『裸の心』
こんにちは。立正大学サッカー部4年の伊藤崇人です。
まず最初に
現在、世界はコロナ禍に課せられている中で働いてもらっている医療関係者の方々へ御礼を申したいと思います。サッカーができているのもこういう方達のおかげでもあると実感しています。見えない力があってこその今だと思っています。
そしてこうやってブログを綴ってる日にちは1/5。
恐らく今シーズン活動最後の日かな?終わりはやっぱり儚くて寂しいです。
すみません、余談を終えて本題へいきたいと思います。
結論から述べると、自分は体育会出身で良かったと思ってます。
その背景を伝えたいと思います。
ある人が「体育会出身であることを誇りに思って良い」と良いました。自分はその話を聞いた当初は嫌でした。
体育会出身は運動だけで、その人物を見た時に他になにもない。チャラいだとかうるさい。という印象を持たれてるって世間論を気にしていました。
自分自身、ちょっぴりだけ天邪鬼だったからというのもあると思います。
でもそれは世間からみた物差しであって事実じゃない。仲間をみたり自分を振り返ってみるとそれが全部当てはまる訳ではなさそうです。
個人的には何より「傷つく」ことに耐久ができたことは心から体育会出身でよかったと思ってます。
生まれてから、サッカーに触れる前まで自分は圧倒的に泣き虫で気弱な性格でした。
だから心や体が傷つく度に落ち込んで、怯えてました。でもサッカーを始めると弱音なんか吐いてる暇はありませんでした。
転んで膝を擦りむくのを忘れる程にボールを追い続けて、フィジカルや走りでは死ぬんじゃないかと思うくらい走ったり、試合に負けても次の練習や試合があるからそれに向けた準備をする。
傷だらけでも進むしか選択肢がなくて、進まないと衰退してく恐怖みたいなのも生まれた時があって、ある意味、恐怖の対象が自分自身の時もあったりしました。
全然話が変わるんですが恋愛においても好きな人や気になってる人に気持ちがあるのに伝えない理由はないと思ってます。でもこれはあくまでイトウシュウトの価値観です。
じゃあなんでこんな価値観なんだろってなったら、傷つくのなんか二の次だって考えがサッカーを通して人生にも落とし込まれてるんだなって思ってます。
だから傷だらけでも進む手段を考え続けて実行してきた。
きっとそういった原体験が結びついて恋愛にも発展してる。
本気でサッカーに向き合い続けた、16年。
恐怖、喜び、楽しさ、苦しみ。感情が揺れ動かされた。
それによって感情って環境によって動かされる事と感情はコントロール出来るっちゃ出来る事も学んだりもした。
多分だけど、これからの人生を振り返ってもサッカーと向き合ってきた16年間の経験はレアもんだ。
誇りだ。
そんな事を考えられたこの大学4年間は資産でかけがえのないものなんだと思うし
幸せな、本当に幸せな時間だったと思ってます。
最後に、こういう学びの場や楽しむ土台を作ってくれたのは自分に関わってくれた両親や祖父母や小中高大のサッカーのスタッフの方々、担任の先生方達のおかげです。この場を借りてお礼をさせて頂きます。自由に楽しむ場を設けてくださりその中で助言や救済もしていただくというなんとも贅沢な環境をありがとうございました。
そして立正大学の後輩のみんなは本当にエネルギッシュで期待しかない。個性を消さない事は大事だと改めて学ばせてもらいました、ありがとう。
先輩からはON、OFFの使い分けを学びました。
体育会生とはいえ学生。いち人間。
体育会生はこうって型にハマらない生き方を教えてくれた気がします。
同期は偽りなしで、恵まれすぎた。
よくこの代は良い人たちの集まりみたいなニュアンスでまとめられるが
しっかりキャラ、ちょけるキャラ、寡黙なキャラ、グルメキャラ、熱いキャラなど個々のキャラが確立されてた。だからバランス感が最高に好きだ。どうかどこかのタイミングでまた集まりましょ。幹事はダイチね。
これからも立正大学体育会サッカー部は成長していくと思います。良い出来事ばかりじゃなくて最悪な出来事も数多く壁としてぶち当たる事だと思います。それでも後輩たちはとても力強く工夫しながら進んでくれると信じてます。
なのでこれからも立正大学体育会サッカー部に対して熱いご声援の方宜しくお願い致します。
以上で終わります、16年間本当にありがとうございました。