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「同じクラスの〇〇のこと、
あんまり好きじゃない」

子どもが話したことがある

その〇〇が
外国人の場合

「そうなんだね
性格が合う合わないってあるよね」

と言ったり

「そうなんだね
何か嫌なことあったの?」

と平常心で
子どもと対話が進められる

でも!

その〇〇が
日本人だった場合

「えっ!けんかでもしたの?
なんかあったの?????」

と根掘り葉掘り
聞きたがり

心がザワザワする自分がいる


そこで
はたと気づいたのだ

わたしは

外国人とは
文化も違うし、人種も違う

故に
もともと理解し合うのが
難しいもの

仲良くなれるってのは
珍しいことである

だから、子どもが
「好きじゃない」と言った時に

「まぁ、そうだよね」

と受け入れモードになるが

一方で

日本人とは
文化も同じだし、人種も一緒

全員同じ日本語話すし
理解し合えるもの

もっと言えば

インターという
日本人が少ない環境で

日本人同士
仲良くするって
当たり前じゃないか?

とすら思っていて

だから、子どもが
「好きじゃない」と言った時

「同じ日本人なのに、
なぜ仲良くできないんだ?」

と思ってしまうのだ

無意識のうちに・・・


この自分の奥底にある
潜在意識に気づいたとき

自分で自分が
怖くなった

なぜなら

わたしは駐妻世界に
飛び込んで

日本人駐妻

というカテゴリーでも
いろんな人がいて

仲良くなれる人もいれば
そうじゃない人もいることを

身をもって体験しているし

子どもにも

「日本人同士仲良くしなければ
いけないわけじゃない」

「人種や生まれた国は関係なく、
人として合う合わないって
あるものだよ」

なんて日頃から
話していたからだ

無意識的に人を

その人自身ではなく
日本人とそれ以外の人

という具合に
分けている自分がまだいたなんて

もうすぐ海外生活
丸5年になるけれど

矯正すべき自分の
考えがまだまだ残っているようだ