【ブログ】JAPHIL日本学校の始まり
弊社の創業は2017年、当初は中国、フィリピンなどのアジア圏との貿易商社として稼働し始めました。
フィリピンに何度も足を運びお仕事をさせて頂いてる中で、フィリピンの人はかなりの親日国だなという感覚が常にありました。
フィリピンでも田舎のエリアで活動していたので田んぼには水牛がいて水牛がなにやら道具を引っ張って田んぼを耕しているのを毎日見ていました。
たまにクボタの農機具が農作業をしていると子供たちが「Kubota!!Kubota!!」とはしゃいだりしているのを何度も見ました。
子どもたちは学校に行ける子は少なく、田んぼの端っこで木の枝で大きなカエルを探して突き刺していました、なかなかグロテスクな遊びだな。と見ていたら現地の人に「あれは食べるため」と教えてもらって衝撃を受けたことも。
そんな中でフィリピンオフィスでは現地のフィリピン人の方たちの中で日本人がいる!と話題になり(田舎のエリアで日本人を見るのは珍しい)日本語を教えて欲しい。私の親戚は日本で働いていて大きな家を建てた。私も日本へ行って仕事をして家族を養うことがしたい、だから日本語を教えて欲しい。と人が訪ねるようになったのが2018年頃です。
はじめはオフィスの端っこで簡単な日本語を教えていたのが懐かしいです。
これが弊社の運営するJAPHIL日本学校の始まりです。
あの時の日本語を教えていた場所の写真があれば面白いのに一枚もないのが悔やまれます。
外に屋根と壁がかろうじてあって、窓にはガラスサッシなどはなく筒抜け、雨が降れば当然中に雨が入ってくるのでずぶ濡れになり野良猫と野良犬が近くでずっと喧嘩をしていて常に鶏がコケッコッコー!!!!!と鳴いている、そんな環境でした(笑)