夕暮れの図書室で、世界をこっそり旅することについて
高校生の頃、一時期Twitterの自己紹介欄に「世界史は楽しいよ。この教科書さえあれば、世界じゅうを旅行できるんだから。」というようなことを書いていたことがある。
高校三年生の春、クラスにいる30人くらいの女の子のうち20人近くが日本史を選択するなか、私は迷わず世界史のクラスに飛び込んだ。
決め手は、教科書の色だった。私の高校では世界史、日本史ともにおなじみの山川出版社から出ているものを採用していたわけだけど、山川さんには申し訳ないが日本史の教科書の色が大変に地味で辛気くさい。日に焼けたオレンジ。まるでどこかの寂れたバス停の待合室にあるソファーのような色。これでは開く気にもなれない。いっぽう、世界史の色は素晴らしかった。青空に数滴藍を溶かしたみたいな、奥行きのある清涼感。芳醇な、地球に存在するあらゆる青色を想起させる色。この教科書を開くたび、私はいつも大空を舞うような、大海に漕ぎ出すような気分になれた。なんてこの教科にぴったりな色なんだろう、と思った。私はもう、ひとめで恋をした。
教科書の内容も、色に負けていなかった。ちょうどディズニー映画の「アラジン」にハマっていた時は、同時並行で学んだアラビアの歴史に深く感銘を受けた。夜の砂漠に点在するキャラバンサライ、商人を乗せた船の行き交う紅海、ハールーン・アッラシードの伝説。すべてが蠱惑的で、エキゾチックだった。私はその時教室にいたけど、同時にアラビア湾から運ばれてくる湿っぽい夜風に当たっていた。風と一緒に甘い果物の香りがした気がして、私は思わず隣にいた男の子に「ねえ、アラビアにいるみたいじゃない?」と聞いた。その男の子は眠そうな目でこちらを向き、「今日俺1時間目からずっと寝てるんだ。家にいるのか学校にいるのかも段々わからなくなってきたよ。」と返してきた。当時私たちは、毎日おそろいの制服を着て同じ空間で同じ時間を共有していたけど、それでもみんな結構それぞれの個人的な世界をもっていたなと思う。そして、それについて時々思い立って語ったり、相手のそれを見たくて気を揉んだりと、なかなか自由でクレイジーで、忙しかった。
ところで、あの時感じたあまりにも鮮明なアラビアの空気は、いつまでも私から離れていかなかった。興奮は冷めなくて、その熱情に駆られるように他の地域の歴史も猛烈に勉強した。夕暮れの図書室で白地図に河川名や戦いの名称を書き入れることは、この上ない楽しみだった。無機質に縁取られ、「中国」と名付けられたその土地では昔たくさんの人が科挙(官吏になるための試験)に失敗し、土地を追われた。すごく難しい試験だったようで、そう考えると「山月記」の李徴は賢いんだな、なんて、ふとしたときに他の教科とも結びついたりして尚良かった。知識が増えていくにつれて、世界がどんどん広がっていくようだった。海外旅行なんて修学旅行の台湾くらいしか経験はなかったけど、秋になる頃にはフランスもイランも身近な国になっていた。どちらも歴史上によく出てきた国だから。まだ行ったことはないけど、教科書を通じてなら、私はこの国を歩いたことがあった。そのようにして、私は夕方、自分なりに作り上げた世界地図を手に、ひとりで世界の色んなところを旅してるような気分になっていた。
最近観た映画、「ドリーミング村上春樹」のなかでメッテさんが言ってた「Co2の排出量が増えて世界旅行ができなくなっても、本さえあればいつでも旅に出られるのよ」っていうセリフを受けて、観終わった後勢いで書いたやつ。その1冊さえあれば、いつだってどこにだって飛んでいける、そう思ってた頃があったな。メッテさんの言う"旅行"と私のそれはまた少し違うけど。
いつから私は手放しでこういうことが言えなくなっちゃったんだろう。ずっと柔軟な人間でありたいのにな、そんな文章。
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