリンター。上司Aが誘うのも無理は無い経験の持ち主。でも短距離専門だったのにいきなり100キロに挑戦するのはおかしいので、こちらもイかれている。
・僕
20代男性、社会人2年目。ウルトラウォーク初参加どころか、運動全般が不得意。出不精で体を動かさないとすぐに肥る体質なので、仕方なくジムに通ってランニングを始めた。こんな奴が参加するなんて絶対にイかれている。

以下、弊社7人の略称としてD社(Dabble:軽い気持ちで取り組む/興味本位で手を出す、7人がいる会)と表現する。

◎大会初日(2023年3月18日)天候:雨/曇り

~12時45分~

遂にこの日が来てしまった。土浦駅から少し歩いた川口運動公園。
1週間前からこまめにチェックしていた天気予報が的中、3/17まで穏やかな春の日差しに包まれていたのに今日だけ雨。しかも最高気温9度、最低2度。
ゼッケン番号的に150人くらいが参加していると聞いていたが、この雨のために参加者は減っているだろう。全体的に50代以上の男性が多めかな?という印象。今回の最大派閥かと思われたD社だったが、普通に10人くらいの団体参加者がいたので敗北した。初日の格好は以下の通り。

上下共にワークマンのレインコート

~12時55分~

制限時間は29時間後の19日/18時。
82キロ地点の関門を19日/9時までに超えていないと強制リタイアとなる。
単純計算で20時間後に82キロ進んでいれば良いのだから、時速4キロで足りないくらいか。でも常に歩き続けるのは無理だし、やはり最初が肝心。
なーんてことを算数が苦手なおつむで考えていた。

~13時00分~ スタート地点

始まってしまった。カウントダウンが終わり笑顔でスタートする参加者達。なぜこの状況で笑っていられるのか。いや、もう笑うしか無いのか。
レインコートを着ているのでひとまず寒さは問題無し。まずは7キロ先のチェックポイントを目指す。
理想を言うのであれば、元気なうちに距離を稼いでおきたいところだが、とにかく道が狭い。駅前なので歩道が狭く、他人を抜かす事が出来ない。先頭から1列になって歩いているイメージだったので、さながら大名行列。ダラダラ進んでいる感覚なので辛さは無いが、肌寒い。

ちゃんと雨降ってる

~14時40分~ 7キロ地点

指定コンビニ①到着。ダラダラと歩いているということは、その1箇所に人が集結してしまうことを意味する。お手洗いは激混み、レジにも長蛇の列が。雨に濡れた手を洗いたかったのだが、断念せざるをえなかった。

セブンイレブン阿見掛馬店

ウルトラウォークは「指定コンビニ」と「エイド」というチェックポイントがあり、指定コンビニは経路上にある普通のコンビニ。この日ばかりは店員さんも「異常者が大量に来店するよ」と事前に聞かされていたに違いない。
エイドにはテントが張ってあり、人数管理と食事の提供がある。ちなみに118キロの工程の中に指定コンビニは全5カ所、エイドは全4カ所。他のウルトラウォークと比較してチェックポイントがかなり少ないと知ったときは、軽いショックで頭痛を起こした。

~15時30分~

かなり足下が悪くなってきた。農道みたいな所を突き進んでいるので、凸凹の道路には水たまりが結構ある。下を見ながら歩くのはストレスだった。
後輩Fが「後ろ歩きするとちょっとだけ楽です!」って言ってるのを聞き、D社全員で後ろ歩きし始めた瞬間は、他者から見たら恐怖だっただろうなぁ。

足元悪い農道

~16時30分~

既に上司Dがきつくなってきており「最後の『気持ち』で歩いている」とのこと。
先輩Cと後輩Fが励ましながら歩いていて、なんて優しい世界なんだろうと見守っていた。

~19時20分~ 27キロ地点

第1エイド到着。上司D、リタイア。
この時点でハーフマラソン分くらいは歩いたことになる。雨天だからと100均の靴カバーを着用していたのだが、やはり長くは保たずに破損した。

ありがとう左足靴カバー(右足はスタート直後に浸水した)

夕食の時間と重なるタイミング、食事配給はセブンイレブンのラップサンド。思い返せばこの商品は美味しかった。これとは別に、カップラーメンやスープといった温かい物を購入して食べている人がたくさん。みんな寒かったですよね。30分くらい休憩。
反射タスキを着用し、上司Dを見送ってから再スタート!

セブンイレブン稲敷古渡店

~21時00分~

振り返ると、この時間帯はまだ楽しかったのかもなと感じている。
6人で歩くとは言えやはり3:3くらいには分かれるもの、上司3人と先輩後輩僕の3人になったところで、懐かしい修学旅行の夜の様な、一気に僕らを学生時代にまで戻してくれる様な、そんな話をしていた気がする。
元々よく話す3人なのだが、普段会社では絶対しない(できない)会話ばかりで、腹を割って話すのって大事なんだなぁとしみじみ。歩いているのを忘れられるほどではなかったけど、かなり気を紛らわす事が出来た。感謝。

街灯が少ないのを伝えたい

~22時10分~ 43キロ地点

フルマラソン分くらい歩いた。
ここまでは特に道が酷く、雨で濡れている&草が茂っている&凸凹の道路&街灯が少なすぎる。上り坂と下り坂を繰り返すような道もあり、少しずつ下半身が痛くなっているのを感じる。普段歩いているときには何とも思わない緩やかな登り道だったり、少しの段差が地味にダメージを蓄積させてくる。

~22時20分~ 44キロ地点

指定コンビニ②到着。
後輩Fがかなりきつくなってきており、スタート時とのテンションのギャップが凄くて逆に笑ってしまった。かく言う私も、両太股と股関節あたりが鈍い筋肉痛みたいに重く、「ここが1番最初に痛くなってくるんだ~へぇ~」と他人事みたいに考えていた。もっと詳しく説明すると、スクワットした後の筋肉痛みたいな感じ。この痛みなら44キロ歩かなくても疑似体験できる。

初日終了

◎大会2日目(2023年3月19日)天候:曇り→晴れ

~0時00分~ 52キロ地点

エイド前のコンビニで小休憩。
何となく、後輩Fは次のエイドでリタイアする雰囲気だったので、最後の力を振り絞って歩いていたんだろう。所謂「『気持ち』で歩く」状態である。気温表示は5度。雨が上がった後の風が冷たい。
ふと、自分の手を見るとパンパンに膨らんでいる。長時間歩くと血液が溜る(?)みたいな話しを聞いてはいたが、まさかこんなに浮腫むなんて、と思わず写真を撮ってしまった。

前に手相占いで「ソロモンの環がある」と言われた、パンパンの右手

~0時30分~ 54キロ地点

第2エイド到着。後輩F、リタイア。
元陸上部で結構運動もできるタイプの人間でもダメだったか、と恐怖が襲ってくる。逃げ腰の僕に、脳内では「後輩がリタイアするなんて心が折れるよな、もうリタイアしちゃえよ」という悪魔の囁きが聞こえた気がした。
食事の配給は紙コップ1杯の味噌汁と、おにぎり2個のセット。おにぎりの冷たさは機械的で、味が濃い味噌汁と対照的だったのが余計悲しい。
100キロ歩ききった経験がある先輩Cでも「既に前回大会の80キロ歩いた状態と同じくらいの疲労感がある」と言っていたので、やはり雨天、道路状況、メンタルが崩れるとこんなにも厳しいのかと痛感する。かなり足も痛くなってきており、自分のリタイアも確実だろうと弱気だった。

セブンイレブン朝来永山店

~3時35分~ 67キロ地点

指定コンビニ③到着。
第2エイドから13キロ、ここまで来るのが本当に地獄だった。
上司B、Eと話しながら歩いてきたため、とにかく歩くことだけに集中する、というよりは気を紛らわせたはず。ただ、もうどこが痛いのか分からないくらい下半身全体が悲鳴をあげており、足を「動かす」というよりは脳で足を「動かしている」というのに近かったと思う。さながらロボットだった。

歩いている最中は街灯が少ないこともあり、遠くにある光(標識や街明かり)だけを見つめていた。ある意味、催眠術に似たものなのだろう。ボーっと眺めていると、自分が浮かんでいるような不思議な気持ちになってきて、歩いているはずなのに動く床に身を預けているような。気温が低いこと、内股が痺れるような痛みを発していることで逆に眠気は無かった。
65キロ地点くらいからは、どうやってリタイアしようか、エイドじゃない場所でリタイアするにはどうしたら良いんだろう、タクシーは来てくれるのか、早く帰って寝たいなど、苦しみから解放されることばかりを考えていた。正に拷問を受け続けるより殺して欲しいと願う、人間の最期の境地だ。付随して、指定されたセブンイレブン行方荒宿店は23時に閉店している。コンビニ外の暗い駐車場で座り込む行為に、精神的にも参ってしまった。

ヨアケマエ

車止めに腰を下ろした瞬間のことを、今後ずっと忘れないだろう。両膝の震えが止まらなくなり、風に晒され続けている両目からはもう涙を流すことも出来なかった。歩けないと言うより「もう立てないな」と感じる。D社各々が靴下を変えたり、ストレッチしたり、持参したお菓子を食べている間、体育座りで縮こまっている自分はなんて惨めで憐れなんだろうと、このまま眠って忘れてしまいたかった。

勢いをつけないと立つことも出来なさそうだったので、小さめの声で叫んで立ち上がり、ここから5キロ先にある24時間営業のコンビニを目指すことにする。もう関門なんてどうでも良い、どれだけ時間がかかっても良いから、次のコンビニで店員さんにタクシーを呼んでもらい、第3エイドまで乗せてもらってリタイアしよう。右足を引きずるように動かして、とにかくゆっくり、集中して歩く。あと5キロで辞められるんだ。それだけを考える。

~4時10分~

明らかに様子がおかしい僕を見て、上司Aと先輩Cが励ましてくれる。
そしてここで、先輩Cはウルトラウォークで必要不可欠、最強と言っても過言では無いキーアイテムを取り出してくれた。それが、ロキソプロフェン。通称「ロキソニン」だ。

ロキソニン、私の好きな言葉です。

この薬にどれだけ感謝したか分からない。ロキソニンを崇め奉る宗教があるならば、真っ先に入信する。それくらい、当時の僕にとって至高だった。
前回のウルトラウォークを歩ききっている2人だからこそ分かる、その即効性と効き目。1番痛かった両内股、鈍痛の両太股から少しずつ痛みが引いていき、少し時間が経つとかなり回復していた。やはり人間は薬という存在と共存していくべきだ。人は、薬でこんなにも感動できる。
気温3度、どこかで鶏が鳴く声が聞こえた。段々と夜が明け始めている。

~5時10分~ 72キロ地点

目的のコンビニに到着。
とりあえずホットドリンクを購入し、一息つく。
到着時点では薬が身体全体に染み渡っていたからか、調子も気分も良い感じ。先程何も口にしていないし、何か食べようかと思っていた最中だった。一緒に歩いて励ましてくれた上司A、先輩Cがリタイアを申し出たのだ。

僕が「薬のお陰で元気です!まだ行きます!」と言ったら全員に拍手されて「よく耐えた!一緒にゴールまで頑張ろう!」と言われるような展開を期待してたのに、これにはあんぐり。特に上司A、あなたが僕を誘ったのに。
まるで僕が彼らの「やる気」を吸い取ってしまったかのように、傍目から見ても2人のコンディションは最悪だった。「自分たちの分も歩ききってほしい」と託された気がしたが、ある意味、呪いだ。

~5時55分~

徐々に昇り始める朝日を見つめて、僕はまた歩き出していた。
スタート地点では7人のメンバーがいたのに、今ではもう3人しかいない。
ここまで安定したペースでD社を引っ張る上司E、
足の痛みはあると言いながら常にポジティブな心持ちの最年長・上司B、
今は薬による効果とアドレナリンで動けているが、後からの反動が怖い僕。

やっと綺麗に見えた霞ヶ浦

「とりあえず関門まで歩き、そこから自分の身体と相談してリタイアするか決めます」と宣言をして出発したため、上司2人は様々な言葉でなんとか僕をゴールまで同行させようとしてくれた。
「関門過ぎたらもう残り36キロだよ!?行けるよ!!」
「今、スタート地点くらい身体が楽じゃない?」
「この3人の中で1番元気あるよ」「太陽出てきて気分変わるから歩こう」
「日中は暖かくなるからこれまでより絶対歩きやすいよ」
「第4エイド近くに美味しい焼き芋屋があるらしいから皆で食べよう」etc……

焼き芋は食べたいなと感じつつ、最後に自分の中で「これはもうゴールを目指すしかないんだな」と覚悟を決めた一言は、「君を誘った上司Aに1年間は自慢できるし、優位に立とうぜ(笑)」だった。
振り返ると、この一言は本当に大きかった。いや、確かにゴールしたら上司にマウンティング出来るなとは捉えていたが、それを最年長の上司Bがサラッと言ってくれるなんて、これはもう進むしかないんじゃないか、ここまで来たら進んだ方が良いんじゃないか、と思えた。逃げたら1つ、進めば2つ。
まず、目指すは10キロ先の関門。時間的には余裕だったのが救いだ。

なんでそんな元気なんスカ?

~7時25分~ 82キロ地点「関門」

9時がデッドラインだった82キロ地点、第3エイドに到着。
歩き始めてもう20時間。なんとか1.5時間早く到着することができたが、それでも第2エイドから7時間が過ぎている。
関門と呼ぶくらいなのだから、食事も少しリッチなものを期待していたが、食事の配給はまさかのKnorrスープパスタ1つのみ。これは怒って良いはず。もっとちゃんとエネルギーとして蓄えられる食べ物があっただろうに、なぜ今これしか無いんだ。いや、Knorrが悪いせいでは絶対無いのだけれど、なんでここでコストカットしてんのや、Knorrなのになんでエイドはファミリーマートやねんとか、あらゆる方向に怒りをぶつけていた。かなり不機嫌に、熱いスープをフーフーしていたと思う。
30分くらい休憩したら、もう「リタイアします」なんて言う気は更々無い。とにかく、記録の勝負ではないので完走を目指して踏み出す。

ファミリーマート小美玉下馬場店

~9時10分~ 88キロ地点

指定コンビニ④到着。
日常生活で考えると6キロ歩くことって大変なことだが、この時ばかりは「そんなもんか」と思える距離だった。コンビニの真横に和菓子屋があったので迷わず入店。老舗というか、規模は大きくないが「地元の人に愛されているんだろうなぁ」と感じるタイプの店構え。値段も良心的で安心する。上司に奢ってもらった栗饅頭を一口ひとくち丁寧に口へ運んだ。ここから次のエイドまで18キロ。最後の、長旅。

高砂製菓本舗

~10時50分~

終わりなき旅。この時間帯は、そんな言葉がふさわしい道中だった。
右手には畑、左手には霞ヶ浦。サイクリングロードにもなっている道をただひたすら歩く。写真を見てもらうと分かるかも知れないが、目標物がほとんど無い、お手洗いも無い、自動販売機も無い、コンビニなんて絶対無い、先も見えない、いるのは釣りに来ている人と駐車された車だけ。元々人が歩く想定をしていないからだと思うが、太陽に照らされながら景色もずっと変わらない道を進む。気温が上昇していること、疲れ切っているので誰も喋らなくなることのWパンチで、ポカポカした眠気も襲ってくる。
もし地獄というものが本当にあるのなら、閻魔様がグツグツと煮立った鍋の前に座っている光景でも無く、空に無数の扉が現れる高台でも無く、死体が積み重なった山の頂から蜘蛛の糸が垂れている光景でも無く、「終わりの見えない事が一生続くこと」をそう呼ぶのではないか?
元々天国に行けるような清々しい生き方では無かったが、こんなところで地獄堕ちするのは勘弁願いたかったので、マスク下で鼻唄を歌いながら眠気を覚ました。

随分天気の良い地獄だなぁ
やっぱりサイクリングロードじゃん

~11時45分~ 100キロ地点

Google Mapによると、遂に100キロ歩いたらしい。
通常のウルトラウォークであれば23時間弱でゴールしていたはずだった。
「100キロ達成!」なんて看板はもちろん存在しないので、呆気ない「100」という数字。東京から熱海まで約105キロらしい。意外と……ね?

もちろん数時間前の薬は効果を薄めており、足首と太股の痛みがずっと付いてくる。この時点でD社に共通していたのは、やはり両太股と両ふくらはぎのダル重い感覚。疲労はとっくにピークとなっているが、休もうにも座る場所が無い。僕はと言えば、だいぶ前にペットボトルも空に。じわりじわりと汗もかいてきており、下着が嫌な感触で肌に触れてくる。汗をかけばかくほど、本当に人間は水分で出来てるんだなと実感できて良い。前日に降った雨を受けて髪の毛はガサガサ、紫外線で肌はパリパリ、花粉症でマスクが外せないので口周りもモヤモヤ、鼻水も必死に抑える無音の時間。五感は生きているはずなのに全てがエラーを起こしていた。

~12時15分~ 103キロ地点

最後のエイドまで残り3キロ!スパートをかけたいところだが、道はどんどん霞ヶ浦を離れて山の方へ。「本当にルートは正しいのか?」と疑心暗鬼になってくる。どうにも正解らしいが、ここはもう山道。まごうこと無き上り坂(写真で伝わらないのが悔しい)になっており、広い道路に出たと思えばカーブの多い坂道。先が見えぬ絶望感、横切っていく多数の車。

木漏れ陽(上り坂)

ふと、信号で止まった運転者がこちらを見ている。助手席には子どもを乗せており、晴れやかな日曜午後がスタートしたのだと気付く。ずっと彼らを見ていると、自分の置かれた状況に涙が出そうになるので、「どうぞ笑ってくれ、この僕を」と考えながら抜き去った。確実に心が折れた地点ではあったが、精神も枯れたまま歩く。今回のエイドは指定コンビニで初めてのローソンだったので、遠くから青い看板が見えたときは嬉しかったなぁ。

カーブが多くて先が見えない

~12時45分~ 106キロ地点

第4エイド到着。
残り12キロ、最後の指定コンビニが6キロ先にある。
配給は複数の菓子パンから1つ選択、朝食みたいなラインナップだった。

このエイドでブルーシートに座った時、やっと本当の光が見えた気がした。ここまで歩いてはみたものの、常に「ゴールまで行けるのか」という不安があり、60キロ地点を超えてからはずっと「歩き続ける」ことが怖かった。普段何も意識していないのに、「自分ってこんな歩き方だったかな?」と精神的にも揺れてしまう。加えて、これまで以上に強い痛みがくるんじゃないか、本当に完治する痛みなんだろうか、靴を脱いだら水疱とか痣とか内出血とかになってるんじゃないか等の不安とも隣り合わせ。極めつけは「100キロを超えたのに全く感じなかった『達成感』を、118キロ歩いたら心から感じることが出来るんだろうか?」だった。
でも、それら全てを含んでいても「ここまで来たらやるしかない」という決心はかなり大きなアドバンテージになった。

※お茶は配給されません

旅先で「せっかく来たんだし」、とお土産を大量購入して後から悔いるのと同じなんだろうが、「通常であれば経験できない時間、ここまで来たらやるしかないぞ」と自らを鼓舞し、暗示し、メンタルを強く保つ。

ローソンかすみがうら西成井店、正念場

〜13時30分〜 107キロ地点

13時15分に出発し、すぐ1回落胆することになる。
「第4エイド近くに美味しい焼き芋屋があるらしい」と楽しみにしていたお店だったが、想像以上に人気店だったらしく、ウルトラウォークとは全く関係無くめちゃくちゃ混雑していた。店外に飛び出すくらい人が並んでおり、やむ無く断念。冷やし焼き芋、本当に楽しみにしていたからエイドであまり食事しなかったのに。エネルギー不足を補うため、購入しておいたチョコレートで凌ぐ。僕にとってはチョコレートも魔法の薬だ。

蔵出し焼き芋かいつか かすみがうら本店

~14時30分~ 112キロ地点

落胆から1時間、丁度5キロ進んで最後の指定コンビニ⑤に到着。ここでは5分だけストレッチして、ほとんど休まずにまた歩き出す。
それはそう、3人とも休んでしまったら動き出せなくなるから。
残り6キロ、たった6キロ。でもその数キロでリタイアしたくなるほど足が痛む。左足親指近くから違和感があり、水疱の予感がする。右足に至っては足の甲の部分が激痛を発しており、一歩ずつ着地させるのが怖い。出来ない。

生み出した方法としては、左足を着地させた後、右足を外から回すように浮かしてゆっくり着地させる。周囲から見れば足を引きずっているのと大差ない。歩行困難なのは明白で、あと数キロは何がなんでも耐えるんだというメンタル勝負。これが「最後の『気持ち』で歩いている」状態なんだろう。上司2人もロキソニンをキめていたので、苦悶の表情は僕だけだった。

日陰も少なかったな

~15時00分~ 114キロ地点

ふいにZARDを歌いたくなる。
スポーツには名曲が付きものだが、マラソンと言えば「パステルカラーの季節」と「サライの空」って相場が決まっている。D社それぞれ誰も話さず、ただ無心にひたすら歩を進めるだけなので、鼻唄より大きめの声で「ふとした↓瞬↑か↓ん↑に↑~」とマスクの下で歌う。2人には気付かれていないと思うが。
これ以前の道中でも軽く叫んだり、鼻唄を歌ったり、「頑張れ(自分)」と口に出して言ってみたりしたのだが、自らを鼓舞すること、暗示して集中することの重要性は、ウルトラウォーク経験の中でもトップクラスの利益になった。「嘘から出た実」はリアル。

~15時30分~ 116キロ地点

ここは砂漠。トンネル。闇。地獄。なんて表現すれば良いんだろう。
最後の2キロは永遠に辿り着かないんじゃないかと感じてしまうほど、自分のペースも遅くなっているのが分かるし、道のりは長いし、相変わらず太陽は燦々と輝いている。やっと交通量も増え、建物も見覚えのある風景に。なのにゴールへ全然辿り着かない。
足は限界を迎え、太股をトントン叩いてほぐしながら歩く。上司2人は分かっていたと思うが、この地点の僕は態度もかなり悪かっただろう。疲れていたため、常にガンを飛ばしているような目、受け答えのハリの無さ、笑顔になれない表情。最後だからこそ助け合うべき、声をかけて励まし合うべきだったのに、一切そういうことが出来ないくらいしんどかった。正真正銘のラストスパート地点で、孤独を選んでしまったのが心残り。

~16時00分~ 118キロ地点「ゴール」

ゴールのポールが見える。運営のゼッケンを着た人がいる。
やっと、終わったんだ。上司のゴールを見届け、3番目にゲートをくぐり、喜びを分かち合うより先にブルーシートへ倒れ込む。完歩証明書を受け取ったら、タイムは27時間3分と記されていた。
もっと大きな達成感が、もっと心躍る感覚がゴールにはあると捉えていた。
だってそうだ、それくらい無ければ基は取れないほどの経験だったから。
ゴール直後、頭に浮かんだのは「喜び」。でもそれは118キロを歩ききったことに対するものではなくて、「やっと帰れる」という一点のみだった。

仰向けに寝転がったブルーシートから見上げる空は、気持ち悪いくらい澄んだ青。数時間前まで敵に見えていた太陽も、この時だけは僕を暖かく包み込んでくれた。

写真を見返したら絵文字と同じ顔をしていました。
完歩から1週間はどこに行ってもこれを持ち歩いてた

◎後日談

~当日帰宅後~

もう歩きたくない、足が動かせないと思ったのは初めてのことだった。
帰宅後すぐに入浴し就寝したが、疲労が取れるはずも無い。全身に湿布や絆創膏を貼っていたが、傷だらけの身体ではたった数メートル歩くことも困難で、座る・立つ・寝る・起き上がるといった行動は全てスローモーション。日常の些細な行動に全て制限がかけられたような感覚である。

ウルトラウォーク直後は月曜日。さすがに有給をいただき、1日中寝た。
ちなみにD社7人中、有給取得者は僕と後輩Fのみ。なんのバグなのか?
特に完歩した2人は、会社までどうやって行ったんだろうか。普通に歩けてるとしたら、どんな魔法を使ったのか聞きたい。

屈強な絆が深まったはず

~鬼畜大会から2週間後~

完歩した後も、当分この大会のことは忘れられなかった。と言うのも、「歩ききった」という記憶では無く「痛み」でだ。以下はその戦いの記録である。

・完歩から3日間は右足を引きずるようにして歩く。右足の甲が1番痛い。
・湿布は7日間、水疱への絆創膏は1週間以上貼り直して過ごした。
・右足の踝の上部分に見たこと無い色(橙色?)をした水疱ができていた。
・左足の指の部分に連続して大きめの水疱ができていた。
・両足とも土を踏む部分が痛くて、自転車のありがたみを実感した。
・完歩から2日後に整体へ行った。「120キロくらい歩いたので足が痛いです」と伝えると、整体師も「当然ですね」と言って若干引いていた。
・WBCで日本が優勝した瞬間も足が痛かった。
・これまで駅の階段は歩くようにしていたが、エレベーターを多用してしまう。何回かは電車で堂々と優先席に座った。
・1週間してようやく「歩くこと」に対する抵抗感が消える。もちろん、まだ痛みはあるので走れない。
・2週間してやっと痛みから解放された。本当に歩ききったんだなと振り返る事が出来るようになり、このnoteを書いている。

65キロ歩いても10万歩はいかないんだね
Pokemon Goサイドもびっくりの数字じゃないか?

~タイトルの意味と「自分探し」~

27時間という時間は、ただ歩くだけでは果てしなく長かった。歩きながら色んな会話をし、些細なことから漠然としたことまで本当に様々考えた。あそこを飛んでいる鳥の名前はなんだろうとか、そこの畑で穫れる野菜はなんだろうとか、なんで僕は今歩いているんだっけとか、僕という人間の社会的価値とか。今回は会社メンバーだったこともあり、もちろん仕事上の話もした。ただ、他愛のない日常会話や趣味の話、家庭での話を聞いていると、「上司にも帰る場所があって、仕事を外れれば生活があって、本当に仕事という繋がりがあったから出会えた人なんだな」と気付かされる。

道中ですれ違う人とコミュニケーションを取る事、チェックポイントで運営の人と会話する事。コロナウイルスの影響でこういう機会は失われつつあったけど、きっかけを思い出させてくれる大会だった。そして何より、将来の漠然とした不安や今後歩んで行く進路、人間関係や社会的な見られ方といったことも含めて「あらゆる自分のこと」を考える時間になったと思う。絶対に完歩するんだ、という己との戦いだけで無く、物理的な体力も必要なので、生半可な気持ちでは絶対に上手くいかない。1人で歩くというのも狂っている。ただ、時間もお金もそこまでかからない事を考えると、ウルトラウォークは十分「自分探し」として使えるのではないだろうか…?

例え「見知らぬ土地で見知らぬ人間関係を築いて生きていく」ことでしか得られない経験値があったとしても、それに近い「自分探し」は案外数万円の参加費を払えば体感することができるのだと、僕は声を大にして言いたい。

泣きそうになって、心は何度も折れて、それでも必死に食らいついて何とか前を向いて歩いた。
もう2度と参加しないだろうけど、最後まで完歩したことは一生の自慢になるだろう。ここまで読んでくれた方がいるならば、最大限の感謝と、ウルトラウォークという「絶望」が伝わっていることを願っている。ありがとうございました。


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