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父の愛を?

父からの愛が、伝わってくる。

深い瞑想中とか、以前もごくたまにあったけれど、最近はごく普通の生活の中で、ふっと伝わって、くる。

生前も特別仲良しとかじゃなくって、最期の時も親戚に眉をひそめられるほど私はあっさりしていたし、葬儀や法事だって、お墓参りだって、全然適当な私のことを、でも、父は愛してくれている。

それは多分、父の魂と、私の魂が似ているから。

そして今の私は、私の本当に望むことが分かっているから。

つまり、父の魂が一番望む生き方をしているのは、私だから。

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母親の通院やあれこれも、母親に言われてやる来月の父の法事も、私にとってはクソめんどくさいだけのことで、私はそういう人間だ。

お墓参りとか、仏壇に手を合わせるとかも、私は全然好きじゃない。

そういうのは、生きてる人間の、ためにあるもの、生きてる人間が心を落ち着かせるためにあるもの、だとさえ思っている。


もちろん、お墓参りに行ったり、仏壇を清めたり、お花やお供え物をあげたり、何より故人を偲んで、感謝を込めて、手を合わせるのは、尊いことだとは思う。

それが、心からできる人はそれでいいと思うし、そんな姿を見て、故人も喜んでおられると思う。


でも、そういうのは、形だけに過ぎないのでは、って思うような、私みたいな人間がいたっていいのではないか。

葬儀や法事、お墓参りが、遠方に住んでいたりする人間の大きな負担になるのであれば、別に必ずしも形にこだわることはないのではないか。

何より、お墓参りに行けないとか、長男なのに葬儀を準備したり取り仕切ったりできないとか、そういうことを、引け目に思ったり、罪悪感を感じる必要は、何ひとつないのではないかと私は、思う。



最近の私が、なぜ、父の愛を感じられるのか考える。

年老いた母親を敬い優しくするとか、心を込めて法事を行うとか、そういう、一般的には素晴らしいこととされる価値観の、真逆にいるような私が、なぜ、故人である父からの愛を受け取れるのか。


私は最近、美味しいものを食べると、美味しいね、って自分に言う。そうすると、嬉しくなる。私の中の私は、うん、美味しいってニコニコに、なる。

そこに、多分、父も、いる。

美味しい、ってニコニコになった私は、父にも、ニコニコを、美味しさを、幸せを、与えてる。

お酒が好きだった父に代わり、私は飲んであげる。

私が、飲みたい、って思った時に、飲みたいお酒を飲むだけ。

飲んで、あ、これ美味しい、って思う時、多分父も喜んでる。

これ、父も好きな味かも、って思う時、父の嬉しさは、爆上がりする。

形だけお墓参りに行ったりする何倍も何倍も、父の魂は嬉しいはずだ。



ニコニコして、過ぎたことは過ぎたそばから水に流して、好きなものを食べて、美味しいな〜、嬉しいな〜、って思っていれば、いいのだろう。

そうすれば、故人も、癒やされるのだろう。

癒やされるから、嬉しくて、もっと愛を送りたい、って思うのだろう。

そうやって、ご先祖さまからのご加護を受けられるのが、運がいいとか、強運だとか言われる人なのかもしれない。



当たり前のように、存在する価値観。

お盆にはお墓参りに行かなきゃとか、年末年始には帰省して家族揃って年越しすべきとか、長男なんだから、嫁なんだから、娘なんだから、やって当たり前みたいに思われていることの数々とか。

田舎であればあるほど、そういうのに縛り付けられたり、あるいは、周りから思われる期待像通りのことができない自分に罪悪感を持ったり、そういうのがとても多い気がする。

私は田舎育ちだし、狭い中での近所や親戚付き合いのあれこれも知ってるから余計にそう思ってしまうのかもしれない。


でも、本当は、そういうものに何ひとつ、とらわれる必要なんかないんだよ、っていうことも、最近分かってきた。

それは、やりたくないから、面倒だから、全部人に任せればいい、というのとも違う。

やるなら、自分を満たした上で。

まず考えるべきは、自分の幸せ、自分の人生、自分の時間。

その上で、初めて、自分にできる範囲のことを、愛を込めて、やればいいだけ。

それが、一番、みんなが幸せになる道だと思う。


みんなが幸せになるように、そのために自分はどうすべきか、がスタートなのでは、ない。

自分が幸せに生きるには、どうすればいいか、がスタートで、それを追い求める先に初めて、みんなの幸せがあるのだと、今の私は思っている。



墓参りにも、挨拶にも来ないで、とか、都会で好き勝手なことをして、とか、親戚に思われようと、何も、恥じることも、申し訳なく思う必要は、どこにもなかった。

私が、好き勝手生きることで、田舎に染み付いている価値観に風穴を開けられるのかもしれなかった。

親戚や近所の誰かが、ああいうふうに生きてもいいんだ、って思えるのかもしれなかった。


私が、私の人生を、背筋をのばして、矜持をもって、幸せに生きることで。


これまでの価値観にとらわれず、自分にとって大切なものを大切にしながら、ご先祖さまや宇宙からの愛を一身に受けて、心穏やかに生きる。

それは、最高に幸せなことだと思う。


私がそんなふうに生きるなら、父は喜んで、癒やされて、もっともっと、愛を送ってくれるのだろう。







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Risa
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