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死にたいの先に

2020年から、児童生徒の自殺者が増えたと、今日の職員会議で話がありました。
我々教員の夏休み明けのケアが大切だと。
ちょっとでも気になることがあれば、共有してアプローチすることと。

こういうところは、我が校のすごいところというか、生徒ファーストだなあと思う。いいこと。

で、その話を聞きながら、思ったのは。

こどもは大人が守ってくれる。じゃあ大人は誰が守ってくれるんだろう。

自持ちの障害(障害者手帳は受け取ってないので、厳密には違うかもしれないけれど)のせいで、いつも死にたかったこどもの頃。

履きたい靴が履けない。裸足になりたくない。物理的に足がめっちゃ痛い。手術跡を見られるのも嫌。
足の痛みとか手術跡のかゆさのせいで、自傷行為が絶えず、いつも血だらけだった左足。

これが一生続くのはちょっと耐えれん。

ずーーーっと思い続けて、そしたらなんかもう、死にたいなあがデフォルトになっていた。

職場では、メンタルが強いとか、鈍感だとか、言われてて、天真爛漫ぶった演技が板についてきてる。たぶん誰も、私がデフォルトで死にたいと思ってるなんて思わないはず。

誰にも話せない、誰にも気づかれない私のことを、誰か、守ってくれるのだろうか。

推しが16歳の頃、死のうとしたことがあるらしい。
思いとどまってくれて、辛かったろうけど生きることを選んでくれて、本当に良かったと、心底思う。
でも彼も、目の奥に死をちらつかせている人だと思う。いつかふと、いなくなりそうで怖い。

死のうとして、死にかけて、簡単には死ねないことを、私はよく知っている。
だからこそ、生徒とか、推しとか、大切な人にはそんなモーションをしなくていいようにいてほしいと思う。

でも、わがままだけど、私がいつも死にたいと思っていることも、大切にしたいししてほしい。
そんなこと思うなんてとか、言ってほしくない。
誰も悪くないのに背負わされてしまった左足は、大切だけど大切じゃない。
こいつにわかってもらいたい。私はおまえのせいで、いつも死にたいよ、って。

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