笑って誤魔化していた移民の私と選挙のおはなし
「留学に行く前にどんな準備をしましたか?」
留学エージェントの会社で留学のお手伝いをしてた頃、ほぼ全員のお客さんから上記の質問をされていた。
もちろん英語の勉強もしておくに越したことはない。しかし当時私がそれ以上に時間を割いていたのは、日本の文化の勉強や政治家の演説・討論動画を観ることだった。
私は留学前に、脳内シミュレーションを行なっていた。
アメリカに行って、現地人、もしくは世界中からやってきた留学生とどんな話をするだろうか?
まず聞かれるのは、自分のこと。そして日本のことだろう。
政治にも日本の歴史にもさほど興味を持ってこなかった私は「これは日本人としてまずいぞ...」と試験前の一夜漬けをするかのように、連日Youtubeのお世話になっていた。ありがとうYoutube先生。
そしてその予感は的中した。
ガイコクジン、めっちゃ政治の話するやん...。
そして、一夜漬け程度の私の知識では見事に玉砕し、お得意の「笑って誤魔化す」と「something like that」あたりを繰り返すハメになってしまった。英語云々以前に、日本語でも話せない...。とても苦い思い出だった。
とにかく無関心だった
「自分ごととして考えましょう」
そんな言葉を目にする度に、あいつは私の中に姿を現した。そう、天邪鬼だ。人から何かを押し付けられる度、正解を突きつけられる度、そいつはその言葉を肥やしにして、すくすくと成長していった。
そして学校でも家庭でも、何となく政治の話をするのはタブーな雰囲気があった。
だから政治や選挙に関する話が苦手だった。
だけど何となく罪悪感を持つのも嫌だった私は、選挙シーズンになると仕方なくの義務感で、投票会場へ足を運んではいた。
その意識が変わるきっかけになったのが、2年半過ごしたニューヨークでの出来事だった。
Facebookのタイムラインが絶望で埋め尽くされた
冒頭でも書いた通り、ニューヨークでは日本よりも圧倒的に政治の話をする機会が多かった。その度に私の胃からキリキリという音が聞こえてきたのは言うまでもない。
そんなニューヨーク滞在中に、国をあげての一大イベントがあった。
2016年の米大統領選挙だ。
移民を嫌い、アメリカ人ファーストのドナルド・トランプ氏。
移民に協力的な姿勢のヒラリー・クリントン氏。
移民の多いニューヨーク州では圧倒的にヒラリー氏の支持が高かった。
しかし攻防の末、勝利を手にしたのはトランプ氏だった。それが決まった時のFacebookのタイムラインが今でも忘れられない。
「自由のアメリカを信じていたのに」
「アメリカから自由がなくなった」
「これからどうしたらいいんだ」
絶望し、悲しみに暮れる友人たちの声で埋め尽くされたのだ。
そんな中、私はというとこんな投稿をしていた。
その日開催されたニューヨークマラソンに触発され、一人呑気に翌月控えたホノルルマラソンへの昂りを綴っていた。
この空気の読めない投稿は、案の定、とても浮くこととなった。
声を上げていたのはどこかの誰かではなく全員が友人だった
悲しみの声で埋め尽くされるタイムラインを見ていて、他人事ではいられなくなったのは、そこで声を上げている人たちは、「どこかの誰か」ではなく「友人」だったということ。
空気の読めない投稿をタイミング悪くしてしまったことを反省しつつ、自分の中にその声はじわじわと浸透していった。そして、アメリカに移民の友人が多いことや、今後日本からアメリカへ留学生を送る立場であった私にとって、他人事ではいられない出来事となっていった。
自分にとって遠い存在だった政治。
それが自分の世界に入ってきた瞬間だった。
そして恐れていた通り、移民への制度はそれ以前よりも厳しくなり、日本で留学サポートを始めた私は、アメリカ学生ビザの取得サポートも1件1件が命懸けだった。ビザが取れるか取れないかで、その人の人生を大きく変えてしまうことになる。お客さんのビザ合否の発表の度、ものすごい緊張が襲ってきたものだった。
もしあの時、ヒラリー氏が当選していたら...。
もし私に選挙権があって、投票できていたなら...。
そんなことを思わずにはいられなかった。
自分に関係のあることだけでいい
そんな風に、友人たちの声をきっかけに政治に関心を持ち始め、それが自分の生活を大きく変えるんだと米大統領選挙を通して実感した私だが、無関心なトピックはいまだに無関心なままだ。
しかしその中でも、「これは自分に直結するな」「これは自分の生活ど真ん中じゃないか」ということに関しては、胸を張って自分の意思を示せる自分でありたい。だから、笑って誤魔化して過ぎ去るのを横目に見るのではなく、自分ごとに向き合って、自分の結論の1票を投じようと思う。...something like that.