自分を客観視することで人間は成長余地を得るが、成長しきったものを客観的に見たところで、それはとんでもなく恐ろしく映るだろう。客観を極めた先に待つのは限りなく追求された論理であって、そこに他人の感性が追いつくことはない。ある域から客観は浅はかであり、主を観ることで深みは増していく。

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