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貧乏ニートが「障害年金」で予備校に通い、医学部に合格した話



医学部受験失敗

僕は、高3の冬、医学部受験に失敗した。
シングルマザーで貧乏、私立医学部を受ける経済力はなく、国立医学部一本で受験。結果は不合格。

貧乏片親世帯で大学受験失敗したら即就職の現実

「医学部受験に失敗したなら、浪人すればいい」そんな甘い世界じゃなかった。
予備校に100万円すら出すことができなかった親からは、受験に失敗したら就職するように言われていた。

食事が喉を通らない。涙が出てくる。夜眠れずに3時に起きてしまう毎日

受験に失敗したショックは、まだ前頭前野が発達しきっていない18歳にはとても耐えられなかった。食事が喉を通らなくなり、夕ご飯の途中に涙がポロポロとこぼれ落ちた。悪夢に飛び起きる毎日が続いた。

精神科を受診→うつ病と診断

悲惨な毎日を送っていた3月下旬、親と一緒に睡眠導入剤をもらいに精神科を受診した。いつもADHDの薬を処方してくれていた主治医M先生はびっくりしていた。希死念慮が出ていた私を優しく慰めてくれた。M先生(女性)は女神様のように見えた。

ただのニートからの逆転劇

4月から大学生でも新卒でもなく、自宅警備員になった僕。
いつも通り月1で精神科に通院していると、M先生から障害年金を受けないかという提案があった。それが僕の人生の分岐点だった。
障害年金の診断書は精神科初診日から1年6ヶ月が経過しないと書けないのだが、僕は小さい頃からADHDで精神科に通院していた。
すぐに診断書を書いてもらい、年金機構に提出した。2ヶ月ほどで障害基礎年金2級の受給決定の通知が届いた。

障害年金のおかげで予備校に通えた

実は障害年金の決定通知を受ける前に、障害年金の審査に通ることをM先生から聞いていた。というのも、障害年金の診断書には、日常生活の程度を評価する項目があり、その数値で受給の可否が決まるのだ。M先生は確実に僕が年金を受け取れるように書いてくれていた。それを聞いた母親は生活防衛資金の一部を予備校に一括で払う代わりに、のちに入る障害年金で埋め合わせをするなら予備校に行ってもいいよと提案してきた。もちろん僕は「やる。」と答えた。

駿台での予備校生活

この1年は全てを投げ打った。スマホやテレビを捨て、もちろんYouTubeを見ず。最初の1ヶ月で勉強法に関する本をメルカリで買い漁った。
朝は6時に起きて、駿台横浜校に行く。そんな毎日だった。そして、横浜市立大学医学部に合格した。

医学部合格と障害年金の停止

実は医学部合格後も2年間は障害年金をもらっていた。というのも、次の更新まで3年あり、それまではうつ病が治っていようとなかろうと年金がもらえるのだ。次の更新はしなかったが、それでも大学2年生まで年間80万近くもらえるのは非常に助かった。

今は精神科医として、M先生のクリニックで働いている

あのとき、精神科で障害年金を受けていなかったら今何をしているだろうかと考えることがよくある。M先生や一人で僕を育ててくれた母親に、恩返しをすることができるのは障害年金があったからではないか。
そして、今僕は障害年金を出す立場にいる。一人の医者として、毎日目の前の患者に対して全力で向き合っている。障害年金は医師だけが出せるセーフティーネットだ。僕はこれからも障害年金の診断書を書き続けるだろう。
ありがとう。M先生、お母さん、そして、障害年金。


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