「愛する」と「好き」は全くのベツモノです
鶴岡李咲です。
さて、本日はですね
「自分を愛する」ってどういうこと?
というテーマについてお話して
いきたいと思います💕
いろんな方とお話ししているうちに
私が考える「自分を愛する」ということと
多くの人が思っている「自分を愛する」
とは定義が違うということに
気づきました。
まず、これがすごく大事なのですが
「自分を愛する」ということと
「自分が好き」ということは
全くのベツモノです。
「好き」の最上級が「愛する」
なのではありません💡
好き<大好き<愛してる
ではない
ということです💎
私も最初の頃はそう
思っていたのですが
自分と向き合っていくごとに
自分を愛するということと
自分を好きであるということは違う
という結論に至りました💡
では「自分を愛する」というのは
どういうことかというと
「自分の存在を
そのまま認めること」
と私は定義しています🌙
私という存在を
そのまま認めること。
それが自分を愛することです💎
「そのまま認める」ということは
私の場合で言えば
「身長150センチ、丸顔、30歳、
人の名前を覚えるのが苦手、女性
食べるのが好き、家事苦手etc...
以上。これが私。」
ということを「認める」ということ。
ただ、認めるだけ。
家事が苦手だからダメだと思うとか
丸顔な自分が好きだとか
そういう好きとか嫌いとかは
上とか下とかいい悪い関係なく
ただ、
「自分という存在は
こういう存在なんだ」
ということを認める。
「私は一生懸命頑張っているけど
手取り15万」
「努力しているけどなかなか痩せない」
とかではなく
「私の手取りは15万。以上」
「私は平均より太っている。以上」
というように
今のそのままの自分の
存在を、ただ認めること。
この、「そのまま認める」ということは
人によっては「諦める」「絶望する」
という方がしっくりくることもあります。
「30歳で手取り15万の自分を
そのまま認める」
=私は現状30歳で手取り15万の
自分であると諦める
(一生手取り15万だと諦めることではない)
=30歳で手取りが15万だという事実は
変わらないことに絶望する
手取り15万だけど、
これからなんとかなるんだ!
とか
手取り15万でも
私は人間としてすばらしいんだ!
とか
そういう未来への期待や
自分への価値づけはせずに
「私は手取り15万。
それ以上でも以下でもない。
それが私である」
ということを
認める=諦める=絶望する
=自分を愛する
ということです💎
上下や善悪をつけずに
ただただ、自分という存在を
「認める」こと。
それが自分を愛するということです💗
多くの人は、この
認める、諦める、絶望する
ということをせずに
自分のいいところを見つけて
「好き」になろうとしたり
私には価値があるんだって
言い聞かせようとしたりする。
それは
自分を愛することでは
ありません✍️
自分を愛するということは
自分が何者なのかを知り
それがどんなものであれ
ただただ認めること。
運動が苦手なことを認める
仕事が遅いことを認める
アラフォーであることを認める
付き合ったことがないことを認める
離婚経験があることを認める
めんどくさがりなことを認める
平凡であることを認める
お金が欲しいことを認める
〇〇さんに嫉妬していることを認める
〇〇さんが好きなことを認める
〇〇さんが嫌いなことを認める
まずはここがスタートなのです。
自分のことを知って
そのままの自分を認めることから
全ては始まります。
自分を愛するためには
「自分への期待」も
「自分が好き」も
必要ありません。
私という存在を知り
私が私であることを
ただ認めるだけなのです💕
らぶ💋