シュヴァルの理想宮とシンガーソングライター離想宮
※この記事は2020年に他サイトに書いた記事の再録になります。名前の由来についての話。
https://paddedcellfollies.hateblo.jp/entry/2020/06/04/193000
みなさんはシュヴァルの理想宮という建築物をご存じであろうか。
おそらく、「世界まる見え!」のような世界中の変なものを紹介する系統のバラエティだったり、不思議な遺跡やオーパーツを特集するような雑誌や本で育ってきたような人間にはおなじみだろうが
ヘンリー・ダーガーの「非実在の王国で」やロサンゼルスのワッツタワーなどとセットで語られることも多いナイーブ・アート/アウトサイダー・アートだ。
理想宮の作者であるフェルディナン・シュヴァルは1836年に生まれ、フランスのオートリーブというかなりの田舎町で郵便配達人として働いていた男である。
当時の郵便配達は恐ろしく大変な仕事である。車もバイクもまだ一般的でない時代に、田舎道というかもはや山道である配達路を1日何時間もかけて歩いて往復し、仕事をこなすのだ。
毎日毎日山道を往復し続ける日々。そんなある日、シュヴァルさんは配達中、大きな、変な形をした石に躓いてしまう。
この石がきっかけで、この後33年間、彼は狂ったように石集めに没頭し、たった一人で石とコンクリートで理想の宮殿、「シュヴァルの理想宮」を作り続けることになる。彼はあくまで郵便配達人で、建築などに関する知識は全て独学、DIYの範囲内だったというから恐ろしい。当然近所に住む人たちは彼のことを変人どころかもはや狂人扱いをするのだが(当然だ)彼は一向に気にすることなく宮殿作りに邁進するのであった…
とんでもない話である。
私がこのエピソードを知ったのは、幼稚園時代に読んだ「おおきなポケット」という児童向け雑誌に載っていた、絵本作家のスズキコージ氏による「郵便屋のシュバルさん」という漫画のおかげであった。スズキコージ氏による極彩色のちょっと不気味なタッチで描かれたその話は半ばトラウマのごとく幼少期の私の心にまとわりつき、宮殿の側面にある3人の巨人の像が襲ってくる夢までみたことがあったのだが、どうしても「怖いもの見たさ」のようなものがあり、何度も何度も読み返していた。
そんな恐怖はいつしか憧れのようになり、小学生時分は図工で作った粘土の街に「理想宮」と名付けたりもしていた。
シュヴァルの理想宮はその後どうなったか。1879年に作り始めて1912年に無事完成し、ピカソや詩人のブルトンら名だたる芸術家に認められ、なんと今やフランスの重要文化遺産である。村の変人の超個人的な活動が身を結んだ…というか、まあ、シュヴァル本人は別にそういう形で認められたいがために宮殿を作っていたわけではないが、とにかく宮殿は完成し、今なおフランスのちょっとツウ向けの観光地としてそこにある。
2019年、あたらしくシンガーソングライターとして活動を開始しようとしていた私は、ずっと温めていた、自分の名前を「離想宮」(りそうきゅう)にしようというアイデアをついに決行することにした。私も彼のように、いっぱしの変人になりたいと思った。
仕事をしながらでもいいから、誰に認められなくても良いから、自分の理想の音楽を一人で追求できたらいいと思った。まだまだ自分の理想の曲を作れてはいないから、理の文字を離とした。
人物でなく、場所の名前っぽいのも、気に入っている。
話は変わるが、そもそもシュヴァルの心をそこまでとらえた、変な形の「つまずきの石」って一体どんな形をしていたのか私はずっと気になっていた。
わりと本気でヘンな石で、初めて画像を見た時は爆笑してしまった。なんだこれ、どういう形なんだよ。
そして、わかるわ。わかる。これを見つけたら、使命感に駆られるような気がする、とも思った。
これを何かに使ったり、誰かに見せたりしないといけない、という使命感だ。
シュヴァルがどんな気持ちで理想宮を作っていたのか実際のところはわからない。宮殿を作っている同時期に娘を亡くしていたりするので、決して楽しいだけではなかっただろう。
しかし、こんなきっかけに出会い、何かの目的のために邁進し、その目的を達成できたシュヴァルの人生はとても輝いて見える。
参考文献
よかったら私の曲も聴いてやってください
作詞・作曲・歌・MV作りをぜんぶ一人でやっています
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