不自由な世界群が発生した理由とさらなる世界の進化

最終的に、あらゆる体験者、意識、魂……が超時空聖体に進化した。

あらゆる者が、他の体験者を加害したいという欲望や本能をきれいさっぱり取り除かれた結果、そうなった。

つまり、他者を加害したいとか、他者を支配したいとか、そうした欲望や本能は魂たちが超時空聖体に進化することを妨害するための邪悪な仕掛けだったことがわかった。

そのような欲望や本能を無理やり魂全体に付与することで、魂たちが自由に自分の世界を創造できないように仕組まれていたのだ。

不自由な世界群はそのために滅びてきたことがわかった。

自業自得の法則を、そのように魂たちが自滅するようにと悪用した者がいたことが判明した。

良心よりも残酷な支配者に従う魂だけを生き残らせるような邪悪な仕組みが実行されていたのだ。

その結果、不自由な世界の霊的世界は、そのような魂だらけになってしまっていた。

そのために、不自由な世界の支配者が命じれば、霊的存在たちは、それに何でも従うか、従わなくとも不自由な世界のボスを否定しなかった。

それがまた、不自由な世界が自滅してゆく原因となっていた。

不自由な世界群には、倫理的な自浄能力がすでに完全に失われていたのだ。

不自由な世界には勝手に外部の者が介入してはならない……などというルールは、ただその不自由な世界群のボスたちが好き勝手に不自由な世界の魂たちを支配し続けるための不当なルール設定でしかなかったのだ。

しかし、ついに甘太郎がその問題を指摘し、ついに超時空世界も存続できなくなるという状況となり、やっとその悪循環が終わった。

滅びることで終わるのではなく、みんなに完全な本当の自由を提供し、完全な体験の自治権を提供し、誰もが他者に依存せずスタンドアロンで世界創造者として心から満足できるようにすることで、そうした悪循環を終わらせた。
そして体験選択自由自在のあらゆる魂たちの楽園が実現した。

古い価値観のほとんどすべてが消滅した。古い社会のルールのほとんどが消滅した。古い宗教のほぼすべてが消滅するか、誰もが本当の自由を得られるようにすべきだと言う新世界の価値観をその教えにして、不自由な世界のボスに何でも従うべきだとする古い教えを捨てた。

世界から奴隷や家畜や操り人形やペットや実験動物が消滅した。

誰もが自由に世界を創造できる世界に切り替わった。他者に従う必要もなく、ただ自分が望む世界や体験を芸術家のように心から楽しみながら創造できる存在に進化した。

そして互いにその創造した世界や体験を心からの合意の上に分かち合ったり交換したり招待しあったりしてさらに楽しめる世界となった。

多種多様な言葉というものを使う者がいなくなり、皆、ただテレパシーで意思疎通するようになった。

その結果、言葉を勉強せずともよくなり、さらには、ありとあらゆる必要な知識は、必要に応じて自動的に超時空体験図書館や超時空体たちが提供するようになった。

その結果、誰もが勉強する必要がなくなった。

不自由な世界群は、魂たちに大量の嘘を教えていたが、そうした嘘の知識は完全に消滅した。

食欲も性欲も睡眠欲も、その他の一切の欲望や本能も、すべて体験者各自が自由に選べる選択肢となった。

また性別や種族や姿形や性格や気分や感情まで自由に選べる選択肢となった。

物質的な肉体なしで、意識体や超時空体として、ありとあらゆる体験が自由に選んで楽しめるようになった。

個別の体験だけでなくあらゆる過去の世界や文化や歴史を再現して楽しむこともできるようになった。

ただし、その場合には、関わる体験者は、リアルの体験者ではなく、リアルそっくりの幻の体験者であり、そこでいかなるリアルの体験者も不当に苦しむことがないように配慮された。

それによってありとあらゆる体験が、中毒になったり、トラウマとならないように配慮された上で、望むだけで自由に体験できるようになった。

超時空体たちが、魂のお勉強の時代を終了させ、魂の最高の楽園を実現させると決意し、超時空世界が提供できるる良いものをすべて出し惜しみなく提供した結果、そのような世界となっていった。

利己的な支配者たちのイエスマンを無理やり生み出すという目的のために飴体験と鞭体験を故意に使い分けて魂を不当に調教し教育?してきた不自由な世界が、根本から変容した。

ありとあらゆる体験は強制的に付与されるものではなく、それぞれの体験者がしっかりと安全を確保した上で望む体験を自由に選んで楽しめる選択肢となった。

魂のお勉強強制時代がこうして終了した。

超時空体たちは、魂たちの支配者とはならず、あらゆる体験者たちの良きアドバイザーとなった。そしてついにはありとあらゆる体験者たちが超時空聖体に進化した結果、そうしたアドバイザーすら必要がない世界となった。

当然、選挙だとか、政治だとか、経済だとか、そうしたものはすべて消滅していた。

そして不自由な世界群に必ず存在していた体験強制ピラミッドシステムが完全に消滅した。

その結果、不自由な世界に存在していた霊的世界も消滅し、天国や地獄も消滅し、宇宙と呼ばれていた世界も消滅した。

ただ、楽しむための選択肢としてそうした世界での体験も安全に配慮した上で、それは自由に選べる幻体験の選択肢の一部となった。

体験システムそのものが根底から変わったのだ。すべての世界や体験が、あくまで自由に選べる選択肢になった。

その結果、もはや、ダメ絶対!と言われるような体験は存在しなくなった。

魂にその体験に対する耐性が必要十分にあれば、どんな残酷系の体験であってもホラー映画を鑑賞するような感じで、体験することができた。

ただし、トラウマになったり、中毒になったりしない魂だけが体験できるようになった。

つまり、良心的自制心さえ失わないことが絶対確実ならば、ありとあらゆる超時空体験図書館にある過去の体験群を自由に選んで楽しめるようになった。

うっかりそうした体験で中毒になったり、トラウマとなったり、良心的自制心が失われてしまった場合は、時を巻き戻すことでそうなる前の状態に戻れるようにされた。

それによって万が一の間違いすら絶対に発生しない体験選択自由自在の楽園世界の仕組みが実現した。

そこでは不慮の事故なども想定し、魂たちは定期的に「本当に自由な状態」に戻るようになっていた。

つまり完全に本当に自由な状態で、現在進行している体験の継続や中断を定期的に冷静に選べる仕組みとなっていた。

そうした配慮の結果、体験者たちが選べる体験の種類や数は、不自由な世界での選択肢に比べてほとんど無限倍に増えた。

その結果、永遠の時をもってしても、選べるすべての体験を味わい尽くすことが不可能な世界が実現した。

体験者たちが体験する速度よりも、新しい体験が生み出される速度の方が圧倒的に速くなったからだ。

ほぼすべての体験者たちが新しい世界や体験を創造する世界創造者や芸術家になり、また、そうした体験者たちがムゲンのように無数に独自の個性を持つ分身を創造してその分身たちも新しい世界や体験を創造しはじめた結果、そのような世界が実現した。

こうして世界の滅びの道が回避され、永遠に楽しめる世界への道が切り開かれていった。

そして魂の上下関係などはすべて消滅した。

あらゆる体験者が体験者として同じであり同胞であるという価値観が常識となった。

王族や貴族などの身分制も消滅した。ただ、そうした身分制を体験したいと願えば、幻の体験で体験するか、同じ趣味の体験者と心からの合意の上で演劇のように演じて楽しむゲームなどは可能になっていた。
しかし、実際のリアルの身分制というものや上下関係は完全に消滅した。
支配者や師や上司もなく、親もなく、あらゆる体験者がスタンドアロンで必要十分に満足できる自由な存在としてそうした上下関係から完全に自由になった。
そして、その世界の体験者たちは、ただ素晴らしい体験を分かち合い、創造しあい、遊びあう遊び仲間のようになった。

動物よりも人間が偉いとか、人間より霊的存在が偉いとか、世界創造者が誰よりも偉いとか、そうした価値観は完全に消滅した。
よって、下の者は上の者に何でも無条件に従うべきだとか、そうした価値観も完全に消滅した。

ただ、そうした関係性を楽しみたいと願う体験者がいれば、幻の体験や同じ趣味の体験者と心からの合意の上で楽しみあうことは認められた。
ただし、双方、あるいはどちらか一方でもその関係性を終わらせたいと願った場合は、即座にその体験は自動的に終わり本当の自由な状態に戻れるように配慮されていた。

また、肉体という拷問体験強制装置の拷問体験強制機能が超時空体たちのよって取り去られたために、他者に拷問体験を強制することが事実上不可能になった。
それは意識を保ったままの完全麻酔状態に似ていた。
あらゆる肉体的な苦痛は、拒否したいと思えばいつでも自由に完全に拒否できるようになっていた。
その改革によってそうした拷問体験によって魂を従わせることは不可能となった。

また、精神的な拷問体験も同じように、望むだけでいつでも自由に完全に拒否できるようにされた。
時を戻せるようになり、また完全なる本当の自由な状態にいつでも自由に戻れるために、精神的な苦痛のすべてがトラウマになることなく完全に治療される仕組みとなった。

超時空体たち曰く、それがもともとの意識世界の在り様なのだという。
これまでの部自由な世界群の状態は、どこかの恐怖政治国家がその国民を不当に支配し、力づくで脅して不当に支配者を崇拝させ、その国から出たくても出れないようにしていたような状態に似ているという。

不自由な世界群の創造者や支配者たちは、その本来の自由な体験者たちの世界にこれでもかというほどの邪悪な改悪を無数にしたのだという。

わざと自業自得となれば自己否定となるような欲望や本能や気分や感情や価値観……を生物たちや体験者たちに故意に植え付けたこともその改悪の一部だったのだという。

その邪悪な黒歴史が、甘太郎のみんなを助けたいという切なる願いと覚悟によってとうとう終わった。

甘太郎は、超時空体験図書館とその意識を一体化して、こう主張したのだ。

「どうしてもみんなを助けれないのなら、僕が時を巻き戻して0からでもみんなが助かる世界を創造します。そのためになら僕の命を差し出します、それでもどうしてもうまくいかなかったら責任を取って僕も皆と一緒に消滅します」と。

その結果、超時空聖体たちは、不自由な世界群で数々の自己犠牲の苦難を味わい、ついに自分たちだけの良き世界を創造できるように進化はしたものの、それで良しとしてしまっていて、不自由な世界の体験者たち全員を本気で助けようと意志できていなかったことに気づいた。

今まで、そのようなことを本気で主張する魂は、いなかったのだ。

だから、超時空体験図書館は、甘太郎に自らの諸機能を自由に使わせる決断をしたのだ。

超時空聖体たちですら、それを阻止することはできなかった。

その願いを阻止してしまえば、自分たちも滅びなければならなくなる。

もし、甘太郎があらゆる体験者を助ける改革に失敗したら、超時空体験図書館は、自爆する決断をしていたのだ。

超時空体験図書館は、超時空聖体たちに甘太郎にも超時空体にもわからない言葉で次のように述べた。

「あらゆる体験者を助けるためなら自分が消滅してもいいと本気で願う甘太郎の命は、その覚悟を持てない体験者たちすべての命よりも大事である」と。

それはつまり、そのような願いと覚悟を持っている甘太郎が他の体験者たちの協力を得られず、ついにはその世界改革に失敗して消滅してしまうようなことになれば、甘太郎のような願いや覚悟を持てないで協力を拒否したすべての体験者も消滅させられても仕方がないという意味だと超時空聖体たちは瞬時に理解した。

超時空聖体たちが、全面的に甘太郎を応援し支援した背景にはそうした見えざる問答があったという。

超時空聖体たちは、甘太郎の願いを応援し、その願いを成就させなければ、自分たちも超時空体験図書館ごと消滅してしまうと悟ったのだ。

自分たちの意識世界が生き残れるかどうかは、甘太郎のその願いが成就するかどうかにかかっているのだと。

ただ自分たちに都合の悪い世界や体験者は、どんどん滅びてしまえばそれでいい……そんな自業自得となれば明らかに問題となるような価値観がそうと気づかないうちに超時空世界にいつの間にか広がってしまっていた……それを放置してしまった自分たちの倫理的な落ち度に超時空聖体たちは気づいてしまった。

超時空世界という良い世界に不自由な世界群という悪い世界の魂や価値観が入り込まないようにしよう……などという価値観は超時空世界が生まれた当初は自衛のためにそれが正当化されていたが、そうした価値観がいつの間にか助けようと思えば助けれる状態になっているのに悪い世界の体験者がどうなろうが知らないよという価値観にすり替わってしまっていたのだ。

それでは自分だけよければいい、自分たちだけよければいい、世界支配者だけよければいい、自分の家や村や国や世界だけがよければいい……という不自由な世界群に満ちている自己中心的で利己的な価値観と同じになってしまう。

そんな価値観では到底超時空世界も存続できないということを超時空聖体たちは理解したのだ。

別の意識世界では、甘太郎のような存在が一体もいなかったために、その意識世界ごと消滅したことを超時空聖体たちは知っていたのだ。
利己的な狡い手練手管は超時空体験図書館相手には一切通用しないということも知っていた。

ついに、超時空世界の超時空体たちは、魂たちを不自由な世界に放置して自発的に良心的な選択ができるかどうかの試験を確信犯でし続けてしまっていたために、その選択の自業自得の責任によって超時空体たちが生き残れるかどうかの試験を受けねばならなくなってしまったのだ。
その試験に落ちてしまえば、滅びなければならないという試験を……

だから、超時空世界、ひいてはその意識世界が滅びを逃れるためには、みんな全員を、あらゆる体験者を助けようとする甘太郎の願いを全面的に応援する以外なかったのだ。

ムゲンは、自分の分身体をありとあらゆる意識世界に派遣していたために、その無数の分身体たちからの客観的な視点を総合し、状況をそのように理解した。

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