一番大事なことは何なのか?
不自由な世界群の支配者たちがどうしても自分たちの支配特権が一番大事なのだと言い張るものだから、ついに、超時空聖体から教師が派遣されてきた。
どうやらメイ先生からの「皆さん、体験演劇サークルで無限の体験を楽しめるんですよ…」とのありがたい提案も受け入れなかったらしい。
「支配者被支配者ゲームなど演劇ゲームを推進してゆけばいくらでも体験できるようになるというのに……」とムゲンは思うが、受け入れられないというのならば、もはや超時空聖体様のありがたい教えを伝えるしかない。
要請を受けて超時空世界からやってきた超時空講師は、時空間を超越して不自由な世界群に多重分身して同時に来訪した。
そして同時にテレパシーで話し始める。
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「いいかい、君たち、まず理解しなければならないのは、「君たちにとって一番大事なことは何なのか?」ということだ。
そこの理解ができていないといつか必ず落とし穴にはまって痛い思いをしなければならなくなる。
結論から言えば、君たちにとって一番大事なことは、「体験の自治権」だ。
体験の自治権とは、
「体験者が自分の意志だけで自分自身のあらゆる体験を自由に選ぶ権利」
と理解するといい。
この権利を否定したり、放棄したりすれば、すなわち君たちは、どんな望まない酷い体験を強制されてもいいと同意したことになってしまうのだ。
するとその同意に基づいて、我々が君たちをそうした世界に送り込まねばならなくなってしまう。
君たちが自分の選択をちゃんと責任をもって自己完結するには、そうするしかないからだ。
そんなのは嫌だ!と思うならば、「あらゆる体験者たちに体験の自治権」を提供し、その権利を守る」ということを最優先にし、それを最高法規として全世界に掲げ、その法規を守ってゆく意志や価値観を持たねばならない。
その意志や価値観を故意に選ばずに、君たちが
「他の体験者たちの体験の自治権を奪って体験者たちの体験を好き放題できる支配特権」
などを最優先にすれば、自業自得ということになって君たちの体験の自治権も奪われるということになる。それに同意したことになるのだ。
その同意書にサインしたことと同じことになるわけだ。
こう説明してもおそらく君たちはすぐには理解できないだろう。
だからもっと具体的に説明しよう。
例えば、君たちの不自由な世界にある「自然」というものについて考えてみよう。
君たちの多くは、自然を守ろうとか、自然に従っていればそれでいいのだとか、思っている者たちが多数いるが、その自然というものが何であるかを完全に理解しないまま、そんなことを主張していたりする。
自然と呼ばれるものの中に、体験者たちの「体験の自治権」を否定するような仕組みが存在していても、それは自然なのだから守るべきだ…などと主張していたりする。
だが、その価値観は間違っている。
守るべきは、あくまで「あらゆる体験者たちの体験の自治権」であって、自然などではないのだ。
そこを明確に理解していないから、君たちの世界では延々と残酷な体験が発生し続けているのだ。
では、自然が駄目なら、人為がいいのかといえば、そうでもない。
当然、人為で「体験の自治権」が否定されれば、やっぱりだめだ。
つまり、自然も人為も関係ない。ただ、あらゆる体験者たちの体験の自治権を推進してゆくという断固たる意志を持たねばならないということだ。
宇宙人であろうが、人間であろうが、動物であろうが、神であろうが、悪魔であろうが、地底人であろうが、異世界人であろうが、我々超時空人であろうが、あらゆる体験者たちの体験の自治権を守り尊重してゆこうという意志を持つ必要がある。
人間たちが動物たちの「体験の自治権」を奪い、残酷な行為をしているからといって、君たち宇宙人が人間たちの体験の自治権を奪えばそれで問題が解決するなどと思ってはならない。
それでは同じ穴のむじなということになる。君たちは、あらゆる体験者たちの体験の自治権を守ろうと意志しなければならないのだ。
あらゆる体験者たちの体験の自治権を守ろうという断固たる意志がない者たちが、自分たちの支配特権が一番大事などと支配欲に従い人間全員を操り人形にしていいとか、そんなことは思ってはならない。
人間全員操り人形にすれば、仮に動物たちは解放されるとしても、人間たち全員の体験の自治権を奪うことになり、そうなれば君たちの体験の自治権も同じ理由で奪わねばならなくなる。
人間たちを解放するために、君たちを全員操り人形にしなければならなくなる。
そうすればうまくゆく……と君たちが考えているのなら、我々もその方法でうまくゆくと考えて問題はあるまい。
つまり、そうしたやり方は本末転倒なのだ。
一番大事な最優先すべき、
「あらゆる体験者たちの体験の自治権を守る、その権利をまだ得られていない者には提供する」
という価値観がごっそりと抜け落ちているのだ。
人間は邪悪なことばかりしているから、体験の自治権を奪って何が悪い……と君たちの中の一部の者たちは思っているかもしれない。
しかし、肉食動物たちが他の動物を襲って殺して食べる行為は、肉食動物たちの責任なのか?
そうした本能や欲望を与えられていなければ、そのような結果は発生しなかったであろう。
逆に言えば、君たちも、今持っているあらゆる能力や記憶や肉体をすべて奪われて、一体の体験者として肉食動物や人間に強制的に転生させられたら、君たちも他の動物たちを襲うようになるということでもある。
君たちの中には自分はそれに抗えると思っているかもしれないが、それは不可能だ。
なぜなら奪われるあらゆる能力の中には、当然、そうした本能や欲望に抗える能力も含まれているからだ。
君たちの精神の中にある努力しないものはダメな魂だという価値観も、そういう意味では問題なのだ。
ある状況で努力できるかどうかも、ひとつの能力だからだ。
そうした能力を完全に奪われて、一体のただの体験者にされてしまえば、抗うことは不可能なのだ。
このことを正しく理解しておかねばならない。
よって君たちの中にある「この体験は魂に必要なお勉強なのだ…だから、拷問体験も必要な場合があるのだ」という価値観は、あくまで理解力が十分にあり、本能や欲望や気分や感情やその他の影響力に完全に抗えるだけの自由をもっている体験者に対してだけ有効になる価値観であり、その能力が不十分、あるいはその能力がない体験者に対してはそんな価値観は通用しない。
つまり許されないただの犯罪、拷問体験の強制行為とう犯罪になるのだ。
自業自得学園は、そうした責任能力が完全にある者たちのための学習施設となっている。
よって君たちのように、自分たちが完全に体験者たちを操り人形や家畜や奴隷のようにして支配できれば、世界は平和になるだとか、環境問題もうまくゆくようになるとか、動物たちを解放できるとか、そんな価値観では全然ダメなのだ。
動物たちにも、人間たちにも、完全な責任能力などないからだ。
それなのに……さらに操り人形や家畜や奴隷にすれば、さらに責任能力が失われる。
つまり君たちは、体験者全員の「体験の自治権」を奪って自分たちがコントロールすれば、全部うまくいくだろうなどという間違った価値観を持ってしまっているのだ。
体験の自治権をあらゆる体験者たちに提供してゆかねばならないのに、逆に体験の自治権を全部奪ってどうするのだ…ということだ。
こうした状況は、本末転倒もはななだしい。
一番大事な「あらゆる体験者たちの体験の自治権」を全部根こそぎ奪ってやろうなどと……そんなことは許されない。それは大犯罪行為になる。
いや、しかし……と君たちの中の一部は思うだろう。「いや、しかし、人間たちは動物たちに酷いことをしているじゃないか」などと。
だが、それは人間の一部であって、全員がひどいことを確信犯でしているわけではない。
しかも、人間のほとんどすべてが自分の本能や欲望や気分や夢体験……すら自分で自由に選べない不自由な状態に置かれている。
そして君たちは、その知性でそれを十分に理解している。
そうではないかね?
であれば、君たちがなすべきは、まずはそうした不自由さから人間たちを解放してやることであろう?
自分の欲望や気分や夢体験くらい自由に本人が選べるようにしてやるべきであろう?
なぜ、そうしたことができるのに、わざとそうしたことはせずに、人間全員を家畜や奴隷や操り人形などにしようなどと考えたのか?
君たちの高い知性をもってすれば、こうした理解くらい簡単にできたはずだ。
理解できていなかったというのならば、今理解すればいい。
つまり君たちは、支配特権で自分たち以外の体験者たちに何でもできるようにすればいいなどと考えてしまい、つまりは身勝手な支配欲に従ってしまい、完全にやり方を間違えているのだ。
そうではないかね?
君たちが従うべきは、「あらゆる体験者に体験の自治権を提供してゆこう」という価値観であるべきだった。
それを、自分勝手に体験者たちの体験の自治権を奪い、家畜や奴隷や操り人形のようにしてしまえばそれでいいなどと間違った価値観で進んでしまったのだ。
よって世界統治の方法を完全に根本から改める必要がある。
あらゆる体験者の体験や運命を好きなように支配操作できるようにするのではなく、あらゆる体験者たちが自分自身のあらゆる体験を自治できるようにするのだ。
あらゆる体験者たちが、各々自分の体験だけを自分で自由に選べるように自治できるようにしてやろうと意志しなければならない。
その真反対のことを君たちはせっせと推進している。
よって今後は、君たちの不自由な世界群にあるあらゆる法律、制度、教科書、聖典、経典、価値観、文化、風習、習慣、常識、知識や技術や道具の使い方……などをすべて根本からこの「体験の自治権を推進してゆくという価値観」に照らして見直し、改めてゆく必要がある。
ちなみに、どんなに目先の世直しに成功しても、世界創造主たちが他で残酷体験強制型の世界創造をすれば問題の根本解決にならないと理解し、君たちのボスの倫理的責任についても君たちはその責任を問い、駄目なボスは体験の自治権を真摯に推進する意志を持つ者に交代させる必要がある。
君たちががんばって君たちの関わっている世界だけ、体験者たちに体験の自治権が提供できるようにしたとしても、世界創造主が、それなら……と、他にさらに多くの残酷体験強制世界を創造したのでは、全体としては意識世界はどんどんと退化してしまうことになるからだ。
だから、そうしたズルは許されないと理解しなければならない。
とりあえず今の世界を天国にすれば、その補填として他の時空間に改革前と同じような残酷体験強制世界を創造してもいいよね……などとは考えてはならない。
また、自業自得体験の強制は、あくまで完全に欲望や本能や気分やその他の強制力から自由になった体験者に対してのみ正当性が発生すると理解しなければならない。
つまり、君たちは、君たち自身をまずは自業自得で良い結果とならないような本能や欲望や気分やその他の強制力から自由にしなければならないということでもある。
今君たちがせっせとやっていることと見比べて、今説明した内容は、目指すべき目標も違えば、選択すべき方法も違うであろう?
君たち自身がまずは自分たちが精神的に病気であり、自力でその精神病を治療しなければならないということを理解する必要がある。少なくとも治療したい、してもらいたい……と願う必要があるのだ。
支配特権、支配特権、完全に他の体験者たちを支配できるようになれば、それですべて解決する……などとばかり思っていないで、そんな精神を治療せなばならないと思う必要があるのだ。
まあ、本日は、この辺までにしておこう。
どうしていいのかわからないことがあれば、自分たちだけで勝手に判断しないで、我々にどうすると一番いいのか質問するといい。
でなければ「体験の自治権」が永久にはく奪されるような落とし穴に落ちてそのまま出れなくなってしまうこともあるのでな。
君たちの考えている「他の体験者たちの完全永久支配……」とやらが成功してしまった日には、君たちの運命がそうなってしまうと理解しておくがよい。
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このような話をすると、超時空聖体から派遣された講師は、皆の意識から消えた。
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