祖父の誕生日を祝ったら、私にとっての結婚式になっていた
今日、ひとつ歳を重ねました。
誕生日になるとありがたいことに、まわりの人が「おめでとう」とわざわざメッセージをくれたり、粋なプレゼントをくれたり、普段はなかなか連絡を取らない人からも連絡をもらえたりする。ちょっと照れ臭かったりもするけれど、ほんとに嬉しいし、ありがたい。ありがとうございます。
そうしたやりとりは、止まっていた関係性がまた進み出したり、誰かとの約束を再確認するきっかけになったりもする。
小さい頃、誕生日は「ケーキとプレゼントと好きな食べ物でお祝いされる日だ、やった〜!」なんて思っていたけど、歳を重ねるごとに、自分の誕生日もまわりの人の誕生日も、捉え方は変わっていっているなと思う。
そんな自分の誕生日に書き記したかったこと。
それは先日、97歳になった祖父のお誕生日をお祝いしにいった話です。
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今年4月に97歳を迎えた祖父。祖母が先立ってもうすぐ20年。
足腰は弱ったものの、今もまだ元気にしっかり、一人暮らしをしている。
神戸と東京。離れて暮らしている今。
たまに電話をするものの、必ず会う機会と言ったら年末年始くらい。
そんな祖父の顔を、色濃く思い出すきっかけがあった。
今、私はCRAZYという会社で、IWAI OMOTESANDOという人生をお祝いする場所で、プロデューサーとして働いている。取り扱っているものは「人生」。一筋縄ではいかないこの仕事は、とてつもないやりがいを感じながらも、常に、自身の人間としての成長が必須。
そんな中、私はとある課題にぶつかっていた。
それが正直何なのか、自分でもよくわからない、だけどなんだかうまくいかないな、と思っていた頃だった。
とても信頼する友人が、ある本を勧めてくれた。
かの有名な『嫌われる勇気』。ご存知の方も多いだろう。アドラー心理学の考えがまとめられたこの書籍は、これまでもさらりと読んだことはあったものの、改めて、自分のまわりの人間関係に置き換えて、繰り返し何度も読み進めていった時、涙と共に、頭に浮かんだのが祖父だった。
そこに書かれているのは、ざっくり「幸福とは他者への貢献だ」ということ。見返りがあるとかないとか、他者に承認されるとかされないとか、そんなことは関係なく、ただ、自分が人の役に立てたな〜と自分で感じられることこそが、何よりもの幸せなのだと。
今、私はありがたいことに、自分が役に立てている、貢献できている、と感じられる機会がとても多い。(貢献できるレベルで言ったらまだまだだということはさておき。)
だけど、祖父はどうだろう?
定年退職をし、現在は年金生活。社会に対する貢献する機会もなくなり、体もどんどん弱くなっていき、誰かの世話をするよりも、世話をされることの方が多くなった今。祖父は日々、幸せを感じられているのだろうか?
思い返せば、小さい頃から大人になった今でも、会うたびに何かに理由をつけてお小遣いをくれたり、なかなか結婚しない私を心配して、結婚相談所の新聞切り抜きを置いておいて、会った時に渡してくれたり(笑)。よく公園に連れていってくれたり、アイスクリームあるよ、みかんあるよ、といつもいつも与えようとし続けてくれた祖父。
いつでも「何かしてやりたい」と気にかけてくれていた祖父に対して、私はこれまで「おせっかいだなー」と軽くあしらってしまうこともあったし、全然ちゃんとその気持ちを受け取れていなかったことに気づいた。祖父の気持ちを無下にしてきてしまったこともきっと多々あった。
祖父が幸せを感じられる機会を奪っていたのは、自分ではないか?
そう思うと、涙が止まらなかった。
そう思った1ヶ月後に、祖父の誕生日が迫っていた。もう97歳。いつまでも元気で生きてほしいけれど、あと何回祖父と会えるかも分からない。もしかしたら来年の誕生日は来ないかもしれない。そう思った瞬間、その手で関西行きの新幹線を予約していた。
「どれだけのものを祖父からもらったか」
「どれだけ感謝しているのか」
祖父の誕生日という節目に、それを伝えたかった。祖父が生きてきたこれまでを、祖父の人生をお祝いしたいと思った。そして、どうせなら私からだけではなく、祖父を取り巻くみんなからの声も集めたいと思った。
私は母や兄、姪や甥、アメリカに住むいとこ夫婦にも呼びかけ、祖父へ手紙を書いてほしいとお願いをした。どんどん集まる手紙たち。返ってきた手紙を読んだ時、思わぬことを知ることになる。
それは母から祖父へ宛てた手紙。
という書き出し。
祖父は97年生きてきて、初めて娘から手紙をもらうのか…
そんな機会を作れたんだな、ということが嬉しくて、読みながらポロポロ涙が出てきた。
さらには、いとこの奥さんが書いてくれた手紙にもジーンときた。
私は、彼女にはまだ1回しか会ったことがなかったし、交わした言葉もほんの少しだけ。だけど、この祖父へ宛てた手紙を読んで、なんて素敵な感性をもった人なんだろうと、温かい気持ちになった。
祖父のお誕生日のお祝いという機会が、全然知らなかった彼女を知れる機会になり、遠く離れていた彼女を近く感じることができるきっかけにもなった。
そんな家族みんなからの手紙を集めながら、私は私で祖父へのお手紙を綴ったのだが、祖父からもらったものを思い出していく中で、とても印象に残っていることがあった。
私は、小さい頃から祖父の家へ行く度にお手紙を書いていた。
祖父はその手紙を大事に全てファイリングしてくれていて、手紙コレクションを作ってくれていた。そんな風に自分の送った言葉たちが大切にされていることが嬉しかったからだろう。小さい頃の夢は、作家になることだった。
今、違う形で「人生を綴る」という「書く仕事」ができているのは、きっと小さい頃から祖父がこうして、私が贈った言葉を大切にしてきてくれたから。
手紙を通して、今の私を作っている、大切な原点に再会することになろうとは。祖父へのありがとうが更にましましになった。
そうして迎えた祖父の誕生日当日。
祖父の好きなお馴染みの中華屋さんに行って、母とあーだこーだ言いながら一緒に作ったフラワーアレンジメントをプレゼントし、手紙を渡した。
すると母が「私のは私が読むね」と祖父の前で読み上げ出したのだ。
なんなんだ、この幸せな光景は。その様子を見ながら、視界が滲んでいたけど、鼻を啜るのはなんとか我慢した。
「おじいちゃん、どうやった?」
「ん、よろしい」
言葉にするのが苦手な祖父。期待していたような言葉はもらえなかったけど、それがとても祖父らしかったし、とにかく心がほかほかになった。
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「大切な人や、その人の人生に想いを馳せ、感謝の気持ちを伝える。その過程で自分を知り、お互いの人生をお祝いする」
私にとって、結婚式はそんな機会であると思っている。
そもそも「祝うってなんだろう?」
それを深く考えていた時、まさに!と思う回答があったので、紹介させてほしい。
これは弊社代表もりさんの言葉。
まさに、私は祖父の誕生日祝いを通して、その体験をできたな、と。
その究極の形を今、IWAI OMOTESANDOで提供できてるんだと思うと、とても誇らしかったし、この溶け合うようななんとも言えない幸せな気持ちを、一人でも多くの人にも届けたいな、と改めて思える機会になった。
さて、タイトルについて、全く触れずにここまできたが、もちろん私は結婚もしていなければ、結婚式もしていない。
だけど、私が結婚式で大事にしているその鱗片を、祖父の誕生日を通して体験できたそれは、まさに私にとっての結婚式だったのだ。
大切な誰かの人生を祝うことは、自分の人生に色を足してくれる。
おめでとう。ありがとう。