
3度の移住、3度の転職。リボーンし続けたデザイナーの話。
アメリカ人の彼と5年間の遠距離恋愛を経て、
日本で働いていた会社を辞めて、
今、私はロサンゼルスにます。
ロサンゼルスにきてから初対面の人に
「なんでデザイナーになろうと思ったの?」とか
「あなただからこそできるデザインって何?」
とよく聞かれます。
私はこの2つの問いについてあまり深く考えずに、その都度チャンスが訪れたら全力で掴みにいくスタイルでデザイナーとして4年間のキャリアを歩んできました。
仕事を辞めて、1人の時間が増えたので、自分なりに考えた答えを今日は綴りたいと思います。
私の原点
英語が喋れない。そんな時に支えてくれたのが「絵」でした。
お父さんの仕事のきっかけで小学校はイギリスのウェールズという田舎で過ごしました。私は究極のシャイガールで今思えばあの日々は「暗黒期」。
特にイギリスで初めて小学校に登校した時は英語が全く分からなくて
「トイレどこですか?」
っていう一言が言えなくて1日中我慢したことを覚えています。
イギリスの小学校ではディスコというダンスパーティーがあって、音楽が鳴り響く中私はトイレで籠もっていました。
そんな中私が夢中になったのは「絵を描くこと」でした。言語関係なく自己表現できてエマちゃんという友達とも絵を介して仲良くなれました。その頃からなんとなくビジュアルで想いを伝えるっていうことが好きだったのかなと思います。
ひたすらリボーンをくりかえす日々
イギリスから帰国してからは日本の女子中学校に入学しました。
私は暗記が苦手で成績は悪いし、水泳部では毎日泣きそうになりながら練習しても後輩に追い抜かれてばかり。コミ障であまり喋らなかったせいか周りの帰国子女と比べて英語もイマイチ。
そのせいか中学生の頃には
「みんなと同じ戦い方をしたら撃沈する」
「もっと人がやらないことをしないと」
と常に焦りがありました。
そこでオーストラリアに留学するという機会があり、数ヶ月ホームステイをしました。結果から言うとコミ障を克服できず、ほぼ喋らず数ヶ月を過ごしました。
それでは悔しくてもう1回留学することにして、今後は1年間アメリカのボストンに行きました。そこでは2つ目標を持っていました。
1. 1年で1000人友達を作る
2. TOEFLで100点以上とる
結果から言うとコミ障脱却!
TOEFLで100点以上とれました。
アメリカ人のイケメンの彼氏までできました。
これが第1回目のリボーンです。
ここからはかなり勢いを増していきます。
第2回目のリボーンは大学生1年生の時。
所属していたサークルのパーティーでのとある社長さんとの出会いです。
その時私は他の人がやらないことをし続けなければならないと
思い込んでいたのでインターンをさせてくれないかと頼み込みました。
その時に社長に聞かれたのが
「得意なことは何?」
「英語?それじゃ足りないな。あともう1つないの?」
「この部屋に英語は何人もいる。」
「でも英語ともう1つ何かが抜き出ていればとりあえず100人のうちのトップになれる」
そこから本格的にデザインを勉強して、カーネギーメロン大学へ留学することを決めました。それまで完全独学だったのですが、世界中からのトップクラスのデザイナーに囲まれて自分との差を自覚することになります。
これが第3回目のリボーンです。
デザイナーとして一番学んだ年です。寝る間も惜しんで課題に専念して結果的には成績トップの人しかもらえないDeans Listに選ばれました。
大学卒業後Yahoo!JAPANに入社して2年後はGraffityと言うARスタートアップに入社しました。7000人の会社から7人の会社だったのでかなり刺激的でした。デザイナー1人という環境下で1年に5つのアプリをリリースにコミットしました。
ここで私は最大のリボーンを果たします。
正直のところ私はそれまでデザインを自分の武器としてしかみれていなかったのですがデザイナーの意義を見つけました。
デザインで「0から何か価値のあるものを作り出すことができる。」
ということをハッキリと体感したのです。
7人の凸凹チームで、アイディアも何もないところから、アイディアを考えてヒアリングを通して精度をあげて、プロトタイプを繰り返して、辛い道のりだったけれど最後にリリースしたペチャバトはアプリリリース後1ヶ月で15万バトル達成。
知らない高校生の体育の授業でも使われたり、ペチャバト甲子園を開いたら全国からファンが集まってくれたり、IT界隈の方々もたくさん遊んでくれました。
こちらプレー中の動画です😂
こちらペチャバト第三者視点です pic.twitter.com/LGzgJHJue7
— MAMORU KIJIMA (@sadako_a_) December 12, 2018
その後に転職したサンフランシスコのスタートアップAll Turtlesでは新規プロダクトチームをリードしていくポジションにつき、苦戦する毎日でした。
※All Turtlesに転職した際の記事はこちら
All Turtlesでミーティングの進行をするのがデザイナーの役目でした。Evernote創業者のPhil Libinと週に2回ミーティングで質問にうまく答えらず、沈黙が続いてしまったり、ずいぶん苦戦しました。
そんな時も事前に作っていたデザインデータのおかげで、言葉ではうまく説明できなくてもアイディアを伝えることができたり、リアルタイムでデザインを作ることで議論を収束できて、またもやデザインの力に支えられました。
私がデザインする理由
改めてこの問いに戻ります。
「なんでデザイナーになろうと思ったの?」
デザイナーには具現化されていないアイディアに命を宿す力があるから。
子供の頃友達を作るための魔法のスティックだ「デザイン」が、今は新しい体験を生み出すために欠かせない、異業種の人とコミュニケーションするために必要不可欠なツールになりました。
「あなただからこそできるデザインって何?」
これまで色々な国、色々な会社を、色々な人と触れ合ってきたからこそ、その人それぞれの心に寄り添ったアウトプットをします。
だからこれからも私はデザイナーとして生きていこうと思います。
これから
今はロサンゼルスでコネクションもほとんどない状態でどうなるかはわかりませんが、次なるリボーンを果たすべく地道にアポとって次のチャレンジに臨みたいと思います。
アメリカでの就活用に作ったポートフォリオがこちら(絶賛更新中)👇
アメリカでの学びや気づきはこちら!👇