裕福な人って、どういう人?
今日は、裕福について考えたいと思います。裕福になりたい人は多いでしょう?あなたにとって、裕福とはどんなイメージでしょうか?
例えば、1億円の預金があれば、裕福と言えますか?
私は、裕福には経済的なことだけでない部分が含まれると考えています。裕福には幸せなイメージがありますでしょう。裕福になる前に、裕福になってどうしたいか、裕福になるのは何のためか、自分なりの答えを持つことは、大事なことと思っています。
1.富裕層はどれくらいいるの?
金融資産が1億円以上あれば富裕層、5億円以上を超富裕層として分類するデータがあります。もし、あなたが会社員で、全収入が給与収入だけですと、1億円貯蓄するのは、かなり難しいです。上場企業に勤める平均的な会社員でも生涯年収は、3億円に届きません。
全会社員の生涯年収の中央値で言いますと、2億円ぐらいです。これは年収ですから、ここから、所得税・住民税・社会保険料を引いたものが手取りで、それで生活をしますと、預金1億円するのは至難の業ということになります。
2015年ごろのデータによりますと、富裕層は日本人の大体2%ぐらい、すなわち100人に2人です。今ではもっと増えていると思われますが、それでも2.5%までは行かないようです。
金融資産1億円以上を富裕層として、金融資産100万ドル(約1.05億円)以上の富裕層人口の多い国をあげますと、第1位アメリカ、2位中国、3位日本なのです。現在、日本の富裕層人口は世界第3位なのです。
でも、寿命が延びて、人生100年時代になって、1億円あっても安心できないという高齢者もいます。1億円は大金ですが、もし、年金が少なくなって、月25万円、年間300万円使えば、33~34年で1億円もなくなってしまいます。ですから、1億円預金があるからと、自分は富裕層と思っている高齢者は、意外と少ないのではないかと言われていました。
2.経済的裕福の定義
では、裕福とは、どういう状態を指して言う言葉か、これは難しいです。でも、経済的裕福なら、私なりの定義があります。それは、「働かなくても、月額所得と月額キャッシュフロー(CF)が100万円以上あり、かつ、純資産が2億円以上ある状態」です。
この定義に根拠はありません。これは私の直感的なもので、私の顧客を見ていて、この定義に該当する人を、経済的裕福な人と感じているからです。
働かなくてもというのは、時間を拘束されての仕事はしていないとか、仮に仕事をしていても、週8時間以内の仕事をするぐらい、週休5.5日~6日のイメージです。そして、この定義では、現預金が1億円以上ある必要はありません。現預金を含めての純資産で2億円以上です。
言葉の受け止め方は人それぞれですから、言葉の意味も定義しないと、こちらの意図をしっかり伝えることが、実は結構難しいです。経済的裕福の概念を、仮に「月額収入100万円、資産2億円」と書くと、先の定義とは、大きく意味が異なることにもなるのです。
その理由はこうです。例えば、Aさんが、2億円の不動産を購入して、月額100万円の家賃収入を得ているとすれば、「月額収入100万円、資産2億円」に該当し、Aさんは経済的裕福の概念にあてはまることになります。でも、これだけですと、見せかけの可能性もあります。
確かに、月額収入100万円、資産2億円をクリアしています。でも、Aさんはその不動産を購入するために、銀行から2億円の借入をしていたらどうでしょう。
負債が2億円ですと、純資産はゼロになります。月額家賃収入が100万円でも、費用が40万円なら、差し引いたものが60万円、これが所得です。でも、ここから借入金の月額元本返済額が50万円あれば、残るのは10万円です。これがCFとなります。
ここで終わりません。実際には、所得に税金がかかります。税金はこのCFから払うことになりますから、手元にはお金が残らないか、もしくはマイナスになることもあり得るのです。
ですから、収入や資産がいくら多くても、負債が多いと、純資産もキャッシュフローも、実はほとんどなく、経済的裕福には該当しません。大事なのは、所得、キャッシュフロー、純資産ということになります。
話を戻します。先の経済的裕福の定義:「働かなくても、月額所得と月額キャッシュフロー(CF)が100万円以上あり、かつ、純資産が2億円以上ある状態」に該当する人なら、今の日本では経済的裕福な人と言っても間違いないと思いませんか?経済的な不自由はなく、老後は安泰と思えます。よほどの無駄遣いをしなければ、純資産が生涯減らないからです。
この状況を例えるなら、「金の卵を産む鶏を飼っている状態」と言えます。金の卵の価値が、月額100万円の所得ということです。
この鶏を手に入れるため、頑張っている人を私は顧客としてアドバイスをし、ビジネスをしてきました。そして、親しくさせて頂いた顧客に、それを手に入れる人が続々と出てきました。その顧客の年齢はと言いますと、ほとんどが50歳以上です。
その顧客たちのここに至るまでの道のりは、職業的にも様々です。そして幾人もの人たちが経済的裕福になって仕事をやめられ、時間的自由を手に入れられました。念のため、誤解のないように言っておきますが、どなたも私のアドバイスだけで、経済的裕福になられたわけではありません。
私は、この時間的自由とともに、自由に使えるお金をどのように使うか、それは非常に重要で、本当の意味での裕福の答えが、このあたりにあると思っています。
では、次に、私の知っている経済的裕福な人たちが、どのように生活しているか、2名の方のお話をしたいと思います。
3.経済的裕福な人の行動 その1
この人は働く必要は全くないほどの経済的裕福ですが、仕事を継続されています。60代後半で、今も現役で働かれています。純資産は数十億円、年間所得は1億円以上です。
これくらいになりますと、所得の半分以上は税金です。でも、残る金額も大きいですから、年々純資産は増えていきます。仕事がハードなので、命を削っておられるように感じるくらいです。いつも忙しくされていて、時間的な余裕はお持ちではありません。
なのに、なぜ働くのでしょうか、働けば大金が入ってきます。でも、もう必要ないのではないかと思うのです。友人の外国人は、「働く必要がないなら、絶対働かない」という考えを持っていますから、こういう人をクレイジーと言っています。
世の中、高齢になっても、仕事が好きだとか、仕事が生きがいという人もいます。でも、引き際も大事なのではと、私は思います。
この人は、お金の使い方がうまいと感じます。持ち物を見ていますと、さりげなく、良いものを身に着けておられます。でも、全く派手さはありません。品があるのです。
この人の行動には、金持ち自慢や嫌みがまったくありませんから、見ていて気持ちがいいです。私の感覚的な表現ですが、きれいなお金の使い方をされていると感じます。ですから、この人のところに、お金が循環して戻ってきているように感じます。
お金に好かれるタイプと言いますか、こういう人って本当にいるのです。お金に嫌われるタイプとは、お金の使い方が真逆です。人の行動を観察していますと、その違いが見えてきます。
ちなみに、私の周りの経済的裕福な人には、純資産が100億円超の人はいません。年間所得が5億円超の人もいません。このクラスの人になってきますと、極端に少数派になりますから、知り合えるきっかけさえも稀になってきます。ですから、このクラスの人がどういうお金の使い方をされているかは、私はまったく知りません。
4.経済的裕福な人の行動 その2
次に、質素な生活をしている経済的裕福な人の話をします。この方は、若いころから常に質素な生活をされて経済的裕福になられたので、そうなったからと言って、お金の使い方を変えられないまま、年齢を重ねられたのです。今、70歳代です。身内とは離れて暮らされ、友達も少なく、私には寂しい生活と映っています。
身に着けておられるものに高級品はありません。ある時、スーパーで値引き商品を買ってきたと言われたので、余計なお世話ながら、「もっと生活にお金を使われたらどうですか?」と、笑いながらと言ったことがあります。
たとえ、毎日5万円使ったとしても、財産は全く減らないどころか、それでも増える人です。何のために働き、財産を築く必要があったのか、歳をとると忘れてしまうのかも知れません。
金使いの荒い人や、物欲が強すぎると感じる人に、品の良さは感じません。ですから、そうすることを勧めることはないのですが、この人の場合は、ご自身をもっと楽しませるために、少しぐらい贅沢をしてもいいと思います。
この人が、今の生活のまま年老いていくことが、もったいなく思えてなりません。生活習慣を変えるのは、非常にむずかしいことです。
無駄遣いはする必要はありませんが、経済的裕福になられたら、ある程度のお金は使って頂かないと、世の中の経済活動が停滞してしまいます。ですから、質素もほどほどにして、高くとも品質の良いものを買って、生活に潤いを持ってほしいと思っています。
以前、この方のところに、手土産に高級食材を買って持って行ったことがありました。「こんな高いものは、買ったことも食べたこともない。」と言われましたが、喜んでおられました。翌日、「とてもおいしかった」と、上機嫌でお電話をくださいました。そのお声を聞いて、幸せそうな声と思ったのです。
そして、「私よりずっと資産家なのですから、こんな食材くらい毎日買われても、お金は無くなりませんから、どうぞ存分にお買いになって、食べてください。」と言いましたが、その後、高級食材を買われたという話は聞いていません。実際、買われていないのだろうなと思います。
5.裕福とは
裕福とは、経済的なものだけで判断できないように思いませんか?時間的にも、精神的にも余裕が必要ですし、お金の使い方も関係しそうです。これだけでは、まだ足らないような気がします。
心の豊かさも必要ですし、幸せを実感することも必要かと思えます。なぜなら、裕福な人は、あこがれの対象であってほしいと思うからです。
私はその1の方には、「せめて70歳になったら命を削ってまで仕事をしないでください」と、その2の方には、「もう70歳を超えたのですから、もっと贅沢をしてもいいのですよ」と、言わせて頂きたいです。あの世にまで、お金も資産も持って行けないですし、相続人に残し過ぎるのもどうかと思います。
そして、経済的裕福になれた感謝の気持ちを持って、利他の精神で、自分の為だけでなく、世の為人の為に、たとえ少しであってもいいから、お金を使ってくださいと、お願いしたいです。
誰に自慢することもなく、困っている人の為に、さりげなく寄付をしたり、協力している、ある裕福な人を見て、私は格好いい人だなと思いました。
そのとき、社会のために貢献することも、裕福になった人が果たすべき役割で、それが自然体でできるようになったとき、裕福と言えるのではないかと思いました。すなわち、経済的裕福に心の裕福が伴って、初めて裕福と言えると思ったのです。
皆さんは、裕福をどう定義しますか? 和合実