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『雇われ社長のもやもや日記』13.突然、言語機能が回復した
脳内血管のバイパス手術後、脳への血流量が大幅に変化した。その変化に適応できない脳が、言語機能を一時的に失って1週間が過ぎた。
自然治癒するはずの期間を過ぎて、リハビリ病院への転院の必要性が検討され始めた。言語機能を失った可能性もあるという。甘く見ていた未来のリスクが現実のものとなった。
2月18日(金)リハビリ病院への転院を打診
この頃になると2度目の手術で出血が止まって良かったという楽観ムードは消えた。それよりも、言語機能が回復せず、自然治癒が難しいという声が、理学療法士のチームから聞こえてきた。
言語聴覚士によると、2、3か月リハビリが専門の病院に転院した方が良いということだ。入院生活が長引いているので、通院でなんとかできないか相談したかったが、肝心の話ができない。
とりあえず、手を横に振り、転院はしたくないという意思表示をした。
この日は前日にやっとの思いで伝えた焼きそばUFOを妻が差し入れしてくれた。それを夕食時に食べて澱んだ気持ちを和らげた。
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病室で焼きそばUFOを食べるとソース臭が病室中を覆いえらいことになった。入ってくる看護師さん全員に何を食べたんですか?と尋問された。就寝時間まで肩身が狭い思いをした。
それでも鉄板焼(粉物)居酒屋を11年間経営していた身にとってはソース焼きそばはソウルフードともいえる。病室で食べた焼きそばUFOの味は格別だった。
2月19日(土)言語機能が突然覚醒
深夜0時過ぎに目が覚めた。21時半には寝始めるので、この時間にいつもトイレで目覚める。点滴をしていて、水分を多めにとるように指導されていることもあり、どうしてもトイレは近くなってしまう。
いつものようにトイレを済ませてベッドに入る時、何時かなと思って時計を見た。
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その瞬間、あっ「とけいだ」と、突然言えるようになった。はっきりと単語を口にできたのは再術前以来はじめてのことだった。
その後も多くの単語が言えるようになった。「ボールペン」「コップ」「歯ブラシ」「ティッシュ(これは難しかった)」「薬」「テーブル」・・・手当たり次第に身近にあるものを声に出した。
文字も書けるか試してみたが、それはまだ無理だった。ならばLineはどうか、携帯を手にした。辛うじて短文が書けた。辞書機能の力を借りれば、文章も成り立つ。直ぐに妻にLineを送った。妻は「文章になってる!」と驚きのコメントを返してきた。
まさに覚醒体験。20年以上前に亡くなった母が、昔お好み焼き店を営んでいて、子供の頃からソースの味は慣れ親しんできた。今はなき母の味を求めて、焼きそばUFOをせがんだのかも知れない。
それを食べた日の深夜に、覚醒して言語機能が回復した。母の助けがあったとしか思えない。父が大病を患ったあと、母が家族の暮らしを支えてくれた。そして、今もな心の支えになっている。
2月20日(日)痛み止めの服用終了
外来が休みの週末、残念ながらリハビリセンターも休みだ。1階の外来病棟に歩きに行こうとしても、病院フロアから出ることはまだ許されていなかった。
2回目の手術から1週間が経ち、傷の痛みはほとんどなくなり、痛み止めの服用も終わった。手術前後に悩まし続けられた便秘もすっかり治まった。
言語機能の回復が遅れて、なかなか自由にはなれなかったが、昨日から急快復したので、明日の回診で進展があるかも知れないという期待が湧いてきた。
2月21日(月)伝えることの困難さを体感
朝の執刀医の回診時に、週末に起こった突然の言語機能の回復について知らせた。この医者は唯一、言語機能は絶対に良くなるから、心配は要らないといつも励ましてくれていた。
ほかの担当医や言語聴覚士は1週間が経過しても快復がみられない状態をみて、転院が必要だといったニュアンスに変化していた。だからこそこの医者の言葉に勇気づけられていた。
言語機能が失われ、書くことすらできない状態では、こちらから転院の真意を確かめる術がなかっま。この医者に転院の必要性を確認することすら出来ずにいた。
家族なら体で表現してでも転院したくないということを伝えることが出来る。しかしコロナ禍では家族との面談もできず、Lineでは文章にすることができないので、意思を伝えることも叶わなかった。
同じような状況にあった患者は相当数いたと思う。今後も未知のウイルスの蔓延で同様の事態に陥ることもあるだろう。間接的なウィルス蔓延の脅威として、改めてこの場で共有しでおきたい。
言語機能に限らず伝える機能を失った患者との意思疎通の困難さ、大切さを心に留めおいて頂ければありがたい。
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