色の話。
発達障害グレーゾーン。
繊細さんの本の水色の表紙。
赤いヘルプマーク。
ピンクのマタニティマーク。
男と女、その間か、その外にある、
それ以外なのか、いやその居場所さえなく、
存在まで見て見ぬふりをされてきたLGBTQ。
レインボーカラー。
男、女、それ以外と粗野に区分されてきた社会で、声をあげないと気づかれない存在がある。
色がある。
記号的に分類することで、
新しい言葉で括ることで、
色を塗ることで、
社会を構築してきた人類の叡智。
叡智だと思われていた、
常識だと思わされていた、
日常に紛れ込む其れらを、
疑えるひとで在りたい。
常識を疑え、とはよく言うが、
常識なんてない。
何処にも。
ほんとうのことなんて、
何処にも無いから、
神様なんて居ないから、
待ってはいられないんだよ、
考えろよ、考えようぜ、人類。
他の誰でもない、お前の話だ。
色を提示しないと生きられない世界なんて
ぶち壊したいと思わないか。
色なんて概念が
この世界に無ければよかったと思わないか。
色が無いと、気づくことも、やさしくすることもできないと言われていることと同然の社会に、お前自身に、悔しくならないか。
色で区分なんて出来やしないじゃないか。
されていいわけがないじゃないか。
誰も何も。
わたしたちは、
わたしは、
愛するひととさえ、
そのすべてを分かり合えないのだから。
分かり合えるなら、
演劇も文学も音楽も映画も、
すべての芸術は要らないだろう。
何故芸術が産まれたのか、
必要性を持ってこの世に産まれてきたのか、
その意味すら分からんような奴に、
この文章は届かないだろう。
死ね。
社会はまだ追いついてこない。
追いつくどころか後退している場面もある。
わたしが間違っているのだろうか。
狂っているのだろうか。
早く産まれすぎてしまったかもしれない。
もっと遅く産まれていたのなら、
社会はもっと美しく
完成していたのかもしれない、
なんて思いたくない。
それは怠慢だ。生きる責任の放棄だ。
この世界にだって、きっと、
きっと在るはずの、美しさを掬い上げて、
この時代で老いていかないと意味が無い。
わたし独りだけの力だけでは、
どうにもならない切なさ、怒り、遣る瀬無さ。
もっと身軽に生きられたら、
どんなにか楽だったろう。
たった一人の、心無い言葉を見過ごして
消化してこられたら、
どんなにか生きやすかっただろう。
わたしは鬱病患者だ。
ヘルプマークを着ける生活を始めた。
提示しないとわからないんだろう?
これはわたしなりの反逆の証。
社会の型に一見納まるようにして、
反旗を翻してやりたい。
被害者でも悲劇のヒロインにもさせない。
試行錯誤を積み重ねて、
形を変えて、
それでも決して芯は変えない、
わたしの社会との闘い方。
わたしは、貴方と同じ赤い血の流れる、そして人類として産まれたが故に、考えるということを産まれながらにして定められた、ひとりの日本人だ。
だが、わたしの色はわたしだけのものだ。
そしてあなたの色もまた。