甘太郎が理解したこと(本当の犯罪とは何か?)

ムゲンの統合体と甘太郎はこうして合体し、さらにそこに超時空体の全知ちゃんの意識も合体し、それを通じて超時空体験図書館の全情報がひとつの意識の中で合体し統合された。

その意識状態では、時空間に発生するすべての可能性を瞬時に洞察できた。

どんな原因がありどんな未来が生じるのか……

原因と結果のつながりがすべて一瞬で理解できた。

なぜある世界が消滅しなければならないのか…… なぜ別の世界は存続してゆくのか……

そうした世界そのものの未来がすべてわかるようになった。

独自の個性と自由意志をもった多くの意識がそれぞれの世界に存在していた。

それぞれの意識は、それぞれの世界において、それぞれの未来を、その自由意志で選んでいた。

慎重に熟慮して意識して選ぶ者もいたが、無意識に何も考えずに選んでしまっている者もいた。

それゆえに……理解能力を持つ意識たちには、超時空体たちからそれぞれの自由意志での選択の意味が伝えられるようになっていた。

ある者は、見境なく他の意識たちを苦しめたり、奴隷にしたり、束縛したりすることを選び、自らもそのように扱われる未来に進んだ。

ある者は、自分が可能な範囲でできるだけ他の意識たちを苦しみや奴隷状態や束縛状態から解放することを選び、それによって自らもまた苦しみや奴隷状態や束縛から自由になる未来へと進んだ。

超時空体と超時空体験図書館と無数のムゲンの分身体との統合体になった甘太郎は、そうした意識状態の中で不自由な世界群に意識を向けてみた。

意識を向けるだけで、不自由な世界群がなぜ不自由な状態になっているのかの原因が瞬時に理解できた。

不自由な世界の意識たちのほとんどが、そもそも自由を他者に提供しようとその自由意志で意志できていなかった。

他者を不自由なままにしておきたい……と無意識に、あるいは意識的に、その心の中で思っていた。

「体験選択の自由」=自分の体験を自分の意志で選ぶ自由

他者のこの自由と権利を意識して、あるいは無意識に、否定していた。

ある者は、不自由な世界を創造した者たちがプログラムした邪悪な本能や欲望によって無意識に他者の自由や自治権を否定していた。

また、ある者は、意識的に力づくで、策略をもって他者の自由や自治権を否定していた。

そのような自由意志による選択の結果、不自由な世界は不自由な世界のままとなり、ついには同様の別の世界と対消滅したり、永遠の拷問体験強制収容所のような世界となり、そうした世界から抜け出せなくなり自ら墓穴を掘ってしまっていた。

ある者は、家畜と呼ばれる動物たちの運命をそのままでいいと確信犯でその自由意志において思ってしまったために、繰り返し繰り返し家畜たちの味わっている体験を追体験する運命に進んでしまっていた。

ある意識はこうして家畜の体験を繰り返し、また別の意識は、奴隷の体験を繰り返し、また別の意識はペットの体験を繰り返し、また別の意識は、操り人形にされる体験を繰り返し、また別の意識は、自分以外の誰かに自分の体験を好き勝手に操作される体験を繰り返すようになってしまった。

彼らがそうした運命に進んでしまったのは、ひとえに彼らが他者の体験選択の自由を故意に否定することをその自由意志で選択してしまったからだった。

それがそのような運命を受けることになった原因のすべてであった。

転生するごとに過去の体験の記憶を奪われ、繰り返し繰り返し家畜や奴隷やペットや操り人形…として転生し続けるような状態になっている者たちもたくさんいた。

他の意識たちの記憶を故意に奪い、繰り返しそうした不自由で過酷な体験状態を強制して与えたためにそうなった。

その結果、記憶を奪うことで過去の失敗の反省ができなくされたために、他者の自由意志や運命決定権や体験の自治権を確信犯で故意に他者から奪った者たちは、自分で自分の運命を変える選択をすることもできない状態になっていた。
何度でも繰り返し同じ間違いを繰り返すようになってしまった。
相手の合意もなくその記憶を強制的に奪った結果、そうなった。

自由意志による選択の自由を故意に奪う者は、自らの選択の自由もまた奪われる……

不自由な世界の創造主や統治者のほぼすべてが、そのような選択をしてしまっていた。

甘太郎は、そうしたことを一瞬で理解した。

そして悲しくなった。

不自由な世界群では、どの不自由な世界もその世界の創造者や統治者は、その世界に参加した体験者たちに自分で自分の運命や体験を自由に選ぶ権利を提供していなかったのだ。

とある不自由な世界では、天使族と悪魔族がその世界に参加した体験者たちに次のように言っていた。

「私たちに、従いなさい」 「我々に従え」

どちらも従うことしか求めていなかった。

つまり、「誰もが自由や自治権を得られる世界を実現しよう」とは言わないのだ。

天使族は、「良い体験や運命を与えるから、私たちに従いなさい……」などと要求し、

悪魔族は、「ひどい目にあいたくなければ、我々に従え!」などと要求していた。

どちらも自分たちに従え……としか言わないのだ。「あなたが、皆が、完全なる体験選択の自由を得れますように!」とは決して言わないのだ。

その結果、どんどんと不自由な世界は、ますます不自由な状態になってゆき、ついにはほとんどの意識が自分の良心にではなく、天使族や悪魔族に従うようにされてしまっていた。

それが仕掛けられた罠であるということを、ほとんどの意識たちは見破ることができなかったのだ。
いや、見破っていてすら、天使族の甘い誘惑と悪魔族からの脅しの数々によって、ついには自らの自由意志の選択の是非について真剣に考えることをやめ、自らの良心を育むことができない状態にまでされてしまっていた。

そのようなことが計画的になされてしまっていた。

超時空体の全知ちゃんは、そうした行いを「飴体験と鞭体験の強制システムによる魂の自由意志や自己決定権の剥奪行為であり犯罪行為」だと断罪した。

しかし、甘太郎は素晴らしい体験を提供する天使族の行為は、犯罪じゃないんじゃないかと思った。

同じ意識の中なのでそうした疑問は生じた時点で瞬時に返答される。

「あのね、甘太郎ちゃん、わざと罪のない甘太郎ちゃんを殴り倒す者がいて、その殴られた甘太郎ちゃんを優しく治療してくれる者がいて、それが殴る者と治療する者を背後で操り指揮する者の計画的な自作自演の行いであって、甘太郎ちゃんが治療してくれる者に何でも従うようにするためのお芝居だとしたら、いくら優しく治療してくれる者であっても、そのお芝居の自作自演犯罪の共謀者の役者の一人でしかないなら、そうした優しく治療してくれる者であってもやっぱり犯罪者なの」

甘太郎は、反論しようとしたが、瞬時に過去現在未来に発生したそうした自作自演のお芝居の黒歴史から発生したすべての酷い体験記録が超時空体験図書館の記録から意識に流れ込んできたために何も反論できなくなってしまった。

その超時空体験図書館の記録の中には、わざと世界中の窓ガラスを壊す者とその壊れた窓ガラスを修理する者がチームになって、それで大儲けしているような記録もあった。そのようなことを計画的にやらせている命令者などもさらにその背後にいた。

そうしたことを命じていた命令者たちは、その意図が利己的であり他の体験者たちの自己決定権を不当に計画的に否定していたために、たとえその壊された窓ガラスを無償で修理しても犯罪者であると超時空体たちに断罪されていた。

その窓ガラスは時に、体験者たちの心身であったりしたからだ。
相手の合意もなく強制的にわざと体験者たちの心や身体を壊して酷い体験を強制しておいて、自分の従者やイエスマンを得るために治療や修理をする……そうしたことはしてはならないと超時空体験図書館にある「世界管理者が守るべきルール」には書かれていた。

★あらゆる強制力は、あらゆる体験者の体験の自治権を奪うために使ってはならない。あらゆる強制力は体験者たちの体験選択の自由やその権利を奪うための恣意的な他者支配の道具として使ってはならない。

ここで言う「あらゆる強制力」には、、いわゆるものものしい武力だけでなく、ありとあらゆる科学力や超能力やシステムや制度なども含まれていた。

不自由な世界の多くでは、例えば、いろいろな化学物質を、そうした化学物質を体験選択の自由を提供する道具ではなく、体験選択の自由を奪うための道具として、つまりは不当な支配行為をするための道具として研究開発され、使われてしまっていた。

つまり、化学物質を、体験者たちに体験選択の自由を提供するための良い薬ではなく、体験選択の自由=体験の自治権 を奪うための毒薬として故意に計画的に悪用していた。

また、情報交換システムや通信システムを、そうした不当支配の道具として使ってしまっている不自由な世界も数多くあった。

また、体験強制装置としての肉体からある程度自由となった霊的存在としての特権や特殊能力などを使った体験者本人の心からの合意のない憑依や憑依能力を使った体験者の心身への遠隔操作などもなされていた。
そうした霊的存在たちは、肉体を持った体験者(自我)の合意なく、またそのプライバシーを尊重することなく、身勝手にその肉体にズカズカと…あるいはこっそりと憑依し、その肉体を持った自我の心からの合意なく、その心や肉体の状態を好き勝手に操作したりしていた。
そうした行いを、自業自得になれば自分たちが望まないことだと理解できる知性がありながら、そうしたことを「体験者の心からの合意なく」選択してはならない行為であると理解せず、自分たちの特権であり権利であるとすら思い込んでいる霊的存在が大多数だった。
そのような問題ある霊的世界の仕組みを改めねばならないと決意できる霊的存在たちは、ごく一部の例外的な霊的存在以外、ほとんどいなかった。
そうした霊的存在たちが、皆、その不自由な世界の利己的で残酷なボスに何でも無条件に従うようになった者たちにそうした霊的存在となる特権が与えられていたからだった……
だから、そうした仕組みが不当であるとその知性で理解できても、そうした仕組みを改める意志を不自由な世界の霊的存在たちのほとんそが持てないようになっていた。
そして、そうした仕組みを改めない選択をしてしまったために、不自由な世界はさらにどんどんと不自由な状態になってゆき、そのような不自由な世界群のほとんどがそうした仕組みを改めれなかったために滅んでしまっていた。
ひどい場合は、不自由な世界の肉体を持つ体験者のほとんどの心や肉体を操り人形のように、あるいは家畜のように、あるいは奴隷のように、あるいはペットのように、あるいは実験動物のように……扱っていながら、世界の諸問題のすべてをそうした不自由な状態の肉体を持った自我の責任だとして、だから肉体を持った体験者を自由に支配したり、殺したり、苦しめたりしてもいいのだと言って、自分たちの責任ではないと思い込もうとしていた。
悪い本能や欲望や制度を故意に強制的に与えているにもかかわらず、その悪い本能や欲望や制度によって発生したありとあらゆる悪い行いや結果を、その悪い本能や欲望を強制的に与えた者たちの倫理的な責任を問わず、そうした悪い本能や欲望を無理やり強制的に与えられている自我たちにその落ち度の責任を擦り付けていたりもした。
しかし、そうしたわざと悪いことがどうしてもしたくなるように仕向けておいて、その結果、悪いことをしてしまった体験者を断罪し罰するような自作自演行為は、超時空世界では犯罪だとされていた。
なぜなら、そんな行為が許されるとなれば、抗えない程度の悪い本能や欲望を一度強制的に与えられてしまえば、その体験者の自由を好き放題に否定し奪えるようになってしまうからだった。
そうした行為は、不自由な世界の支配者たちが、本来何の罪もない体験者(意識)を無制限にやりたい放題好き放題に支配するための確信犯の犯罪行為であると断罪されていた。

他にも無数の事例が存在していたが、超時空世界では、こうしたことはすべて「体験者本人の心からの納得合意のない望まれていない体験の強制行為」として為してはならない犯罪行為とされていた。

超時空体験図書館の「世界管理者が守るべきルール」には、そのようなことが記されていた。
そしてこうしたルールを説明してもなお強引にルール違反をする者たちは、断罪され、自業自得学園で自分たちが故意になした支配行為によって発生した望まれていない拷問体験を繰り返し受けるようになっていた。
そうした自らの間違った選択や行為を自分で否定できるようになるまで、繰り返し自業自得の体験をする世界でお勉強を続けていた。
そこで自分で気づいて改めて償おうとする者もいたが、いつまでたっても反省できずに自業自得体験を延々と何億年も繰り返す者もいた。
不自由な世界群であたかも絶対者や救世主のように思われて崇められていた者たち…なども、そこには多数含まれていた。

甘太郎は、無数にあるそうした断罪事例から、どうやら表向きの行いの内容よりも、その意識の理解内容やその意図や動機こそが断罪されるかどうかにおいて重要なのだと理解した。

例えば、重い病気の者に対して全身全霊で心から良かれと思って治療をして、それでもその治療がうまくゆかずに病人を死なせてしまったようなケースなどは、超時空体たちは断罪していなかった。むしろ保護していた。

しかし、いかにも人助けをしている風を装って、しかしその実態は治療と称して故意に健康な者を病気にするようなことをしているような者などは断罪されていた。
わざとそうしておいてから、そうしたことを隠して、解毒薬を自分に従う者にだけ提供することで感謝を求め、魂たちを計画的に自分のイエスマンにしようとしているような者たちも断罪されていた。

刃物で体を切り裂く場合でも、それが相手を助けようとする手術だった場合は、犯罪とはならず、同じ刃物で罪のない相手を苦しめようとしてその体を切り裂いた場合などは犯罪行為と判断されていた。
その場合、嘘偽りのない真実の動機によって判断されていた。そして、超時空世界には、あらゆる世界のあらゆる意識たちの一切の嘘や狡い計略を見抜くシステムがあった。

そうしたいろいろなケースを知ることで、次第に、甘太郎は、超時空世界において、何が犯罪行為であり、何が犯罪行為ではないのかということを理解していった。

そして多くの超時空体験図書館の記録を知ることで、

★「悪意をもって故意に他者の体験選択の自由やその自治権を否定する行為が犯罪行為である」

と理解した。

表向きどうであるかではなく、その意識の持っている理解と真実の動機において、その内なる理解と動機の真実をもってその判定がなされると理解した。
そして、超時空体たちは皆、ありとあらゆる体験者たちのその内なる真実を知っていた。

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