『22年間の歩み』

今回、引退ブログを書かせていただきました、立正大学サッカー部の平松昇です。
4年生による引退ブログも自分で最後のようです。
同期たちのブログは読んでいただけたでしょうか。
同期のブログが発信される度に、もう自分たちの学年がこの引退ブログを書くことになったのかと、時間の流れる速さに驚きの感情を抱きながら読んできました。
そして今、みんなみたいに素敵な文章を書けるだろうか、という不安な気持ちを持ちつつなんとか読んで下さっている方々に何か少しでも自分の想いが伝わるようにパソコンと向き合っております。
まとまりがなく拙い文章になっているかもしれませんが、最後まで読んでいただければと思います。

まず初めにこの場をお借りして
2020シーズン、立正大学サッカー部に関わってくださった皆様、本当に心よりお礼申し上げます。このコロナ禍という大変なシーズンになったにも関わらず、サッカー部の活動のために動いてくださった学校関係者の方々、試合会場では公式戦が安全に開催できるよう環境を整えてくださった運営の方々、毎日休むことなく食事を用意してくださった食堂の方々、リモートや数少ない有料試合でも応援してくださった方々、たくさんの支えによりこの1シーズン乗り越えてこれたことを、立正大学体育会サッカー部として心より感謝申し上げます。

このブログでは、2020シーズンのことから、自分の大学入学前と立正大学との出会い、そして立正大学でのサッカー生活。最後の方は私が何か伝えられることに加えて、感謝の心を表して終了、という長めの文章にしようかと思います。

『立正大学サッカー部2020シーズン』
2020シーズンは本当に大変なシーズンとなりました。
最後の締めくくりとしては、1/6、13:30に今シーズン終了、4年生の引退が決まり、締めのMTGを行いそこから後輩2人(榊原きょうた、青島太一)を車に乗せて埼玉県から静岡県に帰省することになったのですが、
「これで引退ってなんかあっけなかったな」
と運転しながら感じていました。
「引退って、リーグ最終節を戦い切ってとか、大会を優勝して、又、敗退して、とかで節目よく、そしてそこに少しの気持ち良さを感じて引退するのが当たり前じゃないの」

この思いは
私たち立正大学サッカー部の2020シーズン終了は複雑なものだったことから出てきていました。
関東リーグは第7位で終了、そこにアミノバイタル杯のポイントが加算されるも、全国大会出場を自力で決めることができませんでした。しかしそれとは別に、このコロナ禍で異例の形で全国大会出場の可能性を残していました。
「全国大会補欠第1位」
これはどういうことか。
リーグ戦が終了した12/20時点では全国大会出場を決めることができなかった、しかし全国大会第1回戦は1/6、1/7に行われる、そこで一回戦キックオフ24時間前までに、出場大学の中からコロナ感染者が出た場合、私たち立正大学が全国大会に出場できる、という内容でした。
今シーズンのチーム目標は「全国大会出場」。個人としても昨シーズンベスト4をかけたvs関西学院大学でチャンスを外しまくり敗退したことにリベンジをしたかった。何より立正で1試合でも多くサッカーをしたかった。
「全国大会には出たすぎる、出たすぎるけど、、、」
「自分たちが全国大会に出場するには、どこかの大学の誰かが苦しい思いをすることになる」。
果たして強く願うものなのか。本当に難しい期間でした。しかし物事は考え方でシンプルになるというスタンスでいたので、私はどんな条件の中であろうと「今日その日の練習で上手くなることだけを考えよう。」と気持ちを切り替え、そしてその姿をチーム全体に示していけるように心がけました。とは言っても帰省もせず年末年始も大学施設の中で過ごしたAチーム全員、どんなに切り替えても難しい期間だったと思います。最終的にはコロナ感染者を出す大学はなく、「この試合に全部をぶつけるぞ」という引退雰囲気もないまま「それじゃ14:30MTGルーム集合で」という知らせだけで2020シーズンが終了しました。私のように「なんだこの終わり方」と思う仲間は多いのではないかと感じます。しかしこれは私たち自身が招いたこと。
勝てば全国が決まったアミノバイタル杯早稲田戦、
敗者復活であと1勝に迫った東海戦、
勝てば全国出場圏内に入れるリーグ最終節専修戦
1シーズンの中で立正大学には3回のチャンスがありました。それをものにできなかったことがこの終わり方につながってしまいました。もちろん後悔は残るし、もっとこうしておけばと今でも思います。それは考えれば考えるほどでてきます。
しかし私が思うこと、そしてチーム全体に言いたいことは
どれだけ最後が複雑なものであっても2020シーズン全体そのものはかけがえのないものであり、今後に活きる最高の1年になったことは間違いありません。
終わり方こそよくないもので、大変であり難しかったことには変わりないが、全体を見渡してみれば、みんなと過ごしたこの1年間は本当に素晴らしかったです。
今シーズンは結果に加えてチームの中身も充実させようと考え行動しまくったシーズン前の取り組み、
リーグ中断でオンラインで練習した自粛期間、
中2、3日の超連戦を戦ったあの2ヶ月間、
もっと細く見ていくと、
コロナ禍だろうと各々が活躍してくれた部署活動、
オンライン人狼・キックベース・ミニゲーム大会とコロナ禍の限られた中で行ったイベント、
外出禁止で大学敷地内でみんなと多くの時間過ごしたこと、
など、
うまくいったことうまくいかなかったこと全部含めてかけがえのない1年になったと思います。
みんな今シーズン本当にお疲れ様でした。正直理解に苦しむ制限の中、大学生活を送ることになったストレスは半端じゃなかったと思います。そしてみんなが抱える意見をなかなか上に通すことができなかったことは申し訳ない。
「みんなこの立正を嫌いになっていないかな」
不安な思いが多くありましたが、
サッカーになれば誰もが熱く、楽しむ姿をみんなが体現してくれて、主将として本当に誇らしかったです。サッカーがみんなを繋いでくれている。どんな世の中であろうとやっぱりサッカーは最高ですね。サッカー1つで出会うことができた、立正大学のメンバーは私の人生にとって素晴らしすぎました。結果を出すことができず、頼りにならない主将だったかもしれないが、それでも周りにいる仲間達が最高のチームを作ってくれました。みんなありがとう。


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こう言葉にしていると、今年1年間、又は大学生活4年間、
だけに限らず、
今までの22年間私がどのような人生を歩んできたのか、次々と頭の中に出てきています。


私の大学生活は、大学入学前の私や周りの人では考えられないぐらい、ありがたい経験やうれしい経験をさせてもらうことができました。
まず試合にたくさん出れたこと、そして選抜に選ばれたり、サッカーでの内定先をいただいたりと、過去を振り返ると考えられないことだらけです。


『大学入学前』
大学での自分を語る前に昔のことから語らせてもらうと、少年団時代こそ何してもうまくいく無双状態ではありましたが(ごく一部の地域で)、清水エスパルスの6年間では何もかもうまくいきませんでした。体も周りのように成長することなく潰されることや追いつけないことが増え、武器の技術ですら通用しませんでした。特にユース3年間は本当にきつい期間となりました。一年時は北川航也君率いる3年生がうますぎて自分の力の無さを突きつけられ終了。2年でも安定して試合に出場することができず終了。3年ではキャプテンになるも、陸、皓平、豪、滝、迅、優太、の前線メンバーに敵うことなく情けない時間を過ごしました。途中交代でinしても途中交代でoutすることやたまたまスタメンで出場しても前半途中で交代することは身内では有名な話です。ユース時代の自分は試合会場真ん中のテントで記録係として完璧に仕事をこなしていた姿の方がしっくり来るかと思います。試合に出なすぎることで記事にも「主将の立田悠悟」と書かれることが当たり前で、シーズン途中に平岡監督から「キャプテンを辞めろ」と言われたりと、だいぶきつかった期間を過ごしました。


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しかし、そんな時に自分にとって大きすぎる出会いが舞い降りてきました。


『立正大学との出会い』
高校3年時は進路を決めなければなりません。当然トップに上がることができない自分は大学に進学することを決めました。親のことを考えると公立の方がいいよな、この有名な大学に行けたらといいな、といろんな希望を抱いていましたが、現実はそんなあまいものではありませんでした。周りの仲間たちは、有名大学にスポーツ推薦等で入学することが確実である中、全く活躍することができなかった自分に行ける、経歴のある大学は全然見つかりませんでした。
そんな中、当時東京都リーグに所属していた大学の名前が耳に入りました。耳に入った理由としては先輩であるカンタ君(長谷川歓太)となっち(武田夏輝)がいたことが大きかったと思います。それが埼玉県熊谷市を拠点とする「立正大学」でした。正直自分の希望するカテゴリーのリーグに所属する大学ではありませんでしたが、その立正大学を進路の第二希望と決め練習参加をお願いし、立正大学にお邪魔しました。そこでの出会いは衝撃的でした。サッカーのレベル、サッカーに集中できる環境、スタッフの熱量、など、、、。多くの衝撃を受けました。環境面ではユースでの3年間、通学と練習での移動で往復合計4時間ほどかけてその中でもなんとか工夫して過ごしてきた自分には最高の環境でした。そしてピッチではうまい人たちばかりで、練習参加後にはリーグのカテゴリーのことなんか忘れていました。シンプルに「ここでサッカーがしたい」。そう思うだけでした。ユース時に試合に出れなかった分、オフザピッチでの立ち振る舞いなどを大事にしていたことが、立正スタッフとの面談で評価され良い返事をもらい入学することができました。


『立正大学でのサッカー生活』
初めて親元を離れ生活することになったのですが、当時の自分を思い出すとかなりエネルギッシュだったかなと思います。なんとかここで成り上がろうとまだ入学したてで名前も覚えられてない高松トレーナーに「体幹メニューを教えてください」とお願いして、わがままはここで終わらずそこから高松トレーナーに無理言って朝食後グランドでの自主トレ(通称:コソトレ)を行い、それ以外でも強くうまくなると思うトレーニングはやりまくりました。(高松さん、私は少しは自立できたでしょうか。)
そんなエネルギッシュな姿勢やフレッシュなプレーが評価され1年生で関東2部リーグ出場を果たし、そこから試合に出るのは自分の中で当たり前となり得点もよく取り、最高に気持ちの良い期間を過ごしていました。しかし、そんな気持ちの良い期間も前期のみで終了。完全に鼻が伸びていしまい。謙虚さを完全に失っていたのだと思います。1年生後期は何もできませんでした。なにも自分を表現できない期間が半年も続きました。ユース3年間よりもきつかったと思います。ユース3年間で試合に出ることができなかったお子ちゃまがちょっとだけうまくいくことがあっただけで謙虚さを無くし自滅していく姿は本当に情けなかったです。正直ここでのサッカー、やめようかなと思えるほどの心の状態にまでいっていましたが、それでも決して腐ることができませんでした。
どんな姿でも見守ってくれる家族、自分を見捨てることなく支えてくれたスタッフの方々、自分の活躍する姿を期待している地元の仲間。など。その人たちの顔が頭に出てきて自分はなにで恩返しできるかと考えた時、「この立正で、そしてサッカーで、活躍するしかない」と決意して、もう一度心を入れ替えここまで取り組み続けることができました。


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関東2部リーグデビュー戦



『私が何か伝えれるとしたら』
全てのことをサッカーに捧げて過ごすように心がけました。サッカーに捧げすぎて、いろいろなことを犠牲にしてたくさんの方達に迷惑をかけたかもしれませんが、何もかもサッカーに繋げないと1年時後期の苦しすぎる期間に戻ってしまうと思って生活するしかありませんでした。

新たな気持ちで生活するようしてから今までに、自分が常に大事にしてきたことがあります。ごく普通なことですが、誰かしらの参考になればと思います。
私が常に大事にしてきたことは「継続」することです。
簡単なこと、苦しいこと、きついこと、窮屈なこと、、、どんなことでも自分のプラスになるだろうと思ったことはただただ継続してやろう、と心がけてきました。
規則正しい生活をする、食事にこだわる、睡眠にこだわる、練習に対しての準備を疎かにしない、練習後にトレーニング・ジョグをする・エネルギー摂取をする、高松トレーナーにもらったメニューをやり続ける、ワールドウィングで初動負荷トレーニング、新しいことにチャレンジし続ける(スペイン留学までにも繋がった)

細かいことはまだまだいろいろあってよく同期にもいじられます。同期以外にいじられないように他のことは省略させていただきます。

2年からの3年間、大事にしてきたことは「継続」、ただそれだけだったかなと思います。
その時、もしくは今自分が取り組もうとしていることが果たしてうまくいくものなのかどうかは分かりませんが、「やりたい」、「やった方が良いに決まってる」、と自分で思ったことは、どんな正当化される逃げ道があったとしても負けることなく取り組もうと励んできました。
もちろんいろんな欲に負けることだってあったし、続けられないものもありました。息苦しさからサボったこともあるけど、その小さな綻びから完全に崩れることなくやってこれました。

「チャンスは準備された心に降り立つ」

私が大事にしている言葉です。この言葉があったからこそ何度も挫けそうになる自分を奮い立たせることができました。試合にスタメンで出れない、数字が出せない、評価されない、いろんな壁が立ちはだかった時、周りのせいにしてしまうものですが、この言葉のおかげで、うまくいかないことがあったとしてもまず自分が準備できていないんだと、自分自身にベクトルを向け、継続だけに集中することができました。

自分の生き様で何か伝えれるとしたら、「継続」

と自信持って言えるようになりたいので、まだまだ自分を見つめ直していきます。

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1年時に書いたマンダラート。


そして、私はたくさんのパワーを周りの存在からいただき、ここまでくることができました。家族、仲間、スタッフ、そして私に関わってくれた全ての方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

『感謝』
家族
これまでなに不自由なくサッカーをさせてくれた
スペイン留学まで叶えさせてくれた
どの会場にも応援に駆けつけてくれた
まだまだたくさんここに書ききれないことだらけですが、私のために尽くしてくれた両親には感謝しかありません。そして兄2人、息子たちが全員実家を出ている中、自分の試合が家族全員揃うイベントにできたこと、とても嬉しく思います。試合後には必ず家族に向かって手を振る。負けた時は、こんな試合をして申し訳ない、と、勝った時は、あの喜んでいる顔を見るために次も頑張ろう、と、心の中で思っていました。自分にとっての最強の応援団。
この存在のためにまだまだこれからも頑張っていこうと思います。

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雨の中応援に駆けつける両親


仲間
まず先輩方
先輩方は偉大でした。都リーグに長く所属していたチームでしたが、先輩方のおかげで今立正大学が関東1部リーグの舞台に立つことができています。いつも大八くん(岡村大八)と電話する時に「俺らのおかげだな〜」といってきますが、その通りであります。

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尊敬する岡村大八


後輩たち、
今シーズン4年生についてきてくれてありがとう。本当に下の学年からはたくさんのパワーをチームにGIVEしてもらいました。すごい奴らばっかなので来シーズンOBとして応援するのが楽しみでしかたない。

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そして同期のみんな
本当に最高でした。もちろん4年間うまくいくことだらけではなかった。でも、それ以上に楽しく充実した時間を同期たちのおかげで過ごすことができました。この繋がりは一生モン。また各々が成長して出会う姿が楽しみです。

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スタッフ方々
全然ダメダメだった私を立正大学に受け入れ、4年間厳しく楽しく指導していただいたおかげで少しは成長できたのではないかと思います。ピッチ内外でチームを支えてくれた杉さん、まじでお世話になりました須永さん、自分のプレーを信じてくれた荒さん、元気すぎるササさん、同い年かと思ってしまうたくみさん、魂を教えてくれたヨンハさん、組織の可能性を教えてくれた林さん。いじられトレーナーしのさん、身体・メンタル全てをケアしてくれた高松さん。本当に感謝しかありません。この方達の自慢の教え子になれるよう頑張っていきます。

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『最後に』
今まで本当にたくさんのことを経験させてもらいました。サッカーは失敗だらけのスポーツ。何度もやめていいタイミングはあったと思います。それでもサッカーを嫌いになることは決してありませんでした。ダメなところがあるからやめるのではなく、ダメな自分だからこそ努力量を増やしてやっていかなければならないとエネルギーに変えてやってきました。歓喜、絶望、感動、苦痛、、、サッカーがいろんなことを経験させてくれて、全て全力に楽しんでこれたかなと今では思います。そしてサッカーというスポーツから、一瞬にして最高に嬉しい、そしてこの先果てしなく厳しいプレゼントをいただくこともできました。今まで同様、いや、それ以上に厳しい挑戦になると思います。
これまでの人生、ボールを蹴ることが恐怖になっていた自分もいたりしましたが、それでも気付いた時には自然とボールを蹴っていました。そしてこの立正に来たことで心から楽しんでサッカーをより一層好きになることができました。これからの人生もたくさんの試練があると思いますが、その全てを成功するためのエネルギーに変えて平松昇らしい人生を歩んでいきます。

長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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